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1年生日記(8日目)

4月17日

小学校ではひらがなを、あいうえおの『あ』から習う。

わたしもかつて小学生だったうんと昔そうだったので、特に新鮮な驚きというものはそこにはないのだけれど、よくよく考えてみると一体何なのだろうかあの『あいうえお』って。

朝、ウッチャンと一緒に登校して1時間目のおわりか、2時間目の途中頃まで廊下でそっと立って(椅子も用意していただけたけど、座るとウッチャンが視界に入らない)ウッチャンの口唇の色、手指の血色、それから次第に姿勢が傾いて机に突っ伏したりしていないかを見守り、4時間目にまた学校に戻ってくるという日々の中でわたしは今、人生で2度目の小学1年生をやっている気がする。

『そこに子どもがいると、自分の子どもだった頃のあれこれをもう一度体験することができるもので、自分は子どもがとても好きだ』

このようなことを仰っていたのは作家の川上未映子さんで、わたしもそれと同じような理由で子どもらのことをとても好きだなと思う。それが仮に自分の子ではなくても、そこに小さな子どもがいてくれるとなんだか嬉しい。そして年を取るごとにわたしにとっての子どもの裾野は広がり、今20歳くらいまではわたしの中では全部『子ども』だ、わたしにとっての『子ども』の定義はみらいあるいきもの。

で、件のあいうえお、何やねんアイツは。

それについては、わたしの子どもの頃にはひとつも存在していなかったスマホで調べたら、たちどころスマホがわたしに答えをくれた。

『あいうえお」の段順、「あかさたなはまやらわ」の行順は、インドの字母表の配列に従ったものです。梵語の発音は非常に複雑で、文字数が7,000以上もあり、元の字母表も長大なものでした。五十音図は、それを日本語に合わせて簡略化したような組み立てになっています』

それはむかし、密教を学ぶ僧侶たちのインドの字母表に習って作られたものなのだそうだ。ものには理由があり、そして歴史がある。

その「あ」に1年生の教室であらためて出会う子ども達は、まずは先生に「あ」がつく言葉を一個ずつ教えてください言われて、ひとりずつ「あ」が付く言葉を考え考え、発表していた。

あめ、ひあり、あり、あくび、あしか、りんごあめ、あひる、あき、あいす、あんこ、あいさつ、あじあ、ひなあられ、さむらいあり、あかいろ、あるく、あんてな、またあした。

先生の字で黒板に連なる「あ」のつく言葉はわたしが覚えている限りこんな感じ。おかげでクラスにひとり昆虫博士がいることが分かった。ウッチャンが発言したのは「あめ」で、それは多分rainではなくてcandyの方だろうと思われる。全部のことばが連なるとなんだか詩のようになるのだなあと、ちょっと楽しかった国語の時間。

ところで、令和の小学1年生の識字率は高い、これにはちょっとびっくりした。

教室をざっと見渡したところ、ほぼ全員が読めているし、自分の名前を書くことも出来ている。ウッチャンはこの件についてはかなり出遅れた感はあるものの、一応読めるし、不完全ながらもまあまあ書ける。

けれど、視知覚の脆弱なタイプであるウッチャンは、文字や図形を見せて「これと同じのを書いてごらん?」と言われて紙と鉛筆を差し出されると

「ウーン…」

と唸ってから手が止まってしまうタイプの子で、例えば平行四辺形を見せて出てくるのは長方形だし、星のカービィはなぜか楕円のミドリムシ様の生き物として描かれる。

少し前までウッチャンが世話になっていたPTさんが言うには「ウッチャンのような疾患で入院歴の長いお子さんは、自分が知る限りこの傾向にある子がとても多い」らしい。

実際ウッチャンは乳幼児期の半分を病院で過ごしているし、やっと入園できた幼稚園だって風邪だの疲労だの検査入院だので3年保育の半分も通えたかどうか。酸素の循環が上手くゆかない身体は常に低酸素状態で、運動に関する機能に問題こそないものの、あのでっかい酸素ボンベを常時携帯していては、野山を駆けまわる訳にもゆかない。

故に「心身諸々の発達は総じて1年から下手をすると2年は遅れがある、そう思いましょう、ゆっくりできるようになりましょう」そう言われて乗り込んだ公立小学校の普通級で、ウッチャンは国語の初手、「あ」に大苦戦していた。

多分、元は学校の先生なのだろうと思しき年輩の、そして笑顔のとびきりやさしい補助の先生がウッチャンの手を取り、「あ」の二画目の縦の線を右に向って

「ほら、こっちに向ってシューって、ね?」

そう促してくれるのを、ウッチャンはなんでだか左に流してしまう。それやとこの文字の行く末は「あ」やなくて「お」やないかいと、例の『ささやき女将』がわたしの中で発動しそうになるけれど、ここはぐっとこらえてもう一度先生が「はいじゃあここで右にねえ、シューっと書きましょう」と指導してくださっているのをじっと眺めていた。

そうしてウッチャンの「かきかた」のプリントに出来上がったのは、「あ」のような「お」のような平仮名の亜種。

(これは、家で練習させなくては…)

見たものを見たまま書くということが苦手で、発達関連の検査でも「はいじゃあこれを書きましょう」というお絵描きテストを不得手とするウッチャンの特性(か?)がここに来て平仮名学習を阻害している。わたしはちょっと焦った、そしてそのすぐあと、この焦燥って実は贅沢な話なのだよなと思った。

大体ウッチャンという子は、今から3年前の術後死にかけて、辛うじて命を繋いだIUCで鎮静を解いても一向に目を覚まさず、半覚醒状態で戻った病棟では夜半に何度も原因不明の痙攣をおこし、その後はあったはずの発語が消え、立つことも歩くこともできないまま「体に麻痺が残るかもしれない」と言われていたの子なのだから。

そして当時のわたしは、なにができなくてもウッチャンのことは絶対に自宅に連れ帰るのだと、自分の手で育てますと病院で宣言していたはずだ。それがいま「あ」が書けてへんやんということで焦っている、喉元過ぎればなんとやら。

(3年前の術後難渋を思えばいま「あ」が「お」になるくらい、なんやねん)

わたしはわたしの頭を脳内で一発引っ叩いた。

ちょっと自分の子が病院の世界から卒業して普通に学校に通えるようになったからって調子こいてアホかわたしは。給食が食べ切れないことだって、あのひとつも嚥下ができなかった経管栄養児時代のリハビリ生活にくらべたらなんてことはない。

そんな風に猛省した今日の午後、誰かがわたしの履いていたカーゴスカートをちょいちょい引っ張った。それはウッチャンと同じクラスの、長い髪に優しい顔立ちの女の子だった。その子は一昨日「お家に帰りたい、お母さんがいなくて寂しい」と言ってお席で泣いていた子で、今日も寂しくなってしまったそう。

「寂しなったん?」
「ウン」
「そっかあ、でももうすぐ、お帰りの時間やしね、もうちょっと、がんばろ」

女の子があんまり悲しそうだったので、わたしはその子を何となく慰めるようなことを言ってしまったのだけれど、よく見るとその子の名札には学童に行く子のしるしのシールがぺったりと貼られていた。

「あ、でももしかして、今日はお帰り時間のあと学童に行くん?」
「ウン」

1年生の慣れない環境、長く親しんだ第二のおうちとも言うべき保育園とはお別れをした4月、放課後も引き続き今度は学童となると、どんな子だってやっぱり緊張や疲れもあって「お家に帰りたい」という気持ちもなるのかもしれない。

ウッチャンは、お休みしながら授業をうけないと体が持たないし、親の付き添いは今必須だし、体力的にも見守りの人員的にも学童には絶対入れて貰えないタイプの子だけれど(何ならデイサービスも近隣に動ける医療的ケア児を受け入れてくれる施設がないので行けない)、その真逆の立場にある子だって1年生の今はすごく大変何だろうし、相当頑張っているのだ。

その子には、おばちゃんは先生ではないので、お教室のあなたに付き添ってあげられないけれど、先生が来たらあなたが淋しいって言っているよって伝えるからねと言い、お席に座って貰った、ほどなくして補助の先生がその子の傍に来てくれた。

ウッチャンだけじゃなくて、みんな頑張ってる。

みんなえらいんだ、1年生のみんなが一番えらい。


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