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地球の神秘と初めてのブルーに出会う【グアム旅行記②】

この日、この先ずっとわたしの中で輝き続けるだろう光景を二つ、目にした。

先月のグアム旅行では、洞窟を含むトレッキングコースに参加。ガイドは、グアム渡米歴20年の、朗らかな日本人女性のきみこさん。

初めましてのお喋りに興じつつ、ふと何でもない道で車を停める。何でここで停めるんだろうと疑問に思ったが、ここが入り口だそうだ。

いざ、冒険の始まり。

左の赤土のところが道…!

ゴムの木、この土地の神様が宿るされているムームーツリー、野生の生き物たちが分け入って入っていった跡(野生豚がいるらしい)、さまざまな植物。自然にまつわるたくさんの話を聞ききつつ、歩を進める。気温もまあまあ高い中でのトレッキングだが、目に映るもの全てが面白く、飽きることがない。


花が好きなので、自然と花を探して歩いてしまう。
あ、赤い花!と思いきや、一部が赤く染まった葉っぱを見つける。何でもクリスマス前後によく店で見かける赤い葉っぱ代表、ポインセチアの原産らしい。

遠くから見ると花びらに見える。

可愛い紫のお花を見つけ、写真を撮っているとガイドのきみこさん曰く
「この花は、食べれるよ!」とのこと。
確かになんか、お洒落なカフェで出てくるケーキやフランス料理のお皿の上に散ってそうではある。

…食べられると言われたら、食べるよね。

カイワレ大根の味がした…

黒い蝶がたくさん飛び交っていおり、これはその蝶のさなぎ。
そして、枝そっくりなバッタ。

どこにいるか、分かります?


この二つの虫たちは、きみこさんが見つけた。自分では見落としていただろうと思う。さすがガイドさんは自然のプロ、観察力の高さよ…!

しばらく歩くと、洞窟の入り口に着いた。

グアムの先住民といえば、チャモロ民族である。紀元前3000~2000年の頃、マレー半島やインドネシア等からカヌーに乗って移住した東南アジア系民族がルーツと言われている。
森の中で、人が住むのに必要な条件。
ーそれは綺麗な水があること。
この洞窟はチャモロ民族の暮らしにとってかけがえのないものだったらしい。

洞窟の中の水は、海に近い土地でありながら、海水ではなく真水。5000年もの長いときを経て濾過された雨水。それだけ濾過されたから飲めるほど、綺麗な水になる。上からぴちょん、ぴちょんとまた一滴また一滴と大地に磨かれた水が、洞窟内に溜まっていったそうだ。

この中を下へ…!

滑りやすい足元に注意をはらいながら地下へ降りていく。下にいけばいくほど、光が一切入らなくなるので、きみこさんがあちこちにライトを置いてくれた。

壁を手持ちのライトで照らすと、鍾乳洞のようだった。すぐに水が溜まっている場所までたどり着いた。泳げるとのことなので、荷物を置いて早速泳ぐ。

水中では、どんな景色が待ってるんだろう、とちょっとどぎまぎしながらゴーグルを付けて、身体を水に沈める。頬に当たる水がひんやりと気持ちいい。

もちろん水中も真っ暗なのでライトで照らしながら、潜る。
入水した地点は肩くらいの深さだったが、
奥にゆけばゆくほど深くなってゆくようだ。
水深3メートルほどだろうか。

わたしはライフジャケットを借りず、素潜り状態なので底までいくことが出来る。

横の岩からはつららのような形状が連なり、下にはサンゴが固まったようなごつごつした白い石のようなものが見える。
どんな海とも違う、見たことのない光景で、夢中で潜った。

何百年、何千年とかけて地球が育んだ、静かな地底。
生き物の気配は一切ない、しんとした静謐さ。
美しいんだけど、ずっと潜っていると、もう帰って来れなくなるような、どこか違う世界へ繋がっているような、そんなひやっと心が冷える心地もする。
言葉にするなら神秘的という言葉が1番しっくりくる。

見惚れて底にいる時間が長かったからか、自分が思っていたより深く潜っていたのか、息継ぎに上がるときに、珍しく少し息苦しくなった。
久しく感じていなかった、水に対する本能的な怖さみたいなものが、ほんのりわたしを覆う。

深さは把握出来たので、水中にいる時間に気をつけながら、飽きずに、何度も潜りその不思議と美しい光景を堪能した。

もう少しこの神秘的な場所に身を浸していたかったが、そろそろ時間だと言う。先ほど来た道を登り、振り返ると下に下に続く一切の光が入らない、真っ暗で何も見えない洞窟。
こうやってやってくる観光客がいなければ、またしんと悠久の時を過ごすのだろう。

こんな、神秘的な洞窟に来れてよかった。

先ほど、泳いだおかげで身体はひんやりとしている。身体の火照りをとることが出来、また元気に歩き出す。
今度は急な山道、ということで軍手をはめ、崖のような岩場を一歩一歩集中して登る。 ロープが張ってある場所はあるが、それを掴むと滑る可能性があるらしく、信じられるのは安全を自分で確かめた足場のみ。

周りの景色を眺める余裕はなく、次にわたしが掴む岩はどれか、どこに足を運ぶか、ただ安全に進むことだけを考えて歩く。そんな、「今ここ」に神経を研ぎ澄ませる感覚は、なんだか動物の本能のような気がして、面白かった。

登りきって海が見えてきた瞬間、まるで初めて海を見る子どものように、わあっと気持ちが上がった。

視界が開け、目の前に広がる海。
見渡す限りの空と海。
微妙に場所によって色が異なる目の前のあおいろ。

太平洋、日本海、瀬戸内海。
沖縄で見た海、バリで見た海。和歌山で見た海。
そしてわたしの大好きな奄美の海。

今までいろんな海、そしていろんなあお色を目にしてきたが、初めて見る色だ、と思った。
明るく澄んでいながらも、水色と表すにもはばかられる、深さを感じさせつつどこまでも透き通る、色。
あお色と呼ぶよりブルーと呼びたくなるような、鮮烈なブルー。

この色に出会うために、今日の道のりをやってきたんだ、
この色に出会うために、はるばる海を越えてやってきたんだ、とさえ思えた。

綺麗な海なんて幾度も見てきたはずなのに、わたしはいたく感動してしまい、しばらくそのブルーを眺め続けた。


帰国してから数日、あの場所の空気を確かめるように写真を眺めた。

初めて出会ったブルー。
あのときわたしは、間違いなくそう感じ心動かされた。

ーしかし、本当だろうか。本当に初めて見た色なんだろうか。

ふとそう疑問に感じ、写真フォルダから過去に何枚も奄美大島で撮った海を探る。そうすると、同じように鮮烈に透き通る似たようなブルーを発見した。

心動く景色とは、単なる素晴らしい景色を指すのではなく、特別感や見るまでの過程など様々なものが重なりあって、より輝きを増すものかもしれない。

どちらにせよ、わたしにとってはあの日あの場所で見た二つの光景は格別なのである。

#旅エッセイ #海外 #旅



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