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パーフェクト

凄まじい記録がプロ野球で生まれた。

千葉ロッテマリーンズ、佐々木朗希投手
4月10日、
本拠地であるZOZOマリンスタジアムで、
実に28年ぶりの完全試合を達成した。

【完全試合】
ヒットやホームラン、四球・死球・味方のエラー
これらが一切なく、
相手チームからただ一人のランナーも出さない事。
前回の達成者は、
28年前当時読売ジャイアンツ所属の槇原寛巳氏

尚、2007年の日本シリーズに於いて、
中日ドラゴンズの山井投手と岩瀬投手の
二人による完全試合が達成された。


【13者連続奪三振】の日本新記録に加え
【一試合19奪三振】の日本タイ記録のおまけつきである。

【完全試合】も
【13者連続奪三振】も
【一試合19奪三振】も
全てアンタッチャブルレコードである。
球史に残る投手でも、その殆どが
これらの内一つを成し遂げることなく引退している。

それを3つ同時に達成してしまう事が
佐々木投手の凄まじさを表している。

この佐々木投手のパーフェクトゲーム達成の報、
先日ショッピングモールに家族で行った際に、
息子がおもちゃ屋さんを散策していた際に知った。

『すっげー』と思うと共に、
あるニュースを思い出した。
それが↓↓である。

3年前の夏、
高校野球岩手県予選決勝戦、
当時大船渡高校3年生で、
エースで4番だった佐々木投手
当時高校生で既に163キロと言う
とてつもない球を投げていた佐々木投手
当然決勝戦で出場すると誰もが思っていた。

ところが、だ

当時の大船渡高校国保監督が登板を回避させた。

プロ野球とは違う。
1回負けたら終わりの高校野球である。
超高校級のエースが投げない、
決勝で大船渡高校は成すすべなく負けた。

確かに佐々木投手は、超高校級どころか、
数十年に一度の逸材と言われていた。
加えて高校野球の過密日程である。
投手の肘や肩は消耗品と言われる。
速い球を投げるということは、
それだけ負担がかかる。
佐々木投手の卓越したの才能を潰さない英断と言われることもあれば、

如何に才能があろうと、
只一人を守るために、
チームを敗退に導く決断は監督失格

そんな声もあった。

実際に、決断した国保監督も、
↑の記事の最後の方で

選手は監督の決断に納得していたのか。
そう聞かれて、国保監督はしばらく考えた。

「納得……、しているんですかねえ。うーん……、まだ、わからない。何年後になるかわからないですけど……」

おそらくは納得してもらえなくても、
という覚悟があったのではないだろうか。

そう、インタビューに答えている。

佐々木投手のパーフェクトゲーム達成の報に、
これを思い出した。

佐々木投手が、大船渡高校を卒業後、
国保監督と親交を保っているのかは知らない。

3年前の国保監督の決断の是非はわからない。

でも、ただ一つ言えるのは、
間違いなく3年前の監督の決断が、
佐々木投手が偉業を達成した要因の一つにはなっているという事。
そして、
決断したときに、正しいかどうかなんてわからない、
それを
【正しかった】とするか
【間違っていた】とするか、

それは、決断した後【どう行動するか】
それにかかっているという事。

人は、決断をする。
生きていく上で、様々な決断をする。

このまま今の道を行くのか
違う道を選ぶのか
一旦逆に戻るのか

決断するのは怖い。
この決断が正しいかどうか、
その是非は、その時点ではわからない事が殆ど。

批判を覚悟で、
3年前大きな決断をした国保監督

意識してか否かは存じ上げないが、
結果として、3年前の国保監督の決断を
大きな意義のあるものにした佐々木投手。

本当に、素晴らしいと思う。
本当に、おめでとうございます。
大切なことを教えてくれて、
本当に、ありがとうございます。

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