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ダンゴムシの夢

大学二年生も終わる春休み、初めての海外旅行に出かけた。赤道直下の熱帯雨林、マレーシアのボルネオ島をめぐる学生だけのツアーだった。

現地の空港でガイドと合流し、他のメンバーが待つバスへと移動した。ガイドは背の低いマレーシア人男性で、通訳も兼ねる。私も含めて10名。全国の大学から男女が集まった。一年生もいれば、もうすぐ社会人という人もいる。

初日から3日間はびっちり予定が組まれ、4日目はフリー、5日目に帰国という行程だった。

バスは街を外れ、熱帯雨林の中を走っていた。樹々の高さ、緑の濃さ、森の広さ。圧倒されるばかりだった。

バスが停まり、ガイドが降りるよう案内した。ジャングルを散策するらしい。

森にはサルやオラウータンなどの哺乳類のほか、ワニやトカゲなど爬虫類も生息している。
鬱蒼とした森の中、整備された遊歩道を歩きはじめた。

湿気でやや呼吸がしづらいが、木々に覆われているせいかそれほど暑くはない。
前方から、叫ぶような鳥の声が聞こえる。頭上の木々が揺れる。テナガザルの群れが、驚く私たちを尻目に、樹から樹へと渡っていった。

足下に、黒と黄色の縞模様が目に入った。楕円形で長径8センチほどだ。よく見ると無数の脚が生えている。

ぎゃっと叫んだ私の横で、ガイドがそれを捕まえた。他のメンバーも集まってくる。
「ダンゴムシです」
あまりに巨大だが、形は確かにダンゴムシだ。よく見ると身体を丸め始めている。

日本のダンゴムシは、刺激ですぐに丸くなる。熱帯の彼らは殻が厚いためか、大きくゆっくりした動きだ。
時間をかけて丸まった虫は、頑丈でビクともしなかった。


3日間が過ぎた。仲間とも打ち解けた3日目の夜、夕食後に部屋で飲むことになった。
スーパーでお酒を買ってきて、一部屋に全員が集まった。

乾杯の後、A子が切り出す。
「明日は無人島だね」
終日フリーの4日目は、みんなで無人島ツアーに申し込んだ。無人と言っても、地元の人がバカンスを楽しむ島らしい。
「服の下に水着を着ていこう。すぐ泳げるように」
最年長のS君が提案すると、みんな賛成した。
私は内心穏やかでなかった。この太い腕や脚を、明日は見せなきゃいけないのか。

ぼんやりしていると、正面のS君が覗き込んできた。
「ユキは何をやりたいん」
「え?」
話題は将来の夢に変わっていたようだ。
「何だろ。まだ決まってなくて」
「専門は?」
「農学部。野菜育てたり、海で研究したり、虫を追いかけたり。いろんな人がいる」
「その中で、何をやりたいん」
私は答えられずに黙った。今の所、これといった夢はない。
S君は前のめりになっていた。
「何でもいいんやで。自由に言ってみ」
「うん。でも、これから見つける感じ、かな」
S君はそっか、と微笑み、それ以上聞こうとはしなかった。

翌朝、無人島に出発した。
モーター音が響く小船で島へと向かう。海は驚くほど碧く透明で、魚の色が透けて見える。打合せ通り、服の下には水着を着ていた。

30分ほどで島に着いた。強い陽射しに爽やかな風が心地よい。砂浜には疎らに木が生え、野生のオオトカゲが日向ぼっこをするように佇んでいた。

男たちは水着姿になり、海へ走っていった。女性陣も続いた。
私は服を脱いだものの、大きなバスタオルを肩にかけたまま、砂浜で丸まっていた。

オオトカゲが2メートルほど離れたところでじっとしている。水着が嫌だとバレないように、オオトカゲに夢中なふりをした。

オオトカゲは全長1メートルはあるだろうか。ただ、立っている。

ボルネオの生き物たちは、どれも日本と全然違う。

大きさも動きも桁外れ。ここでは何でもありだ。


強い風がバスタオルの裾をめくり上げた。飛ばされないようにタオルの両端を握った。
翼を広げるように、ゆっくりと伸び上がる。熱帯の太陽が素肌を焦がした。

海にみんなの姿が見えた。A子が手を振っている。
海に向かって歩き出した。空に放り投げたバスタオルが、ふわりと舞った。

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