見出し画像

秋の優しい夜風に吹かれて〈11月毎日投稿〉

去年の秋は良かった。良かったというか、近年まれに見る存在感で秋がちゃんとあったと思う。去年私が住んでいた地域では、20度前後の過ごしやすい期間が1か月程度はあった。8月の半ば、朝と晩の気温から下がり始め、昼に先駆けて過ごしやすい気候をもたらしてくれた。11月を過ぎても真夏日が続き、そこから急激に寒くなった今年とは大違いだ。

一人暮らしのアパートで、真夏と真冬以外、また寝るとき以外、なるべく窓を全開にして、外気を感じて過ごすのが好きだった。あとは夜の屋外でお酒を飲むのも好き。コンビニで2~3本のお酒を買い、ビニール袋をぶら下げて歩く。人けのない公園でブランコやジャングルジム、見晴らしのいいベンチを見つけては、腰掛けて缶をあおる。

過ごしやすい気候によって、その欲求はさらに高まった。もっと風に当たりたい。外に出かけなくても外で飲みたい。ということで、夜になるとベランダに小さなレジャーシートを出して、缶チューハイ片手に腰を下ろした。

ベランダの床にあぐらをかいて、隣のビルとの狭い隙間から夜空を見上げる。近所迷惑にならないくらいの音量で音楽をかけ、ゆらゆらと口ずさみつつ夜風に当たった。

そのとき聴いていた曲の中でも、佐藤千亜妃さんのEP『NIGHT TAPE』は特に、秋口の優しい風に本当にぴったりだった。街から少しずつ夏を剝がしていくような風に吹かれて、何時間でもぼーっと聴いていられた。

公道に面していない2階とはいえ、治安がいいわけでもないあの街で、そんなの夜中に一人で女性がすることじゃない。何事もなかったからよかったものの、本当に褒められたことじゃない。

頭ではそう思いつつ、行動はどんどんエスカレートしていった。ベランダでの居心地の良さを追求し、レジャーシートをもう一枚出して足を投げ出したり、座椅子を持ってきて腰掛けたり。酩酊してベランダで眠ってしまい、目を覚ましたら明るくなっていたことも一度だけある。

最初はレジャーシートを毎晩たたんで部屋にしまっていたのだけれど、それも面倒になって、最終的には物干しロープに洗濯ばさみで止めておくようになった。洗濯物を干したいときは、レジャーシートを下に敷いてその上に立って作業すれば、サンダルを履かずに出入りできて便利。

仕事をして、一人分の家事をするだけで必死だった。自分を満足させることすらできないでいる。仕事もプライベートも、10代の頃に「これだけは最低限欲しい」と思い描いていたことですら、こんなに手に入れるのが難しいとは。

夢はある。見えないけど、あるにはあるんだと思う。自分を否定することしかできなくても、自分のことが大好きで仕方ない。泣きたくなることばかりの中で、笑えることを必死に探す。優しい人たちに恵まれて過ごしているのに、どうしようもなく孤独だった。

今の自分を、今の目線だけでジャッジを下さない、これは大切なことである。未来の自分から見て「あのときの自分がいたから」と少しでも言えたらいい。過去の自分から見て「自分にしてはよくやっているな」と言ってもらえればそれでいい。

ベランダで丸まって『NIGHT TAPE』をぼーっと聴いている間、今自分の目の前にある生活が、シネマティックモードで映したかのように見えていた。くっきりとして見えるのに、手の届かない存在のようにも思える。

仕事で疲れ切って、想像力を奪われた頭では、音楽に助けられることでやっと、なんとか過去や未来の自分の目に映っている今の自分を想像できた。

そんな時間は1カ月半ほど続き、肌寒い日や風の強い日が増えてきて、夜のベランダに出ることはだんだんと少なくなっていった。ベランダに出したままのレジャーシートは、秋の嵐に吹かれてどこかへ行ってしまった。

隣のビルの蛍光灯は夜じゅうずっと光っていて、部屋の中で布団に入って目をつぶっても、遮光カーテンの隙間から忍び込んで私の安眠を妨げた。消えてはくれなかった。

この曲を聴く度、秋の嵐に飛ばされていったレジャーシートの行方を思う。隣のビルの青白い蛍光灯に照らされて、ベランダで胡坐をかく猫背の私が、ゆらゆらときらめいて見える。



コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます