琉惟

ちょっと離島にいた人です。たまに、もしくは頻繁に思ってることを文字に起こしています。 …

琉惟

ちょっと離島にいた人です。たまに、もしくは頻繁に思ってることを文字に起こしています。 まあ、ただの人です。

最近の記事

日記

挫折した。何度目かは全くもって検討もつかない。 大学生になり、何か始めようと思い立ち買った手帳は2ページで購入当初の役割を終えた。 日記を付けようと考えることは、人生の中で片手の指の数くらいはあったようなきがする。 しかしそのどれもがその指の数を超える前に終わったはずである。 うん、相性がとっても悪いのだと思う。 そもそも私は何かした事を振り返るような性質を持ち合わせちゃいない。 授業中につけたノートもテスト期間が終わればもう見ることはないし、自分が書いた文を読み返すのは推

    • 臆病

      新たな門出を迎えたおめでた〜い時にこんな話をするのはどうかと思う。自分でも、もっと前向きにあれよ、なんて思う。 卒業式の夜、言葉にすることを求められたというか、言葉にしないといけないという使命感に駆られて珍しいやり方で色々書いた。 そこで改めて感じた「言葉」というものへの恐れがあった。だから、考えずにはいられなかった。 私はもともと臆病で、何か分からないモノは否応なく怖い。おばけだって怖いし、スピリチュアルとか意味分かんないし、感情という存在すら怖がりながら生きている。 だ

      • 卒業(回顧録的なもの)

        私のなかで、考えること、言語化する事は結構価値観のなかの重要度が高いものである。だからこそ、扱う言葉のひとつひとつに重量がある。 特に感情を表すものはひとしお。「好き」とか、「寂しい」とか、「悲しい」とか。 軽率に使ってしまえばその言葉自体軽くなってしまう様な気がして、何度も使う内に、その感情があたりまえになってしまうようで怖い。 だからこそ素直になれないし、でも自分の思ってるニュアンスを伝えようとすると、回りくどい言い回しをしないと伝えられない。 口に出すなら尚更、好き、っ

        • 己が頑固者であるという話

          ずっと、自分の理想の姿を探して、追い求め続けている。 それは自分がどうしたいか、とか、何が好きか、とか、そういったことから派生する在りたい自分というものではないんだけど。 どう表現すればいいのかは分からないけど、哲学的というか理性的というか、自己の譲れない信条みたいな所から生まれるもの。 だから自分が納得出来ない道なら死んでも進みたくない。文字通り死んでも。 理想の自分といっても状態のことを指すのではなく、選択する上での価値観、基準みたいなものになる。道の選び方だけは自分の

          読書というものについて。

          本を読むということについて、私は会話という行為と近しいものに感じている。 恋愛小説を読めば、誰かと恋バナをしてる気分になるし、シリアスなものは真剣に友達の相談に乗っている気分になる。 軽いコメディであれば、読書中に話しかけられようが構わない。けれどもずっしりとした内容であれば「割り込むなよ」と思う。 そのように、読書をしている時の私の頭の中は会話中のそれと近しいものがある。 ただ違いがあるとすれば、言葉が鳴る所が喉でなく頭の中だということくらい。 人とひとたび喋り始めれば意

          読書というものについて。

          悔しいねぇ

          まぁまぁでかい節目であった。 実感も湧かないまま余裕綽々と乗り込んだ地では、到着以降ずっと冷静だった。本当に冷静。それでいて聡明。頭が良く回る。回りすぎる。 結果から言うと案の定という感じ。 大体、いい事が起きる直前は心がキラキラしていて、気が狂った程にテンションが高くなって、何かに取り憑かれているように、心のままにしか居られない。 つまり逆のときは、、まぁそういうことだ。 結果は半ば確信と願望をもって予測できる。 強がりではなく、それはそれでいいと思っている。 でも、

          悔しいねぇ

          9月

          最後の文化祭、体育祭が終わった。 これからは受験。勉強をしなくてはならない。分かっている。切り替えなくてはいけない。それも分かってる。 8月が終わっていた。まだまだ異常な暑さは続いてはいるけど、31日が終わると同時に夏は終わりに歩幅を合わせ始めていた。 春、主に4月。よく出会いと別れの季節と評される時期。今年は夏の終わりにそれを感じた。 友達がアメリカに行った。先輩が今度フランスに行く。たくさんの先輩方が島に帰ってきて、またそれぞれの居場所に帰って行った。 例年以上にカ

          なつ

          まもなくに迫る学園祭、直後にまちかまえるは模試。最後の夏が暮れにかかっては居るものの、あまり掴みきれていない。 思えば夏休みが始まったときから夏の実感はこぼれ落ち続けている。 島生活3年目にして初めて、飛行機を取り違えて1週間早くに始まった夏休み。 毎日毎日、起きて、寝起きの気だるさとべっとりとした暑さをまといつつチャリをこいで、塾か図書館に向かっていた。 外に出たらメガネが曇るほど冷えた室内と、すりガラスごしの空じゃ季節もなにもない。 1番暑い昼頃を、集中力が朧なままに、

          気分と勢いだけで

          今朝はとびっきり目覚めが良くて、6:13分に目が覚めて、2度寝をしようとも思わなかった。 こんだけ目覚めがいいのには多少思い当たる節があって、その狙い通りに上手くいって驚いた。 というのも昨晩は寝る前1時間はスマートフォンの画面を見ないようにして、 お風呂(蓋をテーブルにしながら読書)→歯磨き →23:00前には睡眠。 という我ながらおっかなびっくりな夜だった。 なぜこんなことをしようと思ったのかと言いますと、一昨日は朝の6時くらいまでゆるゆると動画を傍らで流しつつゲームを

          気分と勢いだけで

          平穏かはたまた空虚なのか

          ついぞ今年度の学校も終わり、1番自分自身が何者でもない期間、春休みへと突入した。 自然豊かな環境で暮らし慣れたせいか、もしくは何か他に要因があるのかどうかは分からないが 久々の帰省で東京に戻り、気分はそこそこに悪かった。 まず飛行機から降りて、人の多さに酔った。 他人の二酸化炭素を常に吸い続けている状態。 軽いめまいと吐き気に襲われ、疲れに疲れて家に流れ着いた。 そして今日、特に用もないのに何かを求めて渋谷、池袋へと繰り出し、あまりの情報量の多さと多様性に圧倒された。 老若男

          平穏かはたまた空虚なのか