己が頑固者であるという話

ずっと、自分の理想の姿を探して、追い求め続けている。
それは自分がどうしたいか、とか、何が好きか、とか、そういったことから派生する在りたい自分というものではないんだけど。
どう表現すればいいのかは分からないけど、哲学的というか理性的というか、自己の譲れない信条みたいな所から生まれるもの。
だから自分が納得出来ない道なら死んでも進みたくない。文字通り死んでも。

理想の自分といっても状態のことを指すのではなく、選択する上での価値観、基準みたいなものになる。道の選び方だけは自分の信条と哲学に従うものでなくてはどうしてもいけない。道の先が、結果が、その道中が、どうなってもどんだけ酷くても構わない。けれど、選択だけは自分の哲学と理性が絶対出会って欲しいし、そうでなければならないと狂信している。

その理想を阻害されるのはとても憎たらしくおぞましい。
障壁が人間の本能たる部分からくるものであっても、生物として備え付けられたものであっても、自分の哲学を阻むものなら取り除きたいとすら思う。

なんで書いたのか、この文が意味を持つのかはまだ分からない。
なんとなく書き置きしたかった。誰も見てないし別にいいよね。

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