安田章大/アナザースカイ/ベリーズ

好きに生きようと思った安田くんの選択肢の中に、もう辞めてもいいんじゃない?と周りに言われながらも、この経験値を繋げられる仕事をしているからとアイドルを続けてくれた安田くんに感謝だと感じた時間だった。

好きに生きよう!がピアスだったり、お酒だったり、音楽だったり、舞台だったり、ジビエだったり、絵やオシャレ、その他ファンの知らない一面であったりする安田くん。

大好きだから忘れようとしたし、強くあろうとするほど悲しい思いをしたし、という安田くんは、先輩役者からのご縁だからという言葉がしみて大事にしていた。

きっと堂々巡りの思考だったり、仕事の性質上弱みを見せづらかったり葛藤はあっただろうし、きっとファンに色々あれこれ言われるの嫌だなって時期もあったかなって思ったりもした。

無欲の仙人になりたいとしきりに言っていたのは、潜りたいと思う気持ちや海への未練、葛藤、恐怖心など、強くありたいと思う安田くんの思いに反して、安田くんにとって弱いと感じる自分が確実にそこにあって、それを無くせるくらい欲が無くなれば楽なのにと思う時期だったのかなとか勘繰ってしまった。

海に潜っている安田くんは人魚みたいだったし、魚みたいだったし、海の一部にも見えたし、若い頃にしていた表情久しぶりにしているようにも見えた。文字通り生き生きとしている安田くんを見て、テレビ画面越しでも、安田くんにとって海って大切なんだなと思えた。

自分の現状を伝えるために脳の病気とかに関連する英単語を安田くんは覚えたし勉強したんだなって思うシーンがあって、安田くんのよく言う『書物を読んでいる』姿は見た事がないけど自然と浮かんできた。その安田くんは悔しかったかなとか泣いてなかったかな、って考えちゃったし、逆に、英語でこれからコミュニケーションを自由に取れる未来を想像して明るい気持ちでその単語と向き合ってたらいいなって気持ちも、その自然と浮かんできた安田くんに対して思う気持ちが私の中にあった。

ファンの前で泣かねぇぞって思ってそうな安田くんが涙を拭うことなく過去の経験が憎いって言ってるのが辛かったし、泣けるくらいちゃんと自分事として心を動かして捉えてるんだなってわかって、傷つかないように心を閉ざして他人事として捉えることも出来るだろうに、それをしない安田くんはとても強いひとだと感じた。

一方で、やっと憎い、辛い、という“弱音”を吐いてくれたと、安心した。

病気が憎い、怪我が憎いと言わず、過去の経験がにくいという安田くん。14年前にここに来たことは確実にご縁で、辛い経験したこともご縁と呼びたいという安田くん。

愛憎って表裏一体なところがあるから、もしかしたら海を教えてくれたベリーズや、心の支えになったくれた海が憎いと思った瞬間もこの6年の間になくはなかったのかなって私の中で一瞬よぎってしまった。この幸せや楽しみを知らなければ辛い思いをしなくて済んだのに、と海や海をenjoyしていた過去の自分を憎んだのかもしれないと思ったら、やりきれない気持ちになった。
でも、ネズミを食べた時、同じテーブルを囲んだ人に『必ずここに帰ってくるよ』と言った安田くんに安心した。

今回の旅は安田くんの中で過去の安田くんを許すきっかけになるものだったのかもしれない。


アクセサリーを沢山つけてた時、好きに生きよう!と思ってやった事だけど、逆に武装したなと思ってへそピ以外は外した安田くんは、人の目の奥を見てその人を判断する、言葉はあまり信用しないという安田くんの繊細さを表しているように私には思えた。

病気をして怪我をして、メンバーが抜けて、あの時、可哀想と思われたくない気持ちは少なからずあったと想像するけれど、目を出したあさりをつつくと貝に戻るとか、カタツムリやナメクジを触ると触覚をしまうとかみたいに、安田くんの中の無意識というか生態系というか、自然の反応としての防御があのたくさんのアクセサリーだったのかなと思った。

丁度あの頃、安田くんは丸かったり顎に吹き出物があったり、きっと薬の副作用だったのかなと今考えれば思うけど、当時、安田太ったとか、自己管理なってないとか、汚いとか、Twitterで散々酷い言われようしていて、今安田くんがすごく痩せているのはその反動というか、オタクに何も言わせないみたいなところもあるのかなと思ったり。

怪我した腰への負担を減らすためって言ってたり健康のためって言ってたりするし、確かにそれもあると思うけど、ほんとに健康のためなら今聞いてる食事内容や飲酒量はありえないはずなので、負けず嫌いな安田くんのオタクへの“反応”なのかなと私は思ってる。

大好きな海に潜れません、て私で言う、安田くんの供給がありません、オタクできません、新譜でませんと言われてるのと同じなんだよね。

ありがたいことに安田くんは生きてるし芸能人を続けてくれているし、ジャニーズとして次の世代への橋渡しを、自分の経験を次へ、と表舞台に立つ選択をし続けてアイドルも続けてくれている。なので私は大好きなものを失う経験はあまりしていない。

でも、愛猫が死んだり、祖父母や大叔父、大叔母が立て続けに亡くなった喪失感は感じたことがある。

思い出と向き合って行くしかなく、時間をかけて折り合いをつけるしか無かった。
猫を飼わなければ、私の記憶が無い幼いうちに祖父母が亡くなってれば、と悲しいあまりに一緒に過ごした時間を否定することで悲しみを肯定するしかできない時もあった。でもやっぱり一緒に過ごしたその時間がなければ今の私は無いし、ちょうどそれもまた6年くらいかかって、今も生きてて欲しかったと思う気持ちはあれど、穏やかに泣かずに遺影をみて手を合わせられるようになったのは最近のこと。

ことの重さは違うけれど、怖いけどドキドキワクワクする、といって悩みながら6年経って海に潜って、忘れなくていいんだなっていう安田くんを見て、じわっと心が温かく、深く包み込まれたような感覚があった。

悲しくていいんだな、また会いたいと思ってていいんだな、って、私の気持ちが救われた。

最後の歌で、別の人になっていくって歌詞。きっと潜れていた頃の安田くんと今の安田くんが違うって意味だろうし、点と点で見れば確かに違うけど、それはずっと連続しているものであることは間違いなくて、確かに病気前、病気後と区切れるし不連続なものに見えるけど、ジワジワ腫瘍が育ったのも連続した毎日の中のことだし、安田くんが努力して今の安田くんになったのも日々少しづつ連続した毎日があるからであって、安田くんの内面は安田くんにしか分からないけど、別に以前の自分も今の自分も分けなくていいんじゃないかなと思った。

でも、

14年前に潜った経験をして別の人になったように感じたことなのか、
6年前に病気を経験して別の人になったように感じたことなのか、

『Blue holeに落ちていく』は掛詞なのかなと思ったり、BLUEとTRUETHで韻を踏んだり。パッと作ってもオシャレでセンスのある人で、頭のいい人なんだなと感動した。

ツイート魔の私がツイートできないくらいに泣いて感じて、リアタイしたのに全然ツイートするのも忘れて、見終わっても言葉が見つからなくて、書きなぐるようにしてペンで紙に感想を書いてA4を5枚。

見て泣いて、書いてて泣いて、noteに写して泣いて。

安田くんが海に潜った嬉しさや感動で泣いているより、傷ついてもなんでもない様に振舞って、笑って仕事して夢を売って、他人の力になりたいといって走り続ける安田くんに、なんでそんな辛いもんを背負って、でっかいもんを抱えてんだよ、器用な人なのに生き方が不器用で愚直で無垢で、そんな安田くんに泣いた。

いつだってオタクはリアルタイムの推しを知ることが出来ないし、推しの枷になることしか出来ない。

推しから貰う愛と勇気と活力に対してオタクが推しに返せるものなんて微々たるものでしかない。

アブラムシを食べるからてんとう虫は益虫と言われるけれど、てんとう虫は益虫と呼ばれたくてアブラムシを食べているわけじゃない。食欲を満たすためにアブラムシを食べた結果益虫と呼ばれる。

オタクも購買数やアクセス数、アクション数によって推しの影響力向上に貢献できる時もあるし、それを狙ってRTしたりする時もあるけど、推し活は基本オタクのエゴなものなので、てんとう虫とあまりにも構図が似ている。

たくさんのものを抱えて生きる安田くんだけど、とても感受性が強く繊細な人だから。

安田くんがもっと両手に幸せばかり抱えて生きられる世の中や状況になるといいな。

これからの安田くんの活躍と健康と幸せを祈って……。


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