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あさドラから伊藤圭介を知る

圭介って誰?

名古屋市東山植物園の植物園門を入ってすぐ右手に「圭介の庭」がある。2021年4月、「名古屋市東山植物園温室前館」の保存修理工事が完了し、オープンしたのと同時に設置されたスペースだったと思う。しかし、その庭を見て最初に思ったのは、「圭介って誰?」というものだった。

ざっくり名古屋出身の植物学者ということはわかったが、質素な植物が並ぶそのスペースが私の興味を引くことはなく、「圭介って誰?」の疑問符も次第に薄れていった。

ところが、今年4月から始まった植物学者・牧野富太郎をモデルとしたあさドラ「らんまん」では、たびたび「伊藤圭介」の名が出てくる。約2年の時を経て、再び私の頭の中に「圭介って誰?」の疑問が浮かび上がってきた。

「伊藤圭介記念室」を尋ねる

その疑問を解決するために、Googleさんに尋ねてみたら、椙山女学園大学・栃窪ゼミが東山動植物園と共同で制作したという紹介動画がYoutubeで見つかった。

この動画から、東山植物園の植物園門を入ってすぐ左手にある植物会館に、「伊藤圭介記念室」なるものがあることがわかったので、尋ねてみることにした。ちなみに、植物会館と圭介の庭は、向かい合わせになっている。

「伊藤圭介記念室」は、非常にこじんまりとした部屋で、ゆかりの品と伊藤圭介の説明パネルが4点ある。子供向けに書かれたパネルなので非常に簡潔でわかりやすい。そのパネルから、伊藤圭介が医者の家系に生まれた町医で、18歳の時に資格を得たこと、蘭学を学び、種痘の普及につとめ、尾張藩から監督を任されたこと、そして尾張藩に医学校(西洋医学講習所)の設置を願い出たこと、そしてこれが現在の名古屋大学医学部へと繋がったことなどがわかった。

老いてもなお、伊藤圭介は活動的で、79歳で東京大学教授となり、86歳で日本初の理学博士となり、97歳で雑誌「太陽」で「明治12傑」の科学者NO.1に選ばれている。この「明治12傑」には、伊藤博文、福沢諭吉、渋沢栄一、西郷従道などが名を連ねているという。

伊藤圭介とシーボルト

ちなみにパネルのひとつに、「長崎(出島)にいたシーボルトに、熱田の宮(名古屋)で出会う。」という記述があった。シーボルトが名古屋に来たことなど、初耳だ。鎖国時代にシーボルトが何故名古屋に?と、とても不思議に思ったのだが、ちゃんとした答えが名古屋市のWebサイトにあった。オランダ商館長の江戸参府に同行した際、東海道五十三次のひとつ熱田の宿に滞在したということらしい。伊藤圭介は往路復路の2回、教えを受けていた。

参考リンク:名古屋市:宮宿・シーボルトと伊藤圭介(熱田区)

ちなみに伊藤圭介は、札幌農学校のクラーク博士とも交流があったらしい。植物学がこれほど人と人とをつなげる力のある学問だとは、思いもよらなかった。

参考リンク:中部大学附属三浦記念図書館財部 香枝* W.S.クラーク博士と伊藤圭介-日米文化交流史の一断面ー

なお、「圭介の庭」が出来た2021年は没後120年、今年2023年は伊藤圭介生誕220年。なかなかメモリアルな時期で、昨年は東山植物園で5回にわたる講演会もあったらしい。今年も伊藤圭介に関する講演会や企画展を予定しているとのことなので、機会があれば参加してみたい。

参考リンク:(植物園長の庭)新年あけましておめでとうございます。 ~おしべ・めしべの名付け親「伊藤圭介」生誕220年を迎えて~|オフィシャルブログ|東山動植物園

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