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御簾越しの君


婚活会場として指定された貸会議室に着くと、私は辺りを見回した。受付に人はなく、扉を押して中に入った。
薄暗い灯が室内を照らし、壁に一人の人影を映し出している。今日の婚活相手だ。外見で判断しないための配慮だろうか、男は背の高いパーティションとブラインドで囲まれた中にいて、こちらからは姿は見えない。他には誰もいなかった。
今日ここに来たのは母に言われたからだ。物心ついた頃に両親が離婚し、私自身は結婚に全く興味がない。
両親の離婚後、父とは会っていない。抱っこされた時の大きな掌と、必死で掴まった太い首筋だけが、かろうじて記憶にあった。理想の父親像もなく、ましてや理想の結婚相手など分かるはずもなかった。
母いわく、今日の相手は私にとって最良だという。婚活を斡旋されるなど初めてだ。25歳を過ぎても浮いた噂一つない私に、母は痺れを切らしたのだろうか。
溜息をつきスマホを開く。概要を確認する。30分間会話して、気に入ればマッチング成立のようだ。

電子音がスタートを告げた。私はブラインド越しに男の前に座った。
ブラインドの隙間から男の姿を垣間見る。御簾越しに顔の見えない相手と語る様は、何だか平安貴族みたいだ。
私が思ったままそう話すと、男は御簾の向こうで笑った。
「僕は50代だから、晩年の光源氏かな。娘も一人いるしね」
男の声に驚いた。50代。懐かしい感じが胸に拡がる。鼓動は速くなっていった。
30分はあっという間に過ぎた。
男の前を離れ、入口近くに退いた。まだ落ち着かない。よく分からないが、ずっと話していたい気がした。
スマホを開き、主催者に結果を送信する。
手鏡を取り出して顔を見た。頬に赤みがさしていた。

電子音がマッチング成立を告げた。私は再び男の元へと歩いた。
ブラインドが機械音とともに巻き上げられていく。目で追いながら固唾を飲んだ。
濃紺のパンツを履いた男の膝の上に、大きな掌が乗っている。白いポロシャツの上には、太めの首筋。
思い切って顔を上げた。幼い頃に見た顔が、優しく微笑んでいた。

「100人で書いた本~嘘篇~」www.amazon.co.jp/dp/B07RMCKLX1
より転載。

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