サムネ20191005

その音楽が心臓を支配した。

黄色を名に冠しながら、赤が好きというその人を知ったのは7、8ヶ月ほど前の話だ。YouTubeをラジオ代わりに垂れ流していたら流れてきた音楽に、視線が画面へと吸い寄せられたのを覚えている。

『辛うじて、息を吸って吐いてる
青酸なんとかだったら終わりって笑えるね』

ポップなギターの旋律に乗って耳に届いたのが、予想以上に厭世的な歌詞だったからだ。画面には一面黄色のポップなイラストで構成された、可愛い分類に入れても構わなさそうなMVが流れている。それなのに、

『愛したいんだ、居場所くらいは』

なんて歌う。
この人は愛せなかったのか、自分の居場所を。そしてきっと飛び出したんだろう。なんだか生きづらそうな人だな。と他人事そのままに思ったのだ。

しかし、自分も実家に居たくなくて飛び出したり、学校もあまり好きにはなれなくて図書室に引きこもっていたり、少しだけ、いつかの感覚として覚えがあったからだろうか、いつの間にやらHPを見て、いつの間にやらTwitterをフォローして、いつの間にやら当時リリースされたミニアルバムを購入していた。

リリース記念の、ライブをすると言う。予定空いてるな、行くか行くまいか。きっと初期からのコアなファンばかりだろうし、失礼にはならないだろうか。そんなことを考えていた時、ツイキャスライブが配信されたのだ。

肉じゃがかなんかを作っていた。

「ばあちゃんの料理ってさー、そういうの、なくなっちゃうんだよ、その人がいなくなったら」

大事にした方がいいよ。

ごく普通の人だ、と思った。
もしこの時のツイキャスが弾き語り配信だったら、私はこの時のライブに行かなかっただろう。

初めてのその人のライブは、当たり前だが知らない曲も沢山あって、ただ一曲、
『何も要らない!要らない!』
と泣いているのかと思うほど喚き歌い上げる曲が印象に残った。
それから、多分、ちゃんとファンになったのだと思う。

初ワンマンの話が出てすぐに、先行抽選に参加して、幸運なことに当選して。私は世界でたった200人の人間になった。

当日はライブハウスに人がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、本人の登場とともに女の子のきゃー!という声も少し上がっていて、半年前のリリース記念ライブとはまた違った雰囲気が、売れてきているんだなぁと思わせた。

初めて存在を知った時に聴いた「猿上がりシティーポップ」からライブはスタートした。

ドラムとベース。2つの低音が、心臓をポンプのように動かす。普段知覚していない心臓の動きを、嫌に大きく感じるのだ。ギターと歌声はぴりぴりとライブハウス内の空気を震わせ、その振動は指先にまで伝い、細い管となって身体中を駆け巡る。なんだか血液みたいだ。奏でられる音楽に生かされているような、そんな不思議な感覚だった。

私が他に好きでライブに行く人は、心臓のポンプになるよりは身体にじんわりと沁みていくような音楽を作る人なのもあって、余計に不思議に感じたのかもしれない。

秋山黄色さんという人は、顔を世に出していない。ライブの写真も、アー写も、全て前髪でその顔が隠されている。ライブには2度行ったが、私も顔はよく知らない。時折見えてはいるのだが、その実像を把握するよりも先にまた隠れてしまうし、何より音楽に夢中なのでそれどころではないのだ。

「何も要らないって思いながら生きようって思うんだよ。いや実際、金も何もかも欲しいんだけどさ」
「酸いも甘いも、全部持ってった方がいい」

合間合間に言葉を探しながら話すその姿に、肉じゃが作ってた本人だな、と何となく感じた。
顔のわからない、なんかイイ、血肉になる歌を歌ってる、割には普通のおにーさん。

ライブのタイトルにもなっている『とうこうのはて』を歌い上げて舞台袖に引っ込んで。アンコールいつもできねぇの、声出ねぇ、なんて春には言っていた黄色さんが、アンコールで『猿上がりシティーポップ』をもう一度歌うのを、皆で手を振り回して一緒に歌って。
全てが終わって、夜道をアルバムを聴きながら歩いた。それは心臓を動かすには全然、エネルギーが足りなくて、笑ってしまった。

次に聴きに行く機会に恵まれるのを、ライブ直後からずっと願っているのだ。コンビニで買った安酒を飲みながら。


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