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1年生日記(2日目)

桜散らす大雨の朝。

雨が降って初めて気がついた、わたしときたら雨の日の車椅子移動の際の雨具というか、装備は一体なにが最適解なのか、ぜんぜん考えていなかった。

そもそも車椅子という乗り物は悪路や悪天候で使用されることを想定していない(ですよね?)。ウッチャンの電動車椅子はバッテリーとフレームがYAMAHAで、座面は別会社のセミオーダー品。長時間座っていても疲れないように、そして夏場に蒸れないように、身体のカーブに沿った形に作られたメッシュ素材で中身が多分ウレタンスポンジのシートは、背もたれも座面も雨にぬれると水がしみこむ。

ひとまず今朝は背もたれ部分を、そこに引っかけてある酸素ボンベもろとも透明なゴミ袋で包み、さらに座面は少し大きめのレインポンチョを着せたウッチャンを乗せるという形でシートが濡れるのを防ぐことにした。

そんな姿で朝、集団登校の集合時間に階下に降りると、そこには登校班の出発を待つ小学生の主に女の子達が色とりどりの傘に、赤やピンクやうす紫のウインドブレーカーを纏っていてとても可愛らしい。対してウッチャンは、兄のお下がりの迷彩柄のレインポンチョ、そこにただよう益荒男振り。

「あたし、これ嫌だった…」

今朝の空模様と同じ、雨模様の表情のウッチャンと一緒の登校2日目、クラスの子どもたち全員が使う昇降口から学校に入ることを1日目にして「いや、これはさすがに無理やから」とあきらめ、そこのすぐ近くの渡り廊下にウッチャン個人の靴箱をひとつだけ設えて貰った、そこを通って校舎の中へ。

昨日発覚した「車椅子を降りて酸素ボンベのケースを車椅子から取り外したところで、それを運ぶカートがなければウッチャンはひとりで動けないのだが?」というハード面の初歩的ミスは、この日

『最初からウッチャンの出入り口に酸素運搬用のカートを置いておけばいい』

というごく単純な解決方法により解消された。なんでもやってみないとわからないというのが、この業界(医療的ケア児業界)の定石であるなあと思うなど。

登校2日目のこの日の朝は

『ランドセルに入れてきた教科書類と、手提げ袋に入れて持参したお道具箱をそれぞれ机に仕舞い、ランドセルをロッカーへ、そしてロッカーの上に水筒を置く』

これが朝の会までにクリアするべきミッションだった。ウッチャンは机の上に置いたランドセルの中身を取り出して、中に入っている教科書、筆箱、連絡袋を机の中に仕舞うまでは上手に出来たものの、ランドセルを片手に持って、さらにもう片手に酸素ボンベを引いてロッカーまでたどり着くのが毎度結構な難問で、更にその後また席に戻って水筒をもう一度ロッカーへとなると、子ども達で混雑している教室での2往復目は流石にちょっとという感じで、この時は先生の補助の手が入った。

この補助の手をどこで入れるか、必要な補助にどうやって気づいてもらうか、これが2日目に感じた課題。

発達に関して、幼児期も幼稚園在園中もずっと「年相応とは言えない」という評価だったウッチャンは、この冬から春にかけて、わたしと「幼稚園行かないッ!」「行きなさいよッ!」という死闘を繰り広げながら週5日間必死に幼稚園に毎日通ったためか、ウッチャンのことを「わたしが立派な小学生にしてみせます」と獅子奮迅の健闘を見せてくださった年長のクラス担任の先生のお影か、なんだかすこしだけ年相応というものに見えるようになっている。

ウッチャンはここ2日間、わたしが見ている限り

先生のお話しを静かに聞く
手をあげて発表、もしくは質問をする(ただ、声は超ちいさい)
先生の指示に従い廊下に必要物品を取りにいく
休み時間、自主的にトイレにいく 
集団に遅れないようについて行く

そういうことがちゃんと出来ている。なんだか普通の小学生のようじゃないの。

それはとても喜ばしいことだけれど、こうなるとこの4月、まるで波間にたゆたう海月のように1年生のあっちのクラス、今度はこっちのクラスと、要支援児童の傍らにやってきて「ほら、今は筆箱はいらないよ?」「廊下に出たいの?ウーン、じゃあ支援教室の方に行こうか?」と、どうしてもじっとしていられないお友達に付き添う数名の支援教室担当の先生はウッチャンの傍らにあまり来なくなってしまう。一見、困っているようには見えないからだ。そして当のウッチャンはまだ

疲れた
寒い
休みたい

このウッチャン要支援3大文言をほぼ初対面の先生方には訴えられないので、わたしが廊下からつぶさにウッチャンの様子を観察し、ウッチャンが目をしきりにこすり出したり、机に突っ伏したりと「疲労」のサインを出し始めると、それがたとえ授業中だろうとスッと黒子のようにウッチャンの元に近づいて「疲れた?」と聞いては支援クラスの方に退避するということをやっている、まあまだ2日目だし。

加えて今日は花冷えの、とても寒い春の日だったので始終

「いま、さむい?さむくない?」

を廊下からウッチャンがこちらをちらちら見るたびに、アホみたいに口パクとジェスチャーで聞いていた。のではあるけれど当の本人は(え、なに言うてんのおかあさん)と小首を傾げるばかり。

(ああわたしにイルカみたいな、テレパシー(超音波で会話ができるだっけ?)の力があったらなあ)

この日、何度そう思ったかわからない。

支援教室の先生方はふだん「ここに座っているのが嫌だなあ」とか「今何をしたらいいのか全然わからないなあ」なんていう授業中の困りごとが目視ですぐにわかる子さんを対応することが多いので、ウッチャンのように『疲労と、寒さ暑さが命取り』という子のピンチは目視ではわかりにくいのだろうけれど、お願いよく見て、そしてわかって。

この件についてはもう、ハンドサインを決め、かつ「しんどい時はそれが校長先生のお話しの最中でも挙手で訴え出るくらいの度胸を持て」と躾けるしか、ないのかもしれない。

自身の窮地をみずから訴えることができるようになるのが、ウッチャンの自立への第一歩。

だっていくらわたしがこの6年間の鍛錬を経て、目視でウッチャンのSpo2(酸素飽和度)を言い当てられるようになったとはいえ、このままずっと一生わたしがウッチャンに貼り付いて歩く訳にはいかない。

「学校では自分でなんでもやらないとあかんねん、しんどくなったら自分で先生に言うこと、運動服に自分で着替えられるのはエライけど、脱いだものを次々お母さんに渡そうとするのはやめなさい」

雨が止んで空気のしんと冷えた帰り道、わたしはウッチャンにそう伝えてみたけれど、ウッチャンはやっぱりまだまだピンときてない様子。

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