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調布飛行場連中 その12

奥多摩有料道路と長渕剛
 暴走族というと忘れられない出来事がある。TX650で奥多摩湖を過ぎて、奥多摩有料道路から五日市側に向かって下っていた時の事だ。
 この日は同級生のMSさんに告って「ゴメンなさい」された直後で、半ばヤケクソ気味で、かなりのオーバーペースだったと思う。奥多摩の山間路を走りながら、長渕剛さんの『順子』の歌詞の「順子」の部分を「M子」と、MSさんの名前に差し替えて、何度も何度も繰り返し繰り返し、唄っていた。

同級生のMSさん
 あの日から四十年以上も経つというのに、この文章を書いていたら何だか悲しくなって来た。MSさんは今どうしているだろう。故郷の北海道で子供や孫に囲まれて幸せに暮らしているのだろうか。
 思い返してみると当時のMSさんに対する僕のアプローチは、今なら「ストーカー認定」されても仕方ないような、ちょっと?しつこい行為だったかも知れない。
 彼女の利用駅で何度も待ち伏せをしたり、喫茶店で六時間も掛けて口説いたりした。半ば強引にTXに二人乗りをさせたこともあったかな。
 でも彼女はとても「できた人」だったから、驚きはしても拒否したり非難したりする事は無かった。だから僕も、大好きだったけど最後にはキッパリとフラれた。

ガードレールへ一直線
 とある右コーナーに差し掛かった時、路面に砂が浮いているのが見えた。このままのスピードでコーナーに突っ込むと多分転ぶだろうと思い、ブレーキレバーに軽く指をかけた。それはホンの僅かに触る程度だった(はずだ)。しかしブレーキが強過ぎたのだろう。あっという間にフロントタイヤをすくわれ、立て直す事も出来ずにそのまま転倒し、アウト側のガードレール目掛けて勢いよく滑っていった。
 ガードレールの支柱にぶつかって止まりはしたが、TXはガードレールの下に挟まってしまい簡単には起こせそうもない。僕は身体をしこたま打ち、かなり痛かったが幸い骨折はしていなかった。何とか起き上がったものの、転倒のショックで暫し茫然としていた。

暴走族参上
 そこへ、けたたましい騒音とともに、間違っても絶対に暴走族にしか見えない一団が近づいて来た。僕はてっきりバカにされ囃し立てられるんじゃないかと思い「今日はホントに踏んだり蹴ったりだ」と心底ウンザリした。やがて恐ろしげな一団は僕のそばに次々に停車し、思いも寄らない言葉を発した。
 「大丈夫ですか、怪我はしていませんか?」と僕を心配し、丁寧な言葉で声をかけてくれるではないか!僕は予想とは正反対の、彼らのあまりの親切な態度に本当にびっくりした。
 しかし、そんな驚きを見せられるはずも無く、だがそこは抜かりなく「多分大丈夫ですけど、身体が痛くてバイクが起こせません」と図々しくも厚かましく、彼らにガードレールに挟まったTXの処理をお願いしてしまった(勝手に勘違いしてウンザリしていたクセに、ホントに調子がいい)。
 彼らは数人掛りでTXをガードレールから引っ張り出し、起こしてくれた。バイクの状態を見た彼らは「大丈夫ですか、コレ走って帰れますか?」となおも気づかってくれた。僕はお礼と共に何とか走って帰れる旨を伝え、彼らはやって来た時と同様に、騒音と共に走り去って行った。

瀕死のTX
 彼らが去った後にTXをよく見ると、右側のウインカーは前後とも折れ、ガードレールの支柱に激突したタコメーター、スピードメーターは共にガラスが割れ、ひしゃげてしまっていた。バイクは一見、かなり酷い状態で、彼らが心配するのも無理は無かった。しかし曲がってはいるもののブレーキレバーもブレーキペダルも折れてはいないし、エンジンもちゃんとかかったので、ゆっくり走る分には問題なさそうだった。
 途中、八王子インターから中央高速にのったのだが、バイクのあまりの損傷ぶりに、料金所のオジサンがびっくりしていたのを覚えている(当時はETCなんて空想の中の話で実用化されていなかった)。本当はメーターが死んでいたから、高速は(高速も一般道もかな)NGだったのかも知れない。
 でも暴走族の彼らがガードレールから引っ張り出してくれなかったら、走るどころでは無かっただろう。彼らが停まってくれて本当に助かった。地獄に仏とはまさにこの事だ。彼らにとっては、万が一の時に同じバイク乗りとして、いや人として当たり前の事をしただけなのかも知れない。くれぐれも人は見た目だけで判断してはいけないと思った。
 ・・・とここまで書いて思い出した。彼らが来るまでに何台かの普通のバイク乗りが通過していったが、停まってくれたのは暴走族の彼らだけだった。
(つづく)

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