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シュウちゃんが私に作る轍(わだち)の話。

シュウちゃんの話をします。

シュウちゃんて誰やねん。

シュウちゃんは私の従姉妹の子、もうすぐハタチの男の子、私の産んだ3人の子ども達にはハトコにあたる。

シュウちゃんの母である私の従姉妹は、ここでは仮にノンちゃんにしておくが、私よりほんの少しだけ年上で、20代の前半にシュウちゃんを産んだ、私のような他府県流出組と違って地元に残った子の結婚や出産は大体早い。

シュウちゃんとノンちゃんは今、私の実家の近所の田舎町でシュウちゃんの祖父母、すなわちノンちゃんの両親と暮らしている。

シュウちゃんが生まれた時、私はもう実家を離れ、京都の大学に通っていたので、子どもの頃よく遊んでくれた従姉妹、ノンちゃんの出産を祝う事が出来なかった、というかこのノンちゃんの子であるシュウちゃんの誕生は結構長い事その詳細が伏せられていてあまり実家の話題に上らなかった。

シュウちゃんの祖母は私の母の姉にあたるひとで、即ち私の伯母で、近所に住む伯母と母の姉妹は古希を超えた今もとても仲が良い、田舎のひとはとにかく親戚付き合いがマメで密だが、それ以上にしょっちゅう互いの家を行き来している、それなのにその頃その時、母が伯母から聞かされたシュウちゃん誕生の一報は

「ノンが子どもを産んだんだけれどちょっと…今は…兎に角お祝いとかはいいから」

という事で、お姉さんがああ言うのにはよほどの事情があるのだろうけど、お互い近くに住んでいる訳だし、何より出産はお祝い事なのだしどうしたものかと母が電話で困惑していたのを当時20代だった私はよく覚えている。

伯母が、本来なら慶事である孫の誕生の詳細を伏せる理由はふたつあった。

ひとつはノンちゃんが結婚していなかったこと。

もうひとつはこのシュウちゃんが21トリソミー、ダウン症の子として産まれ、重い心臓病を併発していた事、そして出生後数か月で白血病を発症したためだ。

シュウちゃんは生まれて即、かなり命の危ない赤ん坊だった。

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ノンちゃんは、私と同じ中学校に通っていてよく顔を合わせていた10代の頃、ちょっと90年代の沖縄アクターズスクール的に八重歯の可愛いアイドルみたいな顔をした女の子で、ちょっと、ほんの少し、控えめに申し上げてヤンチャなタイプの子だった。

ヤンチャという表現でとどめさせてほしい、私もひとの子、身内への身バレが怖い。

可愛いとかアイドルとか書いたのでこの文章が露見したその際、どうか見逃してください美しい従姉妹よ。

とはいえノンちゃんは盗んだバイクで走りだしたり、鉄板を仕込んだカバンで隣の中学校の不良グループを殴り倒したりするタイプではなくて、どんなタイプよ、ちょっと体育会系にコワイ感じ、仁義重んじちゃう感じの懐かしのフリョ…イヤなんでも無いです、例えば当時のまだ裏社会並みに学年ヒエラルキー構造厳しかった田舎の中学校にあって

「この子アタシの従姉妹、よろしくね~イジメたりすんなよ~」

と地味の権化みたいに冴えない従姉妹の私の為に当時所属していた吹奏楽部の部室にやってきて周囲に釘を刺す、そんな感じの頼もしい姐さんみたいな従姉妹だった。

お陰で上下関係厳しくかつ女子が部員の圧倒的多数を占める大奥的構造の吹奏楽部にあって私は1、2年の先輩絶対王政の時期に無事平穏に過ごしていたものだった、パートはコントラバス、低音で地味な音で打楽器といつも一緒に運ばれてしまうあのでかいバイオリンみたいなヤツ。それは置いといてそのノンちゃんはそのまま地元の学校を卒業し、20代前半で結婚するかもという話が出てそうかそうなのかおめでとうと思っていたら、どういう訳か赤ちゃんが先に生まれていて旦那さんがいなかった。

ノンちゃんの赤ちゃんが生まれて、色々あって退院して今は伯母さんの家で暮らしてるよと母からの電話で聞いた時、当時はたちそこそこだった私は開口一番、母に聞いたものだった。

「旦那はどうした!?」

旦那、正確に言うと旦那さんになる筈だった人は、ちょっと順番が後先になってノンちゃんのお腹に赤ちゃんがやって来て、結婚式や披露宴は身ふたつになってからやねと言っていた妊娠後期、どうも胎児の体重が増えない、これは何かおかしいからと地元の産院から周産期センターのある大きな病院に転院して詳細を調べ、シュウちゃんの21トリソミーが発覚した時

「そんな子は俺の人生にいらない、欲しくない、産まないでくれ」

と言い放ったらしい。

また聞きではあるが旦那、オマエは何を言っているんだ、妊娠はもう後期やぞ。

もともと極妻シリーズの高島礼子か岩下志麻並みにキップが良くて気の強いノンちゃんは、その旦那予定のひとの全・妊婦経産婦を敵に回すかの如き言葉に、こう言い返したらしい

「それならアタシの人生から出ていけ!」

勿論妊娠後期に突入してからの堕胎など出来る筈もない。

それより何より妊娠後期まで胎内で育てて胎動を感じ、楽しみにその誕生の日を待っていた胎児について話し合いの前に『いらない』と暴言を投げつけられ、絶望のはるか先に怒りが脳内に到達したノンちゃんは旦那になる筈だった恋人を家からもノンちゃんの人生からも文字通り蹴りだした。

何しろ昔取った杵柄、喧嘩上等、気も強ければ、腕っぷしも滅法強い。

それで正期産になる少し前にこれは早々に外に出してあげなくてはという主治医の決定判断の元、帝王切開で生まれたシュウちゃんは、転院先の主治医のお見立て通り、21トリソミー、更にファロー四徴症、急性巨核芽球性白血病、そして強度の難聴を持って生まれてきた。

それちょっと荷物背負いすぎちゃう?と、今でも思う。

同時に今ならわかる「先天性疾患」の称号を背負ってこの世に生を受ける子は、大体大荷物で生まれてくる、ひとつの疾患だけ、ひとつの障害だけで話が済む事はあまり無い。

少なくとも私の周りでは。

そしてそれちょっと荷物背負いすぎちゃう?とやっぱり思う。

👟

ダウン症は21トリソミーとも言われる、私はどちらかというと21トリソミーという言い方をする、特に理由はないけれど、医学的な言い方をした方が一般使われている『ダウン症』のイメージより冷静で客観的な印象を持てる故だろうか、ことばの力よ。

これはヒトの体細胞の21番染色体が通常2本のところが3本の状態で生まれるためにそう言われるもので、筋肉の緊張低下や特徴的な顔貌、成長障害などが見られ全体的にゆっくりと成長発達を遂げる遺伝子疾患の事、ハイWikipedia調べ。

新生児に最も多い遺伝子疾患であるという。

専門家ではない市井の主婦の私がこの件を詳しく書く事は難しいしその立場にないと思う。

ただ私がシュウちゃんの誕生を聞いた時、その21トリソミーが心臓疾患と白血病を併発することがある、ついでに耳の障害や他色々もと聞いて

「何それ神様酷ない」

と率直に思った。

神様、酷くないですか。

そしてその当時まだ独身で子どももいない身の上だった私は、赤ちゃんは一体どういう状態なのか今後はどうなるのかどうするのかなど想像することすらできず、まず先に心配になったのはその直近の命が危ないのかもしれない赤ちゃんだったシュウちゃんよりも、昔からよく知っているあの頼もしいアネゴ肌の従姉妹、ノンちゃんの方だった。

ノンちゃんはどうしてるの、その子の状態に落胆して、そしてその子の行く末に絶望して泣いて暮らしているのじゃないのと。

すると母はこともなげにこう言ったのだ。

「ノンちゃん大型の運転免許取ってトラックに乗って配達の仕事しとるよ」

「はぁ?」

ノンちゃんは、この子は私が一生面倒見る事になるんやと文字通り腹を括って手術台に上がった帝王切開の産後すぐ、それまでは田舎の小さい会社の事務員だった自分ではこの子の一生を支えきれない、でもアタシ勉強嫌いやしどうしようと考えあぐねてそれで

「トラックの運転するか!」

という結論を出したらしい、何それ強ない、ノンちゃん無双か。

確かに車の運転が好きで得意で休みの日には高速でどこにでも出かけるとは聞いていたけど大型て。

『男業界』という表現は、あまりこの令和の時代に使う事は相応しくないのだろうが当時、平成の中盤、そのでかいトラックを多分その男ばっかりの業界であろうそこで屈強なおにいさんやおじさんに立ち混じって働く事を決めたらしい。

尚、太古の田舎では女子と言えども免許はAT限定ではなくミッションで取るようにと親から口うるさく言われたものだ、だって田舎と言えば農家、農家の軽トラが今はどうか知らないがミッションしかなかったから、そういう時代があった。

あと私は流通や運送の業界の事はよくわからないが、普通の勤め人でいるよりは自由も利くし、女1人で障害のあるそして病身の息子を食わせていくにはと考えた結果なのだろうと思うけど、毎回その決断と方法論に気合と根性があふれすぎてやしないか、ノンちゃんらしいと言えばそうだけど。

それでノンちゃんは、ノンちゃん実家の母、すなわち私の伯母と二人三脚で、まずは長丁場の治療になる白血病をどうにか完解、そして次に1歳になってある程度のまで体重が増加し、血管や肺の状態の安定するのを待って、心臓の、これは21の子どもが併発しやすいファロー四徴症の中でも重い『極型』と呼ばれるもので、地元には執刀可能な医師が居ない、故に他府県から小児心臓外科の医師を招聘するという大がかりなものだったらしいが、根治手術に挑んだ。

その間、ノンちゃんは大型トラックで、昼夜を問わず玉ねぎを運んだり、ニンジンを運んだりしていたらしい。

『らしい』というのは、不義理にも程がある私はこの間、ノンちゃんとシュウちゃんが生存を賭けて戦っている数年、ずっと関西で暮らしていて碌々実家に帰っていなかったのだ。

それで、私がシュウちゃんに初めて会えたのは、私が第1子である息子を妊娠して初めて帰省した11年前のお正月の事だった。

👟

「シュウちゃん、お客さん来たらすごく喜んじゃうからびっくりせんといてね」

それが、年始の挨拶に伯母さんの家に行く時の母からのシュウちゃん初対面の注意事項だった。

びっくりって何よ、何か攻撃でもしてくるんか。

「え?なに?大声でも出すんけ?」

「シュウちゃんは耳が聞こえないから会話はできないし大声も出さないんやけど、ん~…行けばわかる」

行けばわかると言われて、本当に久しぶりに訪れた伯母の家の玄関。

私は母の『大変』を大体10秒で理解した。

当時支援学校の3年か4年生だったシュウちゃんが来客を察して、彼には玄関のインターホンの音は聞こえないので基本

『ばあちゃんが玄関に言ったら!客!』

と理解しているらしいが、それで伯母が私たちを迎えた玄関に文字通り飛んできて

(客!まってた!!)
(コンニチハ!僕シュウちゃん!)
(ちょっ!アンタ!しらない人やん!?だれだれだれだれ??)

この間、シュウちゃんは一言も発していない。

何しろ補聴器が太刀打ちできない強度の難聴、知的な発達がゆっくりな事も手伝って発声や発語の訓練は出来なかった彼は「アー」とか「ウー」とか小さい叫び声しか挙げていない筈なのだけれど、これがまた表情が豊か過ぎて大体何を言っているのか何が言いたいのか初見の素人にも大体察しがついてしまうのがすごい。

「シュウちゃん、ホラ、ワンコの家のおばちゃんのウチの子、娘」

伯母が手話というかハンドサインでシュウちゃんに教える、シュウちゃんはよく伯母にくっついて、やれ野菜の届け物だ、冠婚葬祭の配りものだと私の実家を訪ねていたので、私の母と姉、そして玄関に鎮座するウチの柴犬をよく知っていた。

そこに更に実は娘がもう1人いたと聞くと、うん、聞いてないな手話で説明をしてもらったシュウちゃんは余計ヒートアップして

(おいおい!そんな新キャラかくしてたんかい!)
(家入って!一緒にあそぼ!あそぼ!)

私の腕をとって結構な力で引っ張った。

これは大変だ。君は何故そんなにお客さんが好きなんや、人懐こいにも程があるぞ。

それを見た伯母は驚いてシュウちゃんを制し

「ダメダメ!この子、おかあさん、おなかに子ども!」

自分の下腹部に膨らみのハンドサインを作って見せた、その時のシュウちゃんの

(ウッソ!?マジマジマジ!?赤ちゃんどこどこどこ?)
(僕あかちゃんだいすきや~!) 

という表情は忘れられない、笑った、何この可愛い生き物。

これ本気でそんな表情で、私はその胎内の子の父である夫にすらこんなに表情豊かに妊娠の事実を喜んでもらった事はないと思う。

シュウちゃんは、小さい子、とりわけ赤ちゃんが大好きなのだと言う、この頃シュウちゃんは度々心臓のちょっとしたメンテナンスや検査で遠くの病院に入院していて、その時に入院中の赤ちゃんに会うと、それはもう取り乱す程喜んで、何かと顔を見に行きたがるのだと伯母から聞いた。

故に大部屋での赤ちゃんの同室がNGになる位らしい。

お陰で私はシュウちゃんにその日相当大切にしてもらった、もうお大尽。

(コレはお餅、食べて)
(コレはかまぼこ、食べて)
(ぬいぐるみかしてやろうか)
(寒くないか)
(ネコいるか?)

あれもこれも持ってきて、ついにはこたつで寝ていたその家の飼い猫まで無理やり抱えて持って来て、怒り心頭の猫にしたたかに引っかかれていた。

この子とこの家の猫はとても相性が悪いらしい、凄いわかる、構いすぎやし。

あと田舎のおばあちゃんか君は。

そして、シュウちゃんはその日、家族の中心にでんと座って楽しそうにしていた、特に特別扱いはされていなかったが、せいぜい喜んで走り回ると、心臓の持病の所為で息が切れてしまうので

「走るな!!」

と母親のノンちゃんに叱られている位。伯父や伯母、そして従姉妹たち、一族の連なる正月の集まりの中に普通に参加していた。

皆彼が居る事についてとても普通だった。

私はこの時この当時30歳になるまで、失礼を承知で言うがわかりやすい「障害者」という人の隣に座った事が無かった。

だから結構に緊張してこの日、それなりに予習をして挑んだのだ実は

ダウン症とは21トリソミーとはその特徴とはそして併発している疾患について。

それはどんな症状状態実情なのか何に気をつけるべきなのか

未知との遭遇はやはり怖い、対面のその時、いつもうかつな私はつい差別的な行動言動表情をするような事をしないだろうか。

しかし結論として

「なんか普通」

と思って普通に接していた、それが感想で結果で結論だった。

だって回りがすごい普通にしているのだから。

彼は言葉を超えたオーバーリアクションと、手話とハンドサインを駆使したコミュニケーション、人懐こさ満載、そして人に食べろ食べろという癖に全然ご飯を食べない、そんな子で

シュウちゃんはあまり食べ物に執着がないらしい、それ、私が調べて知った21の子の特徴と違う、お陰でシュウちゃんはすごく身が細い。

障害とか疾患とかそいういうものは実はその子の一面でしかなくて、それを覆うほどの個性みたいなものがちゃんとあるのだと、私はその時に知った。

私はその後も21の子でシュウちゃんみたいに初対面からぐいぐいくる子にあった事が無い。

いやウチの子はもしくはウチの同じ21っ子の我が子はまたは兄は姉は弟は妹はぐいぐいきますよ!という方、ご一報ください。

私はその日、赤ちゃんが生まれて帰省したらまた来るねとシュウちゃんに約束をした。

シュウちゃんはすごくすごく喜んで身振り手振りでこう言った。

(はよ、産め、今、産め!)

この時妊娠8カ月。

イヤ、それは無理。

👟

シュウちゃんにあの日あの時感じた「普通」が母親であるノンちゃんと同居の祖父母、私の伯母と伯父の不断の努力によって構築されたものだと理解したのは、それから9年後の事だ。

障害のある子を産んで育てて、治療して、地域の保育施設に入れ、療育して支援校で楽しく過ごすこの流れを淀みなく繋ぐ事の困難を笑ったり泣いたりしながら続けていくことがどれほど壮大な物語であるかという事を。

この出会いの9年後、私は重度の先天性心臓疾患児の母親になる。

22週目の胎児の心臓に異常があるとわかった時、衝撃だったし、悲しかったし、この世界に障害のある子を産むことが心底怖いと思った。

この子を無事に育てられるのだろうか。

それでこの子を障害故の世の理不尽から守ってやれるのだろうか。

この子の将来はどうなるのだろう。

そう思いながら挑んだ出産、その後の治療と育児の道半ばの今、私はシュウちゃんの事をよく考える。

この心臓疾患児、末っ子の娘②が少し長い距離を歩くと息切れしてしまう時は

ファロー四徴症の根治後とは言え、家の周り走り回ってへんかったかあの子、ノンちゃんが止めてもアカンもんな、苦しないんかあの子とか。

来年度の幼稚園入園が微妙に頓挫しかけている今この時は

何の事情か公立の保育園への入園をやんわり拒否されて、ブチ切れたノンちゃんが地域の私立の保育園や幼稚園にかたっぱしから電話して「ウチの子みたいな子預かれます?私が働かないと親子で干上がる事になるんです!」とド本気で訴え、キリスト教系の小さな保育園が引き受けてくれた事とか。

ノンちゃんの育児はいつも気合と根性に溢れている。

実際、そうでなければこの手の子は育てられない。

そして次に予定している大きな手術を控えての長い入院生活、娘②が耐えられるのかと不安になる時には

シュウちゃんがつい最近まで白血病を再発し、支援校の高等部を休学、治療に耐えていた事、そしてその入院の時に念願のニンテンドースイッチを買って貰えて意外と普通に1年の治療を乗り越えた事とか。

そういう、シュウちゃんの絶妙に普通と大変と特殊と一般の間にあるその暮らしと人生みたいなものを思い出す。

それはシュウちゃんが私とウチの娘②に知らない間に作ってくれた轍だ。

勝手にそう思っている。

シュウちゃんは今、病気で休学していた高等部を1年遅れで卒業して、作業所で働いている。

まだ2歳の心臓疾患児・心機能障害持ちの娘②を抱えている私としては、その事実だけでもノンちゃんの子育ての一区切りに拍手を送りたくなる。

21トリソミーの息子、この先も親子二人三脚の生活は続くのだろうけれど、ノンちゃんはまず息子を社会に送り出すまでをやり遂げたのだ。

シュウちゃんのお仕事は、体調の事もあってごく簡単な軽作業ではあるのだけれど。

『生産性』

私のあまり好きになれないこの言葉を頭から取り出す時、シュウちゃんやウチの子達はやり玉にあがるタイプの子で、それからいかに我が子を守ってればよいのか、それを考えてしまって、私はいつも哀しいような世間様に後ろめたいようなイヤな気持ちになる。

特に世界が色々と逼迫して行き詰まりを見せる今この時。

でも

人類の英知が敗北するかもしれないウイルスの脅威の中、自由主義経済とかその行き詰まりとか。今後の世界経済についてとかそいう事を事細かに語るアナリスト、学者その他識者の方々はもしかしたら鼻で笑うかもしれないが。

洗濯ばさみの箱詰めとか、クッキー作りとかそういう事をして、あと心臓の三尖弁か僧帽弁かわからないけどどっちかの調子が少し悪くて近々また手術をしないといけないけど、それでも走り回って生きているシュウちゃんは存在それ自体が間違いなく私と娘②の背中を押してくれている。

この世界に対して。

精神的なものは金銭には換算できないだろうが。

でも、シュウちゃんとノンちゃんの歩いた場所を道を私も歩いて娘②を育てようと思う。あの子と娘②は障害の種類も心臓の状態も全然違うのだけれど。

世界って案外そんなことを理由に回っているのではないか。

私は、知らないウチに、あの初めて会った日から9年後の未来に誕生する心臓疾患の娘②の為に轍を作ってくれていたシュウちゃんの事をいつも思う。

もう少し世界が平穏を取り戻したらシュウちゃんに会いに行こう。

子ども大好きすぎる青年になったシュウちゃんと、我がまま女王末っ子気質の幼児娘②

龍虎の戦いになる筈。

こわ…凄い楽しみ。


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