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タイムマシンはいらない

「格言をひとこと」と言われてなにか気の利いたことを言える人生など送ってきていない。もとい、格言を誰かに求めてもらえるような人生など、送ってきていない。

だけど、過去の自分から見たときに、なにか希望を感じられるようなものは、1つでもいいから、常に持っていたい。それだってなかなかに難しいことだけれど、小さくてもいい、正直ではありたい。

そのうちの1つに、BUMP OF CHICKENの「魔法の料理~君から君へ~」をずっと好きで聴き続けているよ、ということがある。

「魔法の料理~君から君へ~」は、BUMP OF CHICKENのボーカルと作詞作曲を担当する藤原さん自身の、幼い頃のパーソナルなエピソードを切り口にしている。そこから、喜怒哀楽では割り切れないような思いを振り返り、自分自身と対話するような歌だ。

自分と自分だから、お互いに全部知っている。全部知っているからこそ言いたいこともあれば、言えないこともある。自分がそれを聞いてどう感じるかも、手に取るようにわかる。

自分対自分とはいえ、それぞれの自分は別の人格を持って、それぞれに尊厳や責任を持って物を考え、行動し、生きている。そのときそう思っていたのも事実だし、今思っていることも事実。フラットに、正直に、全力で向き合うしかない。嘘はつけないし、分からないことは分からないと言うしかない。

「過去に戻れたら」とか「過去の自分に会って忠告してやりたい」とか、とめどない妄想として思ったりする。でも実際考えてみると、ことはそう簡単ではないと思うのだ。

途切れなく続く自分の人生の、どの瞬間の自分に会いに行き、なにを話し、なにを話さないか、どういう感情を乗せて、どんな表情や身振りで伝えるべきか。そもそも今の自分が会いに行くことが吉と出るのか凶と出るのか。真面目に考えれば考えるほど難しい。自分自身であるからこそ難しい。

音楽を通してその難しさに向き合っているのが、この曲のすごいところだ。藤原さんの実体験をもとにした歌詞はもちろん、歌声、ギター、ベース、ドラム、ストリングス、和音やメロディーもそう。途切れなく続く人生の中で、自分から自分に対して常に伝えておきたいことだけを、純粋に、シビアに、全部の音を賭して歌い上げている。

自分から自分に対して常に伝えておきたいこと、常に忘れずにいたいこと。ということはつまり、どの自分から、いつの自分に向けて発したとしても関係ないとも言える。

「幼い頃の自分を振り返って、大人になった自分から伝えたいこと」という目線を切り口にしてはいる。でも、曲のもっと奥深くには、過去から未来の自分に対して、現在から未来の自分に対して、時間軸を自由に飛び回ってやりとりされるようなメッセージがある。

そしてそれは、自分から自分に対して伝えることでしか意味をなさないことでもあると思う。家族であれ、友達であれ、どんなに親しい相手であっても、自分から自分に対して伝える「魔法の料理~君から君へ~」に敵うものはない。

だからこの曲は「BUMP OF CHICKENから私に向けられた曲」として聴くのではなく「私から私に向けた曲」として聴いたとき、真の力を持つと思っている。

この曲がリリースされた当時のインタビューにて、藤原さんはこう語っている。

たとえ自分との対話だったとしても、それが誰かの下に行った時に、その人自身の対話にちゃんとなりえるものなんだってことをわかってる部分があるんだと思う。こういうものしかみんな聴きたくないでしょう?っていうことを信じて作ってます。(中略)聴いてる人だって、聴いてる自分自身のことを、人の口を借りて聴きたいんだよね。

『MUSICA 2010年4月号』「バンプ・オブ・チキン ようこそ、僕らの音楽基地へ」P41

「自分自身のことを、他人の口を借りて聴きたい」というのが、私たちが誰かの作った音楽を聴くときに抱く根源的な欲求だ。BUMPはそんな欲求にストレートに、非常に高い純度で応えることに、ずっと向き合いながら音楽活動を続けているバンドである。

それは「魔法の料理~君から君へ~」に限ったことではない。インタビューやライブのMCなどで、音楽活動の根源的なモチベーションとして繰り返し語られてきていることであり、その思いの深さや広がりを感じながら活動する彼らの姿を、私は1人のファンとしてずっと見続けてきた。

ストレートに、高い純度で応えるためには、曲の中で歌われるエピソードや感情は、書き手である藤原さんのパーソナルな部分である必要があるし、それを他の人が聴いたときに「知らないけれど、分かる」と感じられる粒度で描く必要がある。その点において、藤原さんのソングライターとしての天才的な手腕が発揮されているというのは、ここに改めて書くまでもない。

「自分自身のことを、他人の口を借りて聴く」を体感するのは「魔法の料理~君から君へ~」に限ったことではない。バンプの曲を聴く度「一体どこから私のことを見ていたの!?」「誰にも言ったことないのに、何で知っているの!?」とびっくりすることばかりである。

ただ、中には「バンプがそう言ってくれてるからそう思える」という、ある意味他人任せのような角度で、自分を救ってくれる歌詞もあったりする。

例えば「メーデー」の「一度手を繋いだら 離さないまま外まで連れて行くよ 信じていいよ」とか。「カルマ」の「必ず僕らは出会うだろう」とか。「Small world」の「流れ星ひとつも 気付けなくても 君を見つけて 見つけてもらった僕は 僕で良かった」とか。

バンプの歌詞にある思いを、同じようにすべて私も経験しているわけではない。藤原さんと私、そして他のリスナーの人たちも、それぞれ違う人生を生きている。

だから、あくまでも上で例に挙げた部分は私だけの「経験のズレ」であって、「経験のズレ」をどの歌詞に対して感じるかというのは人それぞれだと思うし、全くズレを感じないという人も中にはいるかもしれない。

でも、経験していないからといって、共感ができないかと言ったらそうではない。なぜなら、それを歌っているのが「自分自身のことを、他人の口を借りて聴きたい」という欲求に、ストレートに応えてきてくれたBUMPだからだ。応えてきてくれたこと、応えようとし続けていることを、楽曲やライブを通して体感してきているからだ。

だから経験したことがなくても信じられる。「バンプがそう言うならそうなんだろう」と心から思える。共感して、自分の歌のように聴くことができる。

そんな「他人任せ」な歌詞は「魔法の料理~君から君へ~」の中にもある。「期待以上のものに出会うよ」であり「君の願いはちゃんと叶うよ 楽しみにしておくといい」であり、「でも覚悟しておくといい」であり。

今はそう思えなくても、バンプがそう言うんならそうなんだろうし、未来の自分がそう言ってくれているように感じながら聴くことができる。

この曲のことを忘れずに、ずっと聴き続けていられたら、タイムマシンを使うよりもはるかにずっと近くで、自分自身と対話することができる。伝えたいことだけを、相手の心に届くように、伝えられる。だから、タイムマシンはいらない。


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