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平穏かはたまた空虚なのか

ついぞ今年度の学校も終わり、1番自分自身が何者でもない期間、春休みへと突入した。
自然豊かな環境で暮らし慣れたせいか、もしくは何か他に要因があるのかどうかは分からないが
久々の帰省で東京に戻り、気分はそこそこに悪かった。
まず飛行機から降りて、人の多さに酔った。
他人の二酸化炭素を常に吸い続けている状態。
軽いめまいと吐き気に襲われ、疲れに疲れて家に流れ着いた。
そして今日、特に用もないのに何かを求めて渋谷、池袋へと繰り出し、あまりの情報量の多さと多様性に圧倒された。
老若男女、色彩豊富、グローバル。
日本語、英語、なんちゃら語。
クレープのどっしりとした甘い匂いに、食欲そそる中華の匂い、なにかもわからぬ匂い。
五感全てが疲労困憊。
東京ってこんなに人多かったっけ…と思わされた。

確かに、僕が知っている東京より人が多かった。
「コロナ禍」
僕が1人でもずかずかこそこそ街に遊びに出れるようになった歳と、その年はほとんど一緒だった。だから僕が知っていた東京はコロナ禍の東京であり、行列も混雑も今よりマシだったのだろう。
政府からもマスクしなくていいよなんて言うお達しもあり、本来の、僕の記憶の後ろに薄れた東京の姿が戻りつつあるのかも知れない。
生まれ故郷でありながら、
「またここで暮らせるのだろうか」といった不安が過ぎったのだった。


にしても思ったよりも疲れた自分に驚いた。
思えば二学期後半から弱体化し続けている気もする。
研修旅行で逆流性食道炎になったのを皮切りに、
三学期中頃から、高校生活のなかでもわりかし大きめのスランプに陥ったりとざこざこである。
そんなこんなで、
春休みには何も先のことを考えず、つらいことをしない。自分のことをもっと考えて、自分を知って、この先に立ち向かえる自分を作る。
と春休みの立ち位置を定めた。はずなのだが。

ぶっちゃけな〜んにも進んでいる気がしない。
憧れだけが遠くにいくつかぽつりぽつりと点在し、道筋の闇は深く距離も測れない。

春は出会いと別れの季節らしいが、別れと出会いじゃないのはなぜだろう。近くにいた憧れが、毎度遠ざかる季節である。

ポジティブな内容を書きてぇな。と毎度noteを書いた翌昼に思うのだが、如何せん書くのは深夜帯。根暗エッセイにしかならなそう。

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