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選ばない人生でいい

選ぶことって、ないのかも。

ふと、そう思った。

選ぶことが大事なのだ!
自分で決めてこそ!
頑張れるし!
達成感があるのである!

ってエセ松岡修造みたいなやつが、とにかくこころのなかで騒ぐから、焦ってたけど、もういい。
(松岡修造さんごめんなさい…)

べつに、投げやりになってるわけじゃない。
ただ、選ぶことの中身を考えてたら、闘志を燃やしたところでどうにもならない問題なんだってことに気づいた。食べるメニューを選ぶことですきを見つける訓練しろってなんか数日前に書いた気がするけど、すでに翻意。

おい、いいか。
わたしのなかの、エセ松岡修造。
こころが反応してないくせに、
勝手に決めるなよ。

本当に「選んでしまった」っていう道がある。
わたしにも、あるのだ。そのときは、透明な光を帯びた矢印が見えるみたいに、ああ、これをやりたいんだ、やらずにはいられないんだ。そう悟って、無理かもしれなくても手を伸ばした。

だから、センサーを磨くために、食べものくらい、自分の反応を感じるトレーニングをしてみるのは、やっぱいいんだとは思う。

「選べ!」って、サスペンス劇場でよくある崖の上に追いやられてナイフを向けられ絶体絶命なのに名探偵船越英一郎は助けに来ないってこれどういうこと?! みたいな状況に自分を追い込んでも、本当の「選ぶ」はできない。迷宮入りが確定する。

自分でナイフを向けて脅しても、「わたし」は選べないよ。
選ぼうとしても、選べないよ。

じゃあどうするのか。

ちゃんと、自分のこころを、
反応するようにしておくんだよ。
みずみずしく、自由に。
こころが震える「なにか」にふれても、
自分のまんなかにある泉が淀んでいたり、
水があまりにすくないと、
こころの震えに気づけない。

素直に、泣いて笑って。
こころを押し込めない。
自分への愛をもって、泉を満たす。

そして自分のこころが導かれるほうへ、進む。

選ばない人生を送りたいよ。
選ばれるのを待ってるだけの人生もいや。
透明な矢印を、ただ追っていたい。

そんなのないよ
って思うひともいるかもしれないけど。
大丈夫。
ちゃんと、あなたの泉はあるし、
いまも湧いている。

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