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登校日

『高校に合格することはゴールではない、スタートである』

息子が中学3年間お世話になった学習塾の落ちっぞ先生(綽名、何かにつけて子どもらに「オメーは高校に落ちっぞ」など言うため)が、公立高校受験直前、教え子を前に語ったこの箴言を、わたしは合格発表の日にもう一度聞くことになった。

3月某日、3月末生まれでまだ14歳の息子が公立高校に合格した。

まだこの世のあらかたを14年分しか経験していない、頬にかすかに残る産毛に幼さを十分残した子が、初めて己を試される高校受験、合格発表のその日に『合格』の知らせを聞いたら親のわたしはきっと魂が飛ぶほど喜ぶだろうと思っていた。

しかしいざ当日、事前に知らされていたQRコードから辿り着いた数字の羅列の中から息子の受験番号を見つけたわたしは

「ハー…」

というため息か嘆息かもしくはタイヤの空気漏れのような、なんだか妙な声しか出なかった。

(目の前にいるひとが高校生になるなんてちょっと信じられない。ついこの前まで鼻水たらして幼稚園に行きたくないようって泣いてた子が?Tシャツもなんならズボンも後ろ前に着てたのに?)

「…きみが高校生になるって、ほんまのことなんかな、夢?」
「いやウソやったら困るやん。俺は春からニートになるんか」
 
自身の受験番号を見つけた瞬間に、狼の咆哮に似た大声をあげていた息子は、母親のわたしがほんのり合格を懐疑しているような言葉に「なに言うてんねん」と呆れ、ほしたら俺が春からニートてことででええのんかと聞いた。

「え、よくない」
「やろ?」

ともかくも早生まれで、教室で机を並べる同級生達より幼い印象が常につきまとい、元々持っている特性もあってどう頑張っても忘れ物と失せ物が減ることなく、やたらと理屈臭言い回しを好み、結果お世辞にも教師受けが決していいとは言えなかった子だ。中学の個人懇談でも「あの高校にこの内申点はちょっと厳しいのと違うか」と告げられたのを「当日の試験で点数の補填できたら問題ないやろ」と言い放ったらしい。そう言われてしまうと、親の方も「あのう、ここは高校の難易度をすこし下げてみるというのは考えませんか…?」ということが言いにくくなる、実際それは親のわたしが早く安心したいというだけの言説で感情なのだし。

結局この14歳は己の宣言通り、当日の試験で数字の補填を果たしたらしい。中学1年生から3年生の成績表から算出する内申点は450点満点、当日の学科試験は各教科90点で5科450点満点、これは一種のギャンブルだ。よくこんなことやろうと思ったな。

しかし、我々にのんびりと感慨にふけっている暇はない。

だってこの地域の公立高校を受験し合格を勝ち得た者は、合格発表当日が『合格者登校日』なのだから。

聞けば他地域は合格発表の翌日が合格者登校日であるケースが多いらしい、しかし大阪の公立高校は受験日自体が他地域よりすこし遅めで、お陰で合格者登校日が合格発表の当日という慌ただしさ。

その上息子の合格した高校というのが、我が家から直線距離は然程でもないのに交通アクセスがあまり良くない、何度か乗り換えをしないとたどり着けない場所にある高校とあって、わたしと息子は合格を確認して即、巨大なリュックと巨大な買い物用の帆布のカバンを持って合格した高校に急ぎ向かわなくてはいけなかった。

合格者登校日では入学に関しての説明会と教科書、制服、体操服等の物品販売がある。持ち帰りの荷物は多い重いし説明会は1時間以上あるらしい、故に12歳と6歳の妹ふたりはお家でお留守番。

そしてこの日ためにわたしは前々日に実家から母を招聘していた、そういう意味でも本当にに受かってよかった、今年75歳になる母も

「息子君の努力を疑うつもりはなかったけれど、落ちたら一体どう言葉をかけていいものか皆目わからないのでなんとしても受かってほしかった」

ため息とともにそう呟いていた、ほんまによ。

最寄り駅から電車に飛び乗り地下鉄と私鉄とを乗り継いで辿り着いた息子の未来の母校には、わたしたちと同じように親御さんと一緒に登校してきた親子連れがぞろぞろと高校の門をくぐって校内に流れ込んでいた。その中には高校名を記した門柱の前で写真を撮るお父さん、お父さんの構えるカメラのフレームに収まるのはその人のお連れ合いであるお母さんと、ちょっとはにかんだ表情で微笑むまあるい眼鏡の娘さん。

―おめでとうございます
―よかったですねえ
―ええ、ほっとしました

どうやら顔見知りであるらしい親御さん達が笑顔で挨拶を交わす中をすり抜けるようにして教科書販売の教室に辿り着き、さて教科書はどれとどれを買うのかしらんと周囲をくるくる見回していると、教科書販売担当の地域の書店の店主らしい方が

「アッ、おめでとうございます、教科書はこちらになりまーす!」

そう言ってわたし達に手渡した不織布の巨大な袋の重さがまたとんでもない重さ。いくら高校で履修する教科が中学校のそれと比べて格段に多いとは言え

「教科書なんてせいぜい赤子一人分くらいの重量」

なんてのんきなことを思っていたあの日の自分を殴りたい。手渡された教科書の重量は年長児日一人分程の重量、即ちこの息子の末の妹一人分程の重さはあった。これは本当の話だ、嘘じゃないもん、トトロいたもん。

「俺は今、モーレツにお父さんを殴りたい…」
「奇遇やな、お母さんもちょっとそれ、思ってた」

わたしと息子は地獄のように重い教科書の包みを抱えてひとまず二人で夫を呪った。というのもここから時間をさかのぼること12時間ほど前、わたしは夫とこんな話をしていたのだ。

「合格者登校日はキャリーケース必須って噂があるのやけど、ホンマかな」
「は、なんで?」
「持ち帰る教科書がとんでもなく重いのと、体育館シューズとかその日に購入する物品が結構かさばるのやって」
「そんなん、リュックとカバンとで手分けして運んだらええんちゃうん」
「そやけど、説明会行くのわたしと息子君だけやろ」
「キャリーケースなんかいらんと思うで、第一梅田の地下通るのにキャリーケースなんか引きずって歩いてたら、周りの人の邪魔になって仕方ないって」
「えー…」

『合格者登校日には、恐ろしい量の荷物を持たされる、故に旅行用のキャリーケースを持ってゆくが吉』

先に合格者登校日を経験した他府県の方がそう言うてはるという私の意見を一蹴する『日本有数のターミナル駅である梅田そんなモンをゴロゴロさせて歩いてたら邪魔になるし危ない』という夫の言葉を真に受けた私は(だって普段梅田なんて行かないし)、息子にTHE NORTH FACE の30ℓのリュックを背負わせ、自分はLLbeanのグローサリートートを持って現地に赴いた、そして到着5分で激しく後悔した。

(こんなん少年と中年2人分の人力で持って帰れるわけあるか、夫、今からおまえも来い)

各教科の教科書と各種数学青チャート、資料集に単語帳、それらをひとまず2つに分けてそれぞれのバッグに収めながら「お父さん…ちょっと許せんな」「今ここに来てみいって思うやん?」「お父さんて合格者登校日に教科書どうしてたんやろな」「お父さん高校私立やし」「なんそれ、まさかの教科書郵送か」などと悪態をつきながら、結局「自分が多めに持ったる」と言う息子が教科書を7割ほどを持ち、そのまま2人でふうふう言いながら制服の注文と運動服の注文、それから体育館シューズの購入を済ませた。

中学入学時は身長146㎝、親のわたしより頭ひとつ小さかった息子の身長は今わたしよりも3㎝ほど大きく、しかしわたしの方が体重は若干重い(なぜよ)。今が成長期で思春期の息子はとにかく肉がなくて身が細い、肺気胸になりそうなくらい細い。それなのに「親に自分より重い方を持たせるのはどうか」という気持ちで相当量の荷物を背負い、説明会では壇上の先生方の言葉を聞いて『新入生のしおり』にしきりにメモを取る息子の横顔はもう中学生ではなかった。まあ、筆記具は持ってきていなかったので貸したけど。

「君たちには今日が記念すべき高校合格の日でありますが、これはゴールではなくすべてのスタートです。日々互いに切磋琢磨し3年後の大学受験で自らの望む成果をあげられるよう努力していきましょう、大丈夫、君たちには必ずできます」

講堂のステージの上で、息子の落ちっぞ先生同様『ここはゴールではない』と、入学式の前からもう大学受験の話をしている学年主任の先生の言葉を聞いて口から細く魂の抜けてゆく母親を尻目に「ほーん」なんて当たり前の顔をして壇上の先生の話を聞いている息子を見ているとわたしは

「子どもというものは親の腹から生まれた、親とは完全なる他人、全く別の個体なんだな」
 
なんてことをしみじみと考え、次いで『自分と全く異なる人類をイチから生成し育成するなんて、なんだかどえらいことを始めてしまったのではないか』ということに今更思い至ったのだった、遅。
 
とはいえ春休み、宿題以外はさしてやることのない息子の部屋は今日も床にお菓子の包装紙や謎の紙屑が散らばり安定して荒れているし、高校入学後は忘れ物をしてもそうそう現地に届けることができないことはとにかく心配で、制服の類も電車に置いて来て紛失しそうで怖い(中学ではスラックスを1本紛失した)、いやそもそもこの子に毎日乗り換えありの電車通学なんかできるのかと心配ごとは水面の泡のように出ては消えてゆく。

それでも君の努力は君のもので、君の苦労は君のもので、君がこれから得る結果は君のものだ、当然君の喜びは全部君のもの、もう親のわたしのものじゃない。
 
3月、春休みの束の間を過ごす新高校1年生の横顔は、天気の安定しない春のようにときどき曇り、しかしときに春の陽光よりずっと輝いて見える。
 

 

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