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小学生時代の師匠たち

 小学校一年生の頃、やっちゃんという六年生がいた。日焼けした真っ黒の肌に坊主頭。一年生の自分から見たらなんでも知っている遊びのレジェンドだった。
 休み時間はやっちゃんに教えてもらったやっちゃん飛行機(正式名称は知らない)を折りまくっていた。やっちゃんは私の師匠的な存在で、紙飛行機の他にもブランコを早く高いところまでこぐ方法だとか、木登りの方法だとかを自分に教えてくれた人物である。
 私とやっちゃんは毎日のように紙飛行機を折って飛ばしていた。しかしあるとき、紙飛行機の先端が尖っていて危ないということで紙飛行機が禁止されそうになったことがあった。
 私とやっちゃんは「先端が尖っていて危ないなら折り込んで丸くすればいいのでは?」という考えでやっちゃん飛行機改(後にやっちゃんグライダーと呼ばれ後輩達へ引き継がれていく)を開発した。先生たちも尖っていないので文句が言えず、とうとう禁止の話は立ち消えになった。
 紙飛行機を飛ばすとき、学校の中のホールと呼ばれる場所で飛ばしていた。ホールはとても広く、上まではかなりの高さがあった。ホールの上の方にはなんと説明したらよいのかわからないが出っ張りがあった。そこは小学生の自分達からしたら到底届かないような場所で、しかも先生たちが長い棒などを使っても届かないようなところだったので撤去されることもない。
 その出っ張りに乗った紙飛行機は「伝説」と呼ばれるルールがあった。伝説となった紙飛行機には自分で好きな名前をつけることができる。今となってはくだらないことなのだが、小学生の私たちにとってそれはとても魅力的な話で、休み時間になるたびにこぞって紙飛行機を投げ上げていた。
 「伝説」となったやっちゃんと自分の紙飛行機にはそれぞれ零戦とやっちゃん号という名前をつけた。零戦は地面スレスレを飛び、落ちそうで落ちないところからやっちゃんが名付けた。私はやっちゃんが大好きだったのでやっちゃん号と名付けた。そのとき六年生と肩を並べたような感じがしてとても誇らしかったのを覚えている。もう本名も覚えていないやっちゃんとの思い出である。

 しかしやっちゃんは六年生、自分より早く卒業してしまった。一年生時の休み時間の多くをやっちゃんと過ごしていた私にとってやっちゃんの卒業は大きな喪失だった。
 しかし翌年、新たな師匠に出会う。これまた本名を覚えていないのだが、私はその人のことを「まるしん」と呼んでいた。名前を書くときに○の中に真という字を書いていたからだ。多分真之助とかそんな感じの名前だったのだろう。まるしんは竹馬に乗るのがとても上手かった。学校にある一番高い竹馬をいとも容易く乗りこなしていた。乗るときに台を使わなければならないほど高い竹馬に乗って悠々と歩き回る姿は幼い自分心を鷲掴みにした。かっこいい。

 私はまるしんに竹馬の乗り方を教わった。あまりにも竹馬にのめり込みすぎて、その年の誕生日には竹馬を買ってもらったほどだ。そして数ヶ月で竹馬を極め、小学校二年生のときの学芸会では友達と二人でめちゃくちゃ高い竹馬に乗って体育館を歩き回った。保護者からの拍手がめっちゃ気持ちよかった。
 まるしんは他にも模型飛行機の作り方だったり、自転車でタイヤを滑らせながら止まる方法なんかを教えてくれた。今でもこういう役に立たなさそうな技能を身に付けるのが大好きなのだが、このときの自分がいまだに心の中にいるのかも知れない。
 まるしんはいつの間にか私の前に現れなくなり、私はその後まるしんは転校したという話を聞いた。最後に遊んだときまるしんがくれた青いプロペラの模型飛行機はまだ実家の座敷の戸棚に入っている。

 小学生時代を振り返ると二人の師匠から教わった遊び心というか、いろんな発想が自分の根底に流れているのが分かる。

 自分の心をたくさん豊かにしてくれた二人の師匠。これからは自分が誰かの心を豊かにしていけるようになりたい…なんてね。

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