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「やりたい」だけじゃ頑張れないらしい

少し前まで、仕事とは仕事着を着て職場に行って、自分のためではなく誰かのために一生懸命、頭や体を動かして、お金をもらってやることだと思っていた。

それが最近違ってきている。誰かのために一生懸命やるのは変わらないけれど、その他が全部違う。

私はライターだ。駆け出しも駆け出し、スターターピストルを撃った手が下りる間もないくらい駆け出したてほやほやだけれど、文章でお金をいただいている以上、名乗る資格と責任があると思う。

そしてほとんどのお仕事を在宅で行っている。前の仕事では仕事着を着て職場に通っていたのが、今は自分の家で、座った椅子から振り返ればさっきまで寝ていた布団があるような状態で、部屋着のまま仕事をしている。

在宅ワークが自分に向いているかは、今のところ計りかねている。他人の目があった方が集中できる点や、濃いコミュニケーションが取れるみたいな点では、職場の人と1つの場所で働くのも大切なことだったりするのだろうなと思っている。

プライベートと仕事との境目がなくて、オンとオフの切り替えがうまくいかないとか、家族がリビングでテレビを見たり、たまにけんかしたりするのを背中で感じながら仕事をし続けるのが、精神衛生上果たして良いことなのかどうかは分からない。このまま続けてみてどうなっていくのか、自分という世界に唯一のサンプルを使って実験しているような感じだ。

でも通勤しなくていいというのは本当に助かるし、今のところ文章を書くことが楽しくて仕方ないので、仕事とプライベートの境目なしに、四六時中文章のことを考えていても、ちっとも苦になっていない。

前の仕事とのもっと大きな違いは、仕事が誰かのためだけでなく「自分のため」になっていると感じられる点だ。お金をもらえるということだけでなく、仕事から得られるスキルや経験や、気付きや学び、1つ1つが全部、自分がこれからやりたいことに繋がっていることを、強く感じながら仕事をさせてもらえている。ありがたい。

同じくらい大きな違いがもうひとつあって、それは「お金をもらえなくてもやりたい仕事がある」ということ。

誰も待っていないかもしれないけれど、文章に書きたくて仕方ないこと。やらなくても誰が困るものでもないけれど、私がやりたいこと。お金にはならないけれど、どうしても形にして、誰かに届けたいもの。そういうのがわんさか湧いて出てくるようになった。

今まで私は、自己犠牲こそが仕事だと思っていた。他人がやりたがらないことをするのが仕事。他人がやりたがらないことは、同じように自分だってやりたくない。誰もがやりたがらないことだからこそ、それをやったらお金がもらえる。

仕事はお金がもらえるからやるのであって、お金がもらえない仕事なんて死んでもやりたくない、くらいに思っていた。でも世の中意外とそうでもないのだと気付いた。本当に最近の話だ。

誰もができるわけではないけれど、私にはできること、それを仕事にすることで価値をつける。それは一握りの人にしかできない働き方だと思っていた。最近まで、自分から進んでやりたいと思える仕事なんて、私には手に入らないと思っていた。

それが自分でも信じられないくらいガラッと変わって、お金をもらってやりたいことも、お金がもらえなくてもやりたいことも、目の前に溢れている。ちょっとだけてんやわんやするくらいに。

ただやっぱり、お金をもらえるかどうか、やらないと困る人がいるかどうかは、私のモチベーションに大きく影響するようだ。

お金をもらえたり、自分がやらないと困る人が出てくるような仕事を「MUST」、そうではないけれど私が勝手にやりたいことを「WANT」と分けて、やることリストにして管理している。

当然MUSTの方が期限もあるし優先順位も高いので、1日のスケジュールはMUSTから始まる。そしてきちんとMUSTが終えられるめどが立ってから、夕方~夜になってWANTに手を付けることが多い。その頃には肩はバキバキ、目はしょぼしょぼ、頭もしゅわしゅわしてくる。

MUSTに一生懸命取り組んで、さてWANTをやろうかと思うのも束の間。「これ別に今日やらなくてもいいんだよなあ、もう今日は疲れたし休もうかな~」という思考が働きだす。

WANTに手を付けたとて、今日終わらなくてもまあいいやという思考が根底にはあるから、作業効率が上がらない。

そもそも、自分がやりたいからやっているだけのこと。今私がこれをやらなくても誰かに迷惑がかかるわけではないし、自分が困ることもそれほどない。

長期的に見たら、私の文章で助けられる人がいるかもしれないし、私自身がチャンスを逃すこともあるだろう。でも今の自分が想像できる範囲での痛みは、ないに等しい。だからまあいっか、となる。

私の周りには、週5で出勤して1日8時間以上働いて帰ってきたあとや、子育てをしながら子供が寝たあとに、副業や自己研鑽に励んで努力している同年代の人たちがたくさんいる。それを考えると、自分の甘ったれ具合につくづく腹が立つ!あ~もう!

まあまあ。周りの人と比べて自戒するのも1つの悪くない方法だけれど、人間ってそういうもんなのだろうなと思う。人間も生き物である以上、休みたいときがあって当たり前なのだろう。

その点において、自分がやりたいことを楽しみに待っている人がいてくれるというのは、本当にありがたいことだなあと思う。

私がやらないからといって、怒ったり叱ったりしなくて全然いい。急かしたりもしなくていい。そのうち忘れてしまってもいい。無理のない範囲で、覚えていられる範囲で、ただ楽しみにしていてくれたらいい。

私は忘れられないように書くから。書いたものを見かけたら、思い出して読んでくれたら、本当にありがたい。

そういう人を作るのって、本当に大切なことだなあと最近思う。

作るといっても、粘土のようにこねて固めて作れるわけではないから、
「出会いに行く」
「届ける」
「返ってきたものをちゃんと受けとめる」
「常に自分の中で意識する」
みたいなことなんだろう。

そういう人の存在を思い描くと、なんだかやわらかくて、温かいもので自分を引っ張っていける気がする。うん、まだまだ頑張れる。ありがたい。

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