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ほんとは自分でなんとかしたい

1992年に公開されたアメリカの映画に『ロレンツォのオイル(Lorenzo's Oil)』という映画がある。一人息子のロレンツォを難病に侵されたひとくみの夫婦が、息子を治すことのできる医師も治療法も治療薬もこの世にはないと知り、息子の残り少ない命の灯火が消えていくことを静かに看取る…ではなく、医者でもなんでもないこのご両親が息子の為に治療方法を探すことを始め、そしてついには、というあらすじの映画で、なんだかオー・ヘンリの『賢者の贈り物』のようなお話だなあと思っていたこれの恐ろしいところはこのお話が『実話に基づく物語』であるということなのですよね。

本当にあったこわくない話。

 『それは家族の愛の物語』

日本公開当時のことは田舎の女子中学生だった私の記憶にないのだけれど、そんなコピーがついていたかもしれないこの映画について思うのは、これは我が子への想いに突き動かされたご両親の愛の物語であると同時に、我が子の運命に対しての抵抗を通り越してもうやけくそのような気持ちの話なんやろなということ。

「エッ、治療薬がない?ないならないなりに何とかせえや、お願いしますよ、エッ無理?ほんなら自分で作ったろやないかいこんド畜生が」

ロレンツォの両親であるアウグストとミケーラが河内弁でそう言ったかどうかは知らないけれど(絶対言ってない)でも実際に疾患児や障害児の界隈では「何でも自作」というのは割とよくあることだったりする。例えば、医療ケア用のちょっとした道具やパーツ、仰臥している状態でも着脱のしやすい衣類、ケア用品の収納や運搬のためのあれこれ。

 そもそもがとても少数派である、障害、医療的ケア児と呼ばれる子ども達はその上、それぞれの個別性がとても高いので、その子の体と病態にぴったりのケア用品が存在していないことの方が、丁度いいものが既製品として販売されているよりもずっと多い。体を固定するための装具や移動用の車いすやバギーを使っている子ども達のそれは親御さんが手作りではないけれど、専門の技師によるフルオーダーメイドもしくはフルカスタマイズで、何ならケア用品を販売したり製造したりするために自ら起業してしまったというかっこよすぎるママも何人か知っている。

 さすがにロレンツォの両親のように治療法の確立に尽力した人までは知らないけれど、特別なケアの必要な子ども達が未来を生きやすいようにこの国に新しい法律を作ろうと東奔西走した人達は知っている、そしてできてしまった。みんな本当にすごい、みんなとても努力している、世の中の方がもう少し頑張れ。

 そして今、私もこの希少疾患、障害、医療的ケア児と呼ばれる子どもの親の最後尾あたりにいるひとりとして「これを自力でなんとかできたら…」と強く思って願っているものがあるのだけれど、それがまたちょっと難しいというか。

 だってそれは外科医、小児心臓外科医なもので、ちょっと気管カニューレバンドのように不器用な手でもってチクチク縫って自作する訳にもいかないものだし、じゃあ自分があの冷ややかな空気の流れる手術室の中に深緑の術衣を纏うひとになってメスを握ろうにも私は医師免許なんか持ってない。算数も理科も小学校の時点で苦手すぎて消去法的に文系の島に流れついた人間が理系学部の最高峰である医学部を今更志望するとしてその難所を突破する方法なんて私には神頼み以外、なにひとつ思いつかないのですが。

 そもそも私が何故いま心臓外科医をそれも小児の心臓外科医をそんなに求めているのと言えば、それはとても単純な話で今娘のかかりつけの大学病院に小児心臓外科医がいないから。

 うちの娘は先天性の心臓疾患児としてこの世に生を受けてこれまで3度心臓の手術をしてきた子どもなのだけれど、それぞれ10時間を超えた大掛かりな手術は生まれてからずっと今もお世話になっている大学病院で、そこに在籍していた小児心臓外科医の先生に執刀してもらってきた。

 でもこの春、ずっとお世話になってきた娘の大好きな先生が大学をお辞めになってしまった。大学病院にたったひとりしかいなかった小児心臓外科医のポストは空席となりそして今、夏になってもその空席は埋まることなく、どうやらこの状態はこのままずっと続くらしい。

「外科手術の必要な場合は別の、小児心臓外科医のいる病院にお願いして、普段の外来はこちらの病院で」

という形が基本になりますとのこと。娘は既に生まれてから今日まで通過するべき外科手術を一応ひととおり終わらせているので、よほど緊急のことが無い限り直近には外科手術の予定はないのだけれど、そうかと言って常人からすると無茶振りもいいとこの肺循環で生きているこの子にたとえば明日、血栓とか血管閉塞とか、外科手術案件の何かが全く起きないという保証はないし、まだ3回目の手術のあとしまつのような状態は続いていて、つい最近の検査では

「肺にいらん血管がもじゃもじゃ生えとる」

ということが判明。『側副血行路』という網の目ように細かい血管が年中低酸素状態の娘の体を何とかしようと肺に勝手にもりもりと生える、小児心臓医療界隈では「髪の伸びるお菊人形」と同じ位地味にイヤな感じの現象が娘の体にまた起きている。とは言っても当の本人は毎日家をお外を駆け回り、姉の机の中をせっせと荒らして兄のテスト勉強をひたすら邪魔し

「もうこいつを大学病院に入院させといてくれよ…」

と訴えられているぐらいに元気。でも皮一枚めくった体の内側では少々ややこしい事が起きているのだというから人体の神秘、普段からSpO2が88%しかないのに何でそんなに元気なんや。

 ひとまず、その呪いの血管は今後娘の特殊な肺循環には邪魔にしかならないのでカテーテルを使って詰めることが決まった。娘は足の付け根から細い管を体内に入れて、血管の流れに沿って肺に到達させたその管の中に金属片を流し入れ、それを肺の周囲に生えた不要な血管にひとつひとつ詰めていくという気が遠くなる程細かい処置をすでに過去2回経験している。『コイル塞栓術』と呼ばれるその処置の説明を初めて聞いた時、あまりに根気のいる、めんどくさそうな作業内容に私はつい

「そんな回りくどい事しやんでも、スパッと切って中の血管を取り除くとはではあかんのですか」

真顔で主治医の、小児循環器医に聞いた。そうしたら

「外科的に色々すんのが小さい子の体の負担にやからこういう回りくどいやり方をしとるんであって、細々した処置でいちいち開胸してたらその方がしんどい」

このお母さんは何をざつなこと言うてはるねんと、色々大雑把だけれど患児の身体の負担についてだけはとても注意深い主治医に呆れられた。ええ私、この子が3人目であることも手伝って実際とても雑なんです。

とにかく次はコイル塞栓術のための入院がある、手術室ではなく血管造影室で執り行われるそれは外科の守備範囲外の処置、でもカテーテルを使う処置というものは常に血管損傷からの大出血だとかその手の大事故の懸念が付きまとうもので

『不測の事態に備えて院内に小児心臓外科医のいる時に実施することが望ましい』

のらしい。わかる。娘は一度カテーテル検査中に房室ブロック、心停止をおこしたことがあるし『鼠径部から心臓に向って人体を串刺し』なんてこと素人の目からすると殆ど外科手術みたいなものだし、意図せず何かしらの事故が起きることはいくらでも考えられる。思いがけないところから猫ちゃんの一撃みたいにして一体何が飛び出すかわからないというのが定石の業界だもの。

で、院内に小児心臓外科医ですが、

いないね。

それで安全を考えると、ここではなくて今後外科手術をお願いする方の、それだから小児心臓外科医のいるほうの少し遠くの病院にお願いするのがいいのではないかなという話が出たのだけれど、それは私が

「ここがいいんです、先生が診てくれないとイヤです、ここにしてください、してくれないと暴れます」

なんてことを言う前に、かかりつけの大学病院が引き受けてくれることが決まった。聞けば向こうの、小児心臓外科医のいる方の病院の枠が結構一杯になってしまっているのだとか、これは別のひとから聞いた話だけれど、沿線の別の大きな病院で長年執刀されていた小児心臓外科医の先生も最近退職されたらしい、その影響もあるのかもと。

知らない間に私たちの暮らす沿線地域に、娘の人生にとってはある意味親より重要な小児心臓医外科医が、世界から娘の命を守ることのできる希少な専門医がじわじわと消えていなくなっている。そんな考えが頭をぐるぐる巡ってしてしまうのは

「小児心臓外科医は絶滅危惧種と呼ばれています」

という文言が私の頭に深く刻まれているからで、それを誰が言ったのかといえば、小児循環器学会のHPのなかのひと。身内中の身内が「いません!」と声高に言ってしまっているのは一体どうしたらいいのですか先生方。業界全体がそう言っている、信憑性がありすぎる。それなら絶滅危惧種として保護をしてくださいよ、保護を。

 望んだところで誰にでもなれるものでもなく、修練期間はとりわけ長く、手術には細心の注意と高度な技術を要し、術後の安定には相当の時間と神経を使い、その間ちっとも家に帰らなかった…のはうちの娘の執刀医だけかもしれないけれど、彼を基準にしてしまうとおおよそ人間らしい生活ができるようには思えない。小児心臓外科医とは職業では無くて生き方、修行僧のような日々。それになりたいと願って叶えた人はその人生に引き受けることになる、そんなものには

「今はあんま、なりたがらんのかもな」

というのはうちの娘が普段外来でお世話になっている先生(小児循環器医)が言っていた。今でこそ最前線は退いているものの、病棟に張り付いていた時代は一体いつ帰ってるのか病院にいるとしても一体どこで寝ているのかひとつも分からないような生活をして、娘の最初の手術の頃、病棟で手術室の空くのを待っていた生後3ヶ月の娘の様子を毎朝7時きっかりに見に来て、血管閉塞による急変の時も「今日はホンマはいない」はずなのにそこにいた人がそんな風に言うのだから、まあ、そうなんだろうな。

『それは病院や報酬の制度の問題であり、労働環境の問題であり、そして医局制度というものの権威の薄れた現在では解決の見込みのない問題ですよ』

まあしょうがないよ。

そういうことをいろいろと内情をご存知の方にもよく言われるし、直接言われなくとも何となく伝え聞くのだけれど、患児の母としてはいま、小児心臓外科医を求めて病院をコロコロ変わるという事態を何より避けたい。娘にはいつもの決まった場所でいつもの先生から手技を医療を受けさせてやりたい、今後も根治とか完治とかそういうゴールのない疾患児にとって病院というのは時々行くことのある『痛くてすこし嫌な場所』ではなくて『生活の一部』なのだし。

 できればいつもの先生のいる病棟で、いつもの看護さんのいてくれる病室で、いつもの黄色いカートに乗って、いつもの血管造影室に運ぶことくらいはしてあげたい。小さな子どもにとって『変わらないこと』はとても安心なことだから。第一それに慣れるまで『ここはがんばらないと仕様が無いんだ』と覚悟して泣かずに血管造影室に行けるようになるまで、ほんとうに、随分長い時間がかかったのだから。

 それに本当に緊急の、そして不測の事態が起きた時、そこに小児心臓外科医がいるかいないかがその子の運命を分けるかもしれないといったら、それは少し大げさだろうか。

「小児心臓外科医は、去年の春に心不全を起こして死にかけていた子が、次の年の夏には手足をこんがりと日焼けして膝小僧には擦り傷、お気に入りのみずいろのワンピースを翻して駆けてくる姿を作ることのできるお仕事ですよ」

そう言っても「そうですか、それなら!」とはやっぱり安直に思わないものだろうなあ、第一誰にでもできることじゃないのだろうし、確実にきつい仕事だというのは、ずっと娘の治療に付き添ってきた患児の母である私にはよくわかる。

 でももし、それでも小児心臓外科医を目指して頑張っていますという若い方がいたら、別に若くなくてもいいのだけれど、今この段階から私が世界で一番深いマリアナの海よりも深く感謝します。仮に私が「いないなら自分が小児心臓外科医になります」なんて意気込んだとしてももう年も年だし、アタマのスペックは…まあ言うに及ばないというか、とにかくとてもなれそうにはないので、どうか頑張ってください、もうほんとに。

未来のあなたが切って初めて、うちの子のような子ども達は未来というものを掴みます。

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