過去の捉え方が腑に落ちすぎて内臓がマントル到達

私は誰かの考えについて、100%理解できたことはない。
それでも、そうであっても
この論文を読んで溢れ出てきた考えや感想をリアクションペーパーのように書き綴ってみようと思う。
なのでA3サイズくらいの寛大なお心でご容赦頂きたい。
下記の色々な勘違いと誤謬を。過失なの。


友達が、時間の連続性について論文を書いた。ひとつひとつの文章を大切にしたその論文が私は大好きだ。
「文章の余白や想像をゆっくり味わっていってね。別に全部わかろうとしなくても良いんだよ。」と言ってくれているようで嬉しくなるのだ。妄想。脳内自動音声。
(そもそも私がその筆者のことが、大好きだというのもあるかもしれない。)


論文全体の流れに重きを置いていると言うよりかは、ひとつひとつ読み砕くことで理解の深まる論文に感じたのだ。
文は繋がっているが、ひとつひとつの文章が煌めく。

私はその中に出てくる、
突如として過去が現在の自分を貫く
という言葉が特に好きだ。

私が思う、ふいに過去が自分を貫くとは

まず、今までの私は、
「過去が血肉になって、今の自分を形成している」
という考え方が腑に落ちていなかったのだと思う。

昔の自分があったから今の自分がある。
育ててもらったから今の自分がいる。
本当にそうか??

だって細胞は2年もすればほぼ入れ替わるし
記憶だってどんどん薄れゆくし
すべての過去が常に私に作用している、と思わないからだ。

だから、ふいに過去が貫くという表現がとてもしっくりきた。

常にではなく、時々強く思い起こされる。
無傷だった私を背後から貫いて、傷跡を残す。
背中に残った傷跡を認知した時に
貫かれた瞬間を思い出して
その痛みがリフレインする。

それが過去なんじゃないかと。
傷跡だから時に現在にもなりうる存在。

そして傷が治って、傷跡も薄れてきた頃に
別の過去が私の大腿部を貫く。
いっっって
なんで思い出しちゃったんだろう
なんでささくれ剥いちゃったんだろ
なんで掻きこわしちゃったんだろ
前もやったなー

忘れるたびに、思い出す痛みは鮮烈になる

過去は一定に私に作用するわけではない。
ある瞬間に、ある特定の過去が強めに思い起こされて落ち着いて、また別の過去が出てくる
積み重ねた時間は、波のように私を不規則に形成する。

そして何か私の周りでイベントが発生すれば、
はたまた意図的に自分の手によってイベントを発生させたのなら、
それに関連する特定の過去が思い起こされる。

自分の手で浴槽に波を起こしたなら、ぱちゃぱちゃと波としてやってくる
でも自分で思い起こした過去だから、
自分で立てた波だから、

ちょっと自分から見た世界に偏る。
自分で作った波の形になる。

そんな感じなのかなとも巡らせたり。

思いのままに書いてみました。久しぶりの哲学チックなただの感想文
読んでくれてありがとうございます。

そしたら、
読書感想文の宿題は、そんなに嫌いじゃなかったなと小さい頃の記憶がやってきました

(ちょっと落ち込んでる状態で書いたから、傷というネガティブな言葉だけど、良い思い出だって傷や痛みみたいに刻まれると思ってます。いい意味で傷!!!)

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