レーシックは絶対🙅!!2000年にレーシック決行した経験者がレーシック難民経験と難民から脱出する方法教えます!!
僕はおよそ20年前にレーシックを受けました。
おそらく日本において、メディアなどで術後20年経過してからのレーシック難民経験を、まだ誰もみたことも聞いたことがないのではないでしょうか?
僕は経験している訳ですから、こうして皆に話が出来る訳です。
レーシック手術を行った事によって、苦しんでいる方々があまりに多いと予想される為、少し固い文章で書いていこうと思います。
「このnoteがレーシックで苦しんでいる人へ一筋の光になってくれれば」という思いで文章を書き綴っていこうと参ります。
僕が手術を受けたのはおよそ20年前。
レーシックが日本に上陸して認知され始めた頃で、その時はまだレーシック患者さんは少数でした。
レーシック推奨の書籍が出版されており、僕はインターネットでも取り上げられていたレーシックの情報を割と早くキャッチした方だと思います。
夢を抱いて僕は大阪の南青山アイクリニックにレーシック手術を受けに行きました。
「手術の痛みは全くない。」と本には書いてあったのですが、手術後は物凄い激痛でした。
しかし視力は本当に回復し、嬉しい気持ちは頂点へ。
がしかし、その喜びは長くは続きませんでした。
再び視力低下が進み始めたのはその4年後です。
徐々に視力は低下していき、遂に手術5年後にはメガネを作ることに。
「これはまずい」「もしかしたらやってはいけないものに手を出したかも」と思い始めたのがその頃からでした。
しかし、まだその頃はレーシックの後遺症をしっかり自覚しておらず、ドライアイが酷くなったのと、光の眩しさに違和感を持つぐらいでした。
ただ、目薬を差す量は半端ではなく、ドライアイ用の目薬のヒアレインと、疲れ目用に買うロートZは1ヶ月に合わせて6〜7本くらいは使用していました。
そして、手術してから10年後くらいには、これまで稀に発生していた目の痛みやチカチカする症状やドライアイが悪化し、日常生活に支障をきたすようになっていきました。
目の疼痛から目を開け続けるのも苦しく、他の人から見たら「どうしたんだろう?」という感じだと思います。
特に、毎日出勤していた会社の人からの目が気になり、人と目を合わせる事すらも億劫になっていきました。
ドライアイが酷いため、3〜5秒程度しか目を開ける事が出来ず、人と目を合わせて話すとあまりに瞬きの回数が増えてしまう為に、相手に違和感を持たれるのを恐れた僕は、次第に人と目を合わせて話す事が出来なくなっていきました。
施術前よりも、遥かに眩しさを感じるようになった筆者は、天候が良い日は眩しさで多少目つきも悪くなっていたと思います🤔
普通は眩しくないですからね。。外でたまたま会うご近所さんも違和感を覚えていたことでしょう。。
結果、「コミュ力」が著しく低下することに。。
(目の痛み⇨自信がなくなる⇨コミュ力低下)
「レーシックして目が痛いし、すぐ瞬きしてしまうから、目を合わせづらい」
こんな事、言えるわけもありません🤣
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