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もらった言葉で辞めることを止めた

私は現在38歳
29歳の時に、父母が経営していた今の会社に入るため、
大学卒業から勤めていた会社を辞めた。

しかしながら、実はその5年前、
全く別の理由でその会社を辞めようとしたことがある。

当時勤めていた会社は船に関わる会社
営業をしていた私は、毎日毎日土日も関係なく、
港から港、船から船を飛び回っていた。

会社に帰るのは8時9時も珍しくなく、
デスクには、手つかずのFAXや書類が山となり
真っ暗に電気が消えた社屋のカギを掛けて帰宅する。
そんなことも珍しくなかった。

我々の生活を支えている物流、
その根幹を成している船をサポートすることで
世の中に貢献している、

その思いはあれど、体と心が付いて来ず、
辞めることを人知れず決意した。

有休を使って転職活動を行い、
内定も頂き、上司に辞意を伝えた。
慰留して頂いても、
「もう限界です」と。
親にも連絡したところ、
退職を留まるよう強く止められたが、
「これ以上は無理だ」しか言えなかった。

当時、プライベートもゴタゴタで、
仕事も時間に追われに追われていた。
どんどんヤケクソになり、
自分の事なんて誰も理解してくれないと思い込んでいた。

退職の意思を上司に伝えて数日後、
社長がどうしても話をしたいと仰っている、
それまでは待ってくれと人事部長に言われた。

そんな矢先、

お客様を車にお乗せして、
1時間程の場所にお連れすることがあった。

そのお客様は既に一線は退かれている方だが、
そのご経験と見地からアドバイザーのようなことをなさっていた。

非常に迫力のある方で、
この方が現役の時、この方に関わる仕事を割り振られると先輩から
「お大事に」と憐みの目を向けられた。
先輩方が何人もこのお客様の所に出入り禁止になっていた。

『良い報告はいらん。悪いことは全部言ってこい』
常々この方からそう言われていたので、
起こってしまったこちらの不手際を報告し、
頭を下げ続けていた記憶しかない。

このお客様の引退後、
月に一度程度、この方をお乗せして一時間運転する。
いつしかそれが、自分の担当になっていた。

運転しながら、
「実はこの会社を辞めようと考えている」
それをこのお客様に言うべきかどうすべきか悩んでいた時、
ぼそっと聞かれた

『あんたに乗せてもらうようになって、何回目だ』

4回目ですとお話しすると、

『若い人と話をすることもこの歳になるとないからな。
あんたと話すのが楽しみなんだ』
『ところであんたは、親御さんはなにをしてる人だ』

愛知県で工場を経営しています、長男です、
そうお伝えすると、少し考えながら、

『じゃあいずれあんたが継がなあかんな。』
『そうか、社長か。』
『あんたは、優しすぎるのが欠点だ。社長になるには優しすぎる
でも、それでいい。あんたはいい経営者になれる。』

そう、言って下さった。

この方が現役の際は、月に一度お仕事をさせて頂き、
何事もなければご挨拶して辞去する。
不手際があれば、報告して挽回計画をお伝えして頭を下げる。

接点はそれくらいだった。

退かれてからも、月に一度一時間ほど、
お話のお相手をしながら運転する。
接点はそれくらい。

私の何をご覧頂いて、
『優しすぎる。でもいい経営者になる』
そう評して頂いたかはわからない。
でも、この頂いた一言で考えが変わった。

どんな世界にも、一流と呼ばれる方がいる。
この方は、間違いなくこの世界で一流の方。

その方と時間を共有することが出来て、
何を見て頂いているのかはわからないが、
『とにかく見て頂けている』
『とにかく評価頂けている』


それはこの会社で働かなければ手に入らない事。
今辞めるのは勿体ない。
今辞めるべきではない。


頂いた一言で、そう強く感じた。

上司も部長も社長も、私の翻意を喜んで下さった。
相変わらず船の時間に自分の時間を左右される日々だったが、
特に気にならなくなっていた。

未だに、あの時の私をご覧頂いて、
どこでそう評して頂けていたかは分からない。

ただ、あの頃はとにかく必死だった。
与えられた仕事をこなすにも必死
その中で、お客様に対して今何が出来るのか
それを必死に考えて、頭を下げた。
きっと、小利口になるよりも、
そちらの方を好ましく見て下さったのだろう。



結局最後までそのお客様に、
会社を辞めるつもりだったことは言っていない。

ご自身の一言が、
隣にいた私が会社を辞めるのを止めた事はご存じないだろう。
もっと言えば、人生を変えた一言になった事も。

誰かの何気ない一言が、
誰かのその後の人生を大きく変える。

そんな、変えて頂いた側の経験のお話し。

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