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ぎこちない心をそのままくるんで街を歩く

ドツドツ、とした音が低音から中音、高音に至るまで並び立ち、私を待ち構える。お酒を飲みすぎたときに、脳の血管が脈打つみたいに頭に響く。

そんな曲にそそのかされるように、街を1人、あてもなく歩いたあの頃を思い出す。誰に会うということもなく、1時間かけて着る服を選んで、さらに1時間かけてメイクをして、電車に乗って毎週のように繫華街へ繰り出した。

佐藤千亜妃さんの歌声が、洗い立ての真っ白なシーツみたいで、くるまっていれば雑多な街の中でも心地よかった。

出かけた先でステキな服やコスメを見つけては、後先考えずに買い物カゴに入れた。「買ってもいつ着るん」「口紅こんなに持ってても唇は一個しかないのよ?」と自分に言い聞かせても、結局「いや、でもなにかあるかも知れないじゃん!」の一言で買ってしまう。

「なにか」と言っても、決してナンパされたいわけではない。誰でもいいから今すぐに付き合いたいというわけでもない。コンパに力づくで誘ってくるような友達もいない。

浮いた話からは、仕事の忙しさを建前に逃げてきた。本音のところは、面倒くさいとかトラウマとか、今はそういう気分じゃないとか、そういう簡単な言葉では片付かないような状態。恋愛も結婚もしない生き方を肯定する材料は、今の世の中いくらでもある。

でも、休みの日に部屋で閉じこもっているばかりでは、世界に取り残されているような気がして焦る。週1度でも、街の片隅でも、自分がありたい姿でちゃんと私が存在していることを証明したかった。

「なにかあるかも知れないじゃん!」と買ってきて、誰に会うでもなく街へ出かけるときに着る服。自己満足や友達にかわいいねと言われるためだけにしては、多少お値段が張る。それにもっとダイナミックな色柄ものを買うと思う。

だからといってピンクやベージュの服を買う度胸もない。「この服異性にウケそう」と思って手に取った服を、「いやいや、ファッションは自分のためのものだから」と正気に戻って陳列棚に戻したことは何回もある。

その動機を構成する気持ちが一体どんなものなのか、果たして「恋をしたい」という気持ちがどのくらい混ざっているのか、自分でもよく分からない。

〈剝がれかけたペディキュア〉や〈悪い夢で泣いた跡〉を、〈笑わないで抱きしめて〉くれるような誰か。〈B級映画でも〉〈ハズレを引いちゃったとしても〉、君とだったらいいかなって思えるような誰か。

そんな人が隣にいたら、なんてね。どれくらい本気で憧れることができているのだろう。もう、今までに絡まりに絡まった経験や記憶や思考がこんがらがって、自分でも理解が出来ないのだ。

現実の恋がそう甘くないことは嫌というほど知っている。恋愛も、恋バナも、大の苦手だ。「恋がしたい」という気持ちも、恋愛に関しての「こうしたい」も「こうあるべき」も何もない。

自分のエピソードはおろか、恋愛についての願望も意見も皆無なので、相手の話を聞いても「そうなんだね」しか出てこない。理由はどうあれ、主戦場から逃げ回ってばかりの槍すら持っていない歩兵の私が、鎧甲冑を身に付け、よく研いだ刀を振り回し、最前線で戦う大将に、なにか申し上げるなんて滅相もない。

相手にばかり話をさせて、会話のラリーを打ち返すこともできず、コミュニケーションとしては大変申し訳ない状態になってしまう。

故障して送受信ができないトランシーバーみたいだなと思う。恋愛に関する回路を動かそうとすると、ノイズが生じる。ショートしてしまう。無理に通電させたら、自分の全部が故障してしまいそうで怖い。

送受信ができないトランシーバーなんて使い道がない。直し方も皆目見当つかない。だけど、電源も入るし、スピーカー部分もマイクも正常に動いている。捨ててしまったら2度と手に入るものじゃない。

壊れたままのトランシーバーを、心の奥に潜ませて街を歩いた。いつかどこかでなにかを受信することも、ないとも限らないから。壊れたトランシーバーのせいで、心はいつもぎこちなかった。



コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます