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もっと大きく叫んでみるの

こんばんは〜
みなさまは、「おとな」でしょうか?
精神的に大人かどうかはよくわからないですが、
私は年齢的には「おとな」に分類される人間です。

で、また好きな音楽の話をするよ。
この曲を聴くたびになんか少し考えることがあって、
それをちょっとまとめられないだろうか、と。
そういった試みです。

それが、AKMUのDINOSAUR
ダイナソー!🦖🦕きょうりゅうですね。

AKMUは実の兄妹デュオです。いつかライブに行ってみたい。
コロナ禍前、2019年ツアーのLiveアルバム(SAILING TOUR LIVE)があるんですが、コール&レスポンスの雰囲気が本当に好きで…

DINOSAURはそのアルバムで出会いました。
明るい曲調でみんなで「だいなそー!!」言うのが楽しそうで
なんだか大股で地面を踏みしめたくなる感じで
通勤時間によく聞いていました。

私は韓国語聞き取りができるわけではないので、
これまで調べたりして知っている単語やイディオム(慣用語)から
なんとなく推測して聞いています。
(🦕🦖だと、サビの"꿈에 나온 Dinosaur (夢に 出てきた 恐竜)"
のところとか)
やっぱめっちゃ好きだわ、と確信してプレイリストに入れる前に
ようやく歌詞の和訳をさがしに行きます

歌詞の内容(とてもざっくり)としては、

何も知らなくて、怖いものなんてなかった幼い頃には
夢に出てきた恐竜が怖かったけれど、
もし今また出会うことがあったら
恐竜よりも、もっと大きな声で叫ぶ🦖

という、感じ、でしょうか
ここから、
Dinosaurは、子供の頃に対抗できなかったもの、
の象徴なのかな、と思います。

自分では対処できずに、泣いたり、
誰かに気を逸らしてもらったり、抱きしめてもらったり、
恐竜そのものには何もアプローチできないまま
やり過ごしてきた(凌いできた?)ことに対して、
成長して(冒険して)、
たぶんちょっと「おとな」になって真っ向勝負する。


ま、恐竜に対して、
「てめぇよりおっきな声でるんだぞこっちは!!!!!」
で挑むのは、実際、無理があるけど

その心意気にちびっこの頃の自分はちょっと救われる気がする。
それは「おとな」の自分に託されていた希望みたいな。
タイムカプセルのように。忘れかかっていた箱の蓋を開けるように。

いま「おとな」になったわたしが、
子供のころのわたしを笑顔にできるのかもしれない。んだよな。
とそんなことを思う。


自分で行動して、対抗措置を取る。というのは、
やはり、時を経てちょっとは体も大きくなって
家の外や社会を知って可能になると思うわけです。
おとなになるって手段を選べるってことなのかな。


恐竜対抗策として「大声」案が出ていましたが、
「声をあげる」って慣用句がありますね。
成人して与えられる権利の中でもかなり大きなものとして。
それもあるなと思う。

誰のために、とかはわからないし、
顔の知らない人について考えられるほどの余裕はないし、
そんなに世の中や国家や世界に期待はしていないけれど、
「おとな」としての選択を迫られる際には
わたしの人生のなかにいる、ちびっこのわたしに、
聞いてみるのもありだと思った。


でっかい声で叫んだら、恐竜と友だちになれるのかもしれないし。

ちょっとちいさな覚悟や決意を掘り出して、抱えて
ズンズン踏み出していきたくなる曲のリンクを最後に貼っておきますね。

2023.12.5 향

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