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調布飛行場連中 その13

おまえは風だ
 OG君は加藤君や小宮山君とは違って、ちょっとワイルドな雰囲気のヤツだった。一見バイクマニアっぽくは無いけれども、実際にはレアモノのバイクを次々と手に入れていた。知り合った頃はタンクとサイドカバーが同色の、408ccのホンダCB400FOURに乗っていた。
 CB400Fはノーマルの状態で集合マフラーが付いて(当時初?)、ハンドルもフラットハンドルだった。シートもダブルシートだったが、シートエンドがストッパー風に盛り上がっていた。言うなれば「メーカー製カフェレーサー(今は死語かな?)」といった趣(おもむき)のバイクだった。緩やかなS字を描いて集合する、四本のクロームメッキのエキゾーストパイプがとても美しかった。
 OG君の最初の印象は、正直言ってあまり良くなかった。彼は口が悪いからだ(人のことは言えないが)。いや、辛辣と言った方が正確かも知れない。間違った事は言わないので慣れれば問題ないが、文字通りストレートに図星を言うので、最初はカチンと来た。僕もOG君に負けず劣らず口が悪いが、そういうヤツ(自分の事だ)に限って、図星を言われると敏感に脊髄反射を起こすものだ。

仕事は化粧品と芸能人
 OG君はカメラマン志望だった。写真関係の学校に通っていたと思う。卒業後は晴れてカメラマンになった(最初はアシスタントからだが)。そしてその後、ある会社に転職したのだ。
 その会社というのが「T社」というバイクやクルマの仕事を中心とした、広告制作会社だった。つまり、その会社に入るとバイク(やクルマ)の広告やカタログを作る事が出来るという訳だ。広告やカタログを作るということは、いち早く新型のバイク(やクルマ)に接することが出来るのだ。これは趣味と実益の見事なまでの一致ではないか!僕らバイク好きにしてみたら夢のような、まさに憧れの仕事だと言えよう。
 僕はその頃、学校を卒業して広告制作の仕事をしていた。マンションの一室にある小さなプロダクション勤務で、一応デザイナーという立場だった。でも、その実態は「デザイナー」兼「版下制作(今の若い人は知らないだろう)」兼「営業」という、言わば何でもやる下働きみたいなモノだった。社長を含めても、総勢五名しかいない会社なので仕方がない。
 クライアントは外資系化粧品会社が中心だった。まれに芸能人の写真集やポスターの仕事が入って来たが、社長の知り合いのカメラマン(芸能界では結構有名な人)が紹介してくれる案件なので、社長が自ら担当していて、僕が担当出来る機会はあまり無かった。
 岩崎宏美さんやデビュー時の水野きみこさん(2〜3年で引退されたので知らない人も多いと思う)の仕事をホンの少しだけ手伝った事があった。水野さんの仕事の時に、芸能人のファンクラブはデビュー時には既に出来ている、という事を初めて知った。ちなみにファンクラブの名称は「キミーハウス」だったと思う。
 ある時、社長が「今度、松本伊代に似た子がデビューするぞ」といってデビュー前の早見優さんの写真(ポジだったかも知れない)を見せてくれたことがあった。社長が「ハワイ育ちの子で、日本語があまり得意じゃ無いんだ」と言っていたのを記憶している。

アドバンを履いた営業車  
 この会社には営業用のクルマがあった。いすずの初代ジェミニLSだ。実はこのクルマはほとんど僕の私物と化し、一時期は通勤にも使っていた。パワーはそこそこだったが足回りが結構踏ん張ってくれて、運転するのが楽しくて休日にはドライブにも行った事もある。
 車検の際にはタイヤ交換が必要なのを良い事に、当時話題だったという事だけで、ハイグリップタイヤ「アドバンHF」に履き替え、さらに楽しめるクルマになった。今だから言えるが、休日ドライブのガソリン代も会社持ちだった。社長ゴメンなさい。
(つづく)

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