咄の見える姿勢——島崎藤村『夜明け前』

 木曽路はすべて、とまで言われれば、たとえイントロクイズをしているわけではなくても、思わず手か声で回答権を求めてしまう向きは、少なくないでしょう。その通り、島崎藤村『夜明け前』冒頭の一節です。木曽路はすべて山の中である。では、さらにその先の、あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である、というところまで読み進んで、そのまま勢いあまってふらふら山の奥へ奥へと潜っていく時、そこには一体、どのような景色が広がっているのでしょうか。
 この作品は1929年から1935年にかけて、年に4回ずつのペースで「中央公論」誌に連載されていました。藤村にとっては57歳から63歳まで、ちょうど還暦を真ん中にはさんだ前後の6年間になります。新潮文庫版の解説(三好行雄)によれば、藤村は長男宛の手紙で「人生の転機を七年とする信条」を明かしているそうですから、『夜明け前』には、まさしく藤村晩年の一季節が丸々注ぎこまれたと言ってよい。ちなみに、その後の藤村は、小説としては次作に当たる『東方の門』執筆中、脳溢血で71歳の生涯を閉じています。1943年8月、すでに日本の敗色が濃くなり、文科系の学生たちの動員も始まろうとしていました。
 さて、そんな作品の主人公を担っているのは、青山半蔵、作家自身の父親を主なモデルとした人物です。本居宣長、平田篤胤らの流れを汲む国学に傾倒し、また木曽道、馬籠宿の本陣(参勤交代の大名行列が宿泊するための公認旅館)の当主でもあった半蔵は、一方では天皇を頂点にいただく王政の復活を支持しつつ、また一方では徳川幕府の政策に深く関与する立場にもありました。加えて、馬籠という土地の地理的な特性にもここで注目しておくべきでしょう。この宿場町は、京と江戸のほぼ中間に位置しており、両地を往来する旅人や飛脚にとって、大切な足休めの場所でもありました。休むといっても、ただただ黙って喉を潤したり、名物だという「栗こわめし」を掻きこんだりしているだけではない。各自が道中に見聞きした事柄を、おしゃべりするのもこの場所です。すると、そこには無数の情報が、ただし裏の取れていない情報が、集まって来ることになる。
『夜明け前』は、日本の近代文学を代表する歴史小説だと言われます。そして文学史的に、この評価は正しい。しかし、実際の作品に厚みを与えているのは、歴史に整えられる一歩手前の、まだ出所もはっきり知れないような「噂」や「流言」の山です。木曽路は太い一本の街道ではなく、周囲におびただしい、有るか無きかの、ほの暗い獣道を広げている。そして半蔵に限らず、『夜明け前』の登場人物はみな、この先の見えない獣道を行きつ戻りつ彷徨っている。先にも触れた冒頭の一節にすぐに続けて、今の読者からしていささか長過ぎると言えなくもない、木曽路一帯の詳細な地理情報が紹介されているのは、だからおそらく理由があってのことなのです。
 全二部の前半、第一部では、この島の治世を約三百年にわたって担ってきた、幕府の凋落が語られています。それは当時の人々にとって、自分たちがこれまで否応なしに従ってきた習慣や、価値観の大きな拠り所が崩れていくこととほぼ同義でした。さらには、その崩壊の過程で、朝廷と幕府の対立、武士に対する農民たちの反感と言った、国内にひそんでいた種々の軋轢が明らかになる上に、外国使節への対応をめぐっても意見が真っ二つに割れます。人々が何を信じるべきかの指針を失いつつある中で、既存の制度の矛盾や他者に対する警戒感があらわになっていく。およそ100年前に書かれた作品ですが、そこで主人公たちが置かれている状況は、今なお、と言うより今だからこそ、改めて読み返されてよいものです。
 もしや、夜はまだ明けていないのではないか。最終的には、将軍慶喜による大政奉還が公となり、半蔵の望んだ王政復古の兆しがのぞいた第一部。その読後にふと浮かんだ問いが、不気味な静けさでしばし留まりました。——と、いささか暗い方に傾きかけたところで、面白かった箇所も書き留めておきましょう。慶応2年、すでに落ち目の見えはじめた幕府が、二度目の長州征伐軍を西に送ります。中国地方で次々に戦火が上がっていますが、馬籠で暮らす半蔵らの元にはなかなか正確な戦局が届きません。この長征軍のために、地方一帯の代表として、献金を取りまとめなどしている半蔵としては、気持ちが焦れてたまらない。こうなったからには、自ら名古屋へ赴き、信頼できる情報を集めよう。しかし、その計画を両親に打ち明けようとしたところで、こんなやり取りになります。ちなみに、「吉左衛門」と「おまん」とは、それぞれ半蔵の父母の名です。

 「まあ、待てよ、みんな寝ころんで話そうじゃないか」とその時、吉左衛門が言い出した。「半蔵はそこへ足でものばせよ。おまん、お前も横になったら、どうだい。こういう相談は寝ながらにかぎる」
 旧暦七月の晩のことで、おまんは次の部屋の方へ行燈を持ち運び、燈火を遠くして来て、吉左衛門の側に腰を延ばした。他人をまぜずの親子ぎりだ。三人思い思いに横になって見ると、薄暗いところでも咄は見える。それに、余分親しみもある。
『夜明け前』第一部(下)新潮文庫

 旧暦七月とは、今の暦でおおよそ八月に当たります。夏のけだるい残暑を髣髴とさせる、見事な描写と言ってよいでしょう。本陣の当主を長らくつとめた父、吉左衛門の落ち着きぶりも、的確に表現されています。「三人思い思いに横になって見ると、薄暗いところでも咄は見える」。焦らず横になってみることは、山奥の闇中でも互いの「咄」を見失わないための、大切な知恵だったのかも知れません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?