教祖ごっこ悩み相談(安全)
とくに思いつかないけど30分、今日も書いてみよう。
あ、わたしが真剣にふざけている遊びに「教祖ごっこ」がある。引かないで聞いてほしい。
LINEでわたしは、ふつうに大学時代からの知り合いのひとの悩み相談をしている。ただわたしがいくつか年下だし、シリアスになりすぎないように「教祖ごっこ」としている。というかいつの間にかそうなっていたから、やっぱりちょっと危ない……?
わたしは教祖(という設定)なので、相手も遠慮のハードルを超えて悩みを相談できる。なんの宗教感もない。
こちとら家庭環境の問題もすこしは対峙できるようになったし、からだを壊したときに一度軽く悟りをひらいてるので、ときどき驚くほど良いこと言っていてじぶんでもビビる。教祖か。
わたしから出てきた言葉というよりも、相手に必要な言葉が出てくるだけ。だから、結局のところわたしはえらくもないし、教祖でもない。それがわかった上での遊びだ。
最近だと、
友だちとも親御さんとも、
なんだかうまくいかなくて、
まいっているとLINEをくれた。
話し合ってきたらいい、
とシンプルにアドバイスした。
「友だちにも、親御さんにも、
伝えたいことを、
覚悟を決めて話してきてください。
両手をじぶんの不安で
いっぱいにするんじゃなく、
相手にその手を差し出してください。
さわやかな気持ちで話してきてください。
大丈夫です」
わたしがなにかを解決することはなくて、
ちょっと冷静な視点を提示したり、
勇気をおすそ分けしたり、
単純にエールを送ったり。
できるのは、そんなことだ。
ただ、ときどき、
「大丈夫」って言ってくれるひとがいると、
救われるんだよね。
わたしもそうやって、救われてきたんだ。
だからこれは、
過去にわたしが働く上で勝負を仕掛けたときに
協力してくれた、この相談してくれるひとへの
恩返しでもあり、
(この感謝は、当時の仲間全員にずっとある)
いままでわたしに、やさしさをくれた
すべてのひとへの恩返しでもある。
なにかに、誰かに、なりきってみる。
そんなことも、ときどき、役に立つ。
次は誰になりきってみようかな?
なんちゃって。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。