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架空の兄が出来た話。

その日は、なんだか気分の良い帰り道だった。

予定以上に仕事は捗ったし、子どもたちのトラブルもなかった。仕事帰りにカフェにだって行くことができた。そして手からぶら下がるのは、先ほどコンビニで買ったばかりの幸せバターのポテチと限定三ツ矢サイダーみかん味。


その上、明日からは週末。しかもずっと楽しみにしている予定があるときた。

傘の上で弾ける雨の音も心なしか、リズミカル。
こんなささやかな幸せが幾重にも重なった帰り道もそうない。軽くスキップしたくなるような帰路。いや実際、足取りはいつもよりいくらかは弾んでいたはずだ。

そのときふとなんだか後ろでカサッと物音がしたような気がして振り向いた。

ぎょっとした。

真後ろにいたのだ。
ー全身真っ黒の服に身をつつんだ、おじさんが。


しかも異様に近い。気付かなかった。
雨音が響いていたことや、傘をさしていたことで、いつもより周りの気配に鈍感になっていたのかもしれない。


しかも彼は目が合い、にやりと笑った。
あれこの人、見覚えがあるぞ、と思った瞬間思い出した。
そう、さっきコンビニにいたおじさんだ。

…まさかここまで、尾けられていた?!

ぞわっと、嫌な感覚が身体を走り抜ける。
身の毛もよだつとは、まさにこういう瞬間をさす言葉なんだろう。

今、冷静に思えば、帰宅途中にあるコンビニなのだから、帰路も被るのは当たり前である。


イヤフォンで何かを聞いて手にケータイを持っていたので、好きなアーティストや動画を見て、ほほ笑んでいたのかもしれないし、たまたま目が合ったから愛想よく笑ったのかもしれない。
いやもはや、笑ったように見えただけかもしれない。


しかしそのときのわたしは、尾けられていたかもしれない…!キケン!コワイ!!という気持ちでいっぱい。

このまま走って帰っても不審だろう。
家の場所が知られては怖いし、そもそも脚力に微塵も自信がない。

咄嗟に、鞄からケータイを取り出す。
そして、そうっと道の端に寄る。

最初は夫に電話しようかと思った。
「〇〇くん?」と男性の名前を出せば、犯罪の抑止力になるかもしれない。

ええい、でもわざわざ個人情報である夫の名前を聞かせるのも癪である。


最も戦闘力が高そうなのは………。


「あ、もしもしお兄ちゃん?もうすぐやねんけど。」

…いもしない兄が爆誕した瞬間である。


ほ、ほらわたしくらいの年齢だと、「お父さん」よりも「お兄ちゃん」の方が戦闘力高そうだし!?

我ながら、ナイスアイデアである。
人は、非常事態には頭の回転が1.5倍速くらいになるのかもしれない。



「ああ、うん。買い出し行ってきたよ!」

少々張り上げた声で、いもしない兄との架空の会話を繰り広げるわたしを横目に、先程のおじさんはすたこらとわたしを通り越して、その背中はぐんぐん小さくなってゆく。

…ああ、杞憂だったようだ。
良かった。

ほっと胸を撫で下ろし、携帯電話を鞄にしまう。


世の紳士の皆様方、夜道で目の前に女性を発見したときは、このようなびびりもおりますので、横の距離を取りつつ、出来るだけ早く追い抜いていただきますよう、よろしくお願い申し上げます…。











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