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愛を取り戻せ

ここでもちょろっと書きましたが愛がない時代です。

個の時代は=孤独を伴うものです。

愛されたくても愛してくれる人はいません。愛したくても愛されてくれる人はいません。

人間の心を動かすのは『金』だけになる。

交際相手に『収入』を求めるってそりゃ気持ちはわかるんだけれど

あまりな高望みや自分の背丈を超えた希望は『株や不動産の不労収入』が欲しいって言ってるのとあんまり変わらないような気がするんだ。


そうすると持っている『金』を愛しているだけであって『金を持っている人間本体』はどうでも良いことになる。

ちなみにこういう時代に金を持っている同士がくっつくとお互いを引き算で見てすぐ結婚も破たんしがち。それも愛がねーなと思う。


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濃密な人間関係って面倒です。

いいことばかりではない。むしろイジメや悪質理不尽なハラスメントはそういう関係の中でこそ起こると思う。

村八分だってその村から出れなかった狭い人間達の濃密で我儘で無知で他人の心を計り知らない行為です。しかしその群れの中に入っていれば色々な手助けや便宜があるということです。


家族も少子化って単純な頭数の話ではなくて、そうさせてしまった『世代の責任』がもっと問われるべきです。

子供を産めない社会にしたのは産まなかった世代ではありません。

子供に躾けをせず大人にして放流してしまった世代がいます。

そして放流された子供がガキを産んで虐待するんです。

でも虐待する理由はサイコなことではない、彼らは『なぜ他人の命を粗末に扱ってはいけないのか』を教わっていないのでわからないから自分より小さい子供をイジメるし、腹を空かせて泣いている横でスマホゲーに課金して餓死させたりできるわけです。



愛=「じゅてーむ、アイラビュー、オーイエススーハースーハー」のような単純なものではなく、

かといって家族の在り方とかそういうのを『家庭のありよう』方向から自分は切れない。


昔はけして良い時代ではなかった。今より悪かった。

それでも現代より愛を持っていた人も残っていたからこそ、その劣悪な時代に人が生きていられたと思う。

便利で清潔になったのに愛がないから豊かなはずなのに幸せではなかったり、十分な支援が得られなかったり、また金の切れ目が社会生活の切れ目で、ずっと金を稼ぎ金を使い続けるしかなくなった。

その反動でなんでもかんでも捨てまくる『断捨離』なんてのもでてきたけれど、人間関係まで捨てるわりにはネットとかでウロウロして『自分が持たない替わりに人様にやってもらう』みたいな印象を受ける。

それで次の旅は『結婚とか一緒に住む以外の愛の形』『酷い時代の愛』を見つけようじゃないか!と思うわけです。


で、やっと本題ですが

車旅、車中泊が基本ですが次は車じゃないほうが絶対にいいところになります。車を止める場所がないし、車の方が不便になるところだから。

で、目標までどれだけ車で近づくかが問題なのですが、電車で40分くらいの郊外で駐車場に停め、電車移動、現地を見て歩き、1日終わったら車に戻り一番近い道の駅で車中泊、次の日にまた現地へ。

で、夕方に家路へ。


の流れなら8時間くらいは歩く時間が取れそうだと思うわけです。

目的地はまだ悩んでいるんですが一つは『裏浅草』

まあアレな地域ですよ(笑)

それと『上野』

観光地巡りになりそうなところですが、そこで愛を見つけられそう・・・・と思って。


各地に例えば『悲恋伝説』のある道や峠・池とかあるけどもう絞りきれません。

リサーチもしてみたんですが、ただの『廃道趣味』で終わってしまう可能性も高いのでそれもどうかなと。

できれば

廃でも日常に溶け込んでいるモノのほうが歴史は感じやすいと思っておりますので。

新宿駅の馬水槽だってみんな気がつかないけど立派な歴史の生き証人。

それにヨドバシカメラはかつての地名の名残だし、そこに淀橋浄水場があった。

みなさんが歩く新宿にだって歴史は横たわっている。


住んでいたこともある場所も愛着はあるのだけれど我々東北人からすれば『上野』は外せないし、

裏浅草には江戸の下半身事情とインフラが繋がるのが今もうっすらのこっている。

それを確認する旅にしてみようと思うのですね。



投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。