久しぶりに病んでいい? いいよ いいよあり

私が醜くなっている様を見るな!!!




いっぱい病みます





今まで、そしてこれからも私を悩ましているのは、やはり同期との関係だろう。常々不思議なのだが、私は同年代に嫌われやすく年上に好かれやすい。

後輩は持ったことありません! 能力が低いから教育を任せられないので。

自分でもどうして年上に好かれるのか不思議だ。外面は体裁よく見せているが、コミュニケーション経験の無さをそらぞらしい大言と虚栄心で糊塗しているだけにすぎない。私より好かれるべき人は山のようにいる。

そして同期と仲良く出来ない理由は、間違いなく学生時代に抑圧されていたからだ。原因がはっきりとしているぶんマシか。

(思い出しても壊れない範囲で)学生時代にあったことはここに綴っている。
同年代に対しても最初は体裁を保っているため第一印象はそう悪いものではないと思う。吃音があるくらいだ。
だけど、学校のクラスや会社の課という小さく閉塞的な社会では、同期のよしみというものかどうか知らないが、毎日話しかけてくるようになる。あわよくばプライベートにまで介入しようとしてくる。

そうなったらもう終わりだ。私の化けの皮は瞬く間に剥がれ、猜疑と嘘で固められた私の悪の根に少しでも触れた者は、あっという間に周囲から姿を消していった。

ネットでみた「合わない人とは無理に付き合わなくていい」という情報を真に受けて、私を理解してくれようとしている人を片っ端から拒んでいった。

人生をやり直せる提案を貰っても、学校へは二度と行きたくない。会社へは同期がいなくなったら行ってもいいかなと思う。

いつもの推し作家のやつ。
だけどこの動画に限っては見返すことができない。学園ものというだけで心を抉るのに、そのうえ私の心情を見透かされ、恐怖心さえ抱いたからだ。

作者は、ブログで「主人公は私の分身」と言っていた。一方で、「作者は大人にならざるを得ない経験をしたからようやくちゃんとキャラと分離することができた。よって、少し主人公のことを腹立たしく思う場面があった。」とも綴っていた。
まんま私にも共通すると思っていたのに、作者に裏切られたようで身体中の力が抜けて悲壮を得た。

私は未だに大人になれていない。自己否定から入り他者さえ常に否定をしている。腹立たしいどころか愛おしい。だから、結末で救われてほしくなかったのに。ずっと人間のふりをした化け物として、抑圧されながら生死を彷徨ってほしかったのに。
欲を言えば、全人類が私のレベルまで落ちてほしい。
自分の問題を自分で乗り越えようとせず、親のせい社会のせい政治のせい他人のせいにして気随のまま幼稚に振舞ってほしい。


私は、2ヶ月前に同期に酷いことをされた。いや、あちらに悪気が無いことは知っている。ただ、あいつらの自分勝手さが許せなくて、そこから怒りを態度で表すようになった。
私はあいつらとの職場での会話を止めた。すると、次にあいつらは私の陰口で盛り上がった。私だけ誘っていない飲み会で、事実の非難と煙の立ってすらいない噂話で夜通し話したらしい。
そこから私は「全員から嫌われた存在」になった。
この点に関しては学生時代のいじめ方がマシだったと思う。社会人のいじめは証拠を残さないように陰湿なんだよね。

だから、年上には好かれようと虚栄を張った。この虚栄は現実逃避にも近く、いつも心の根底で蠢くように、私の中の何かを刺し続けていたものだった。


ほどなくして、別の部署から顔見知りの同期が出向してきた。
八方美人で私にも分け隔てなく接してくれた。嫌われていないだけ「人生の仲良かった人間ランキング」に入ると思う。

もちろん同期の中では仲がいいというだけで、何回も言っているが私は同期全員が嫌いだ。
だけど、そいつには心を開いてみようと思ったことがある。
アパートが同じだし、私が所属する課に出向してきたというのは不思議な縁だと思う。

勇気を出してこの前食事に誘ってみた。誘いには乗ってくれたが、会話には失敗した。

そいつは私のメンタルの不安を打ち明けたことがある。だから配慮はしてもらっているんだけど、完全に心を開けっ広げにしなくて良かったと今では思う。
話の節々で「友達が~」「彼女が~」「サークルで~」という言葉が出てきて、何も得られなかったことをインディビジュアリティーとして抱えている私に言うことか?と怒気を含んでしまった。
多くの人間が集う場ではそういう話題が盛り上がるから、私が消えればいいだけではある。しかし、私のパーソナリティを知ったうえで地雷を踏みぬく話題を選ぶのは無頓着というかなんというか。
地雷が多すぎる私が悪い?それは、そう

もちろんあいつに悪気が無いことは知っているし、私自身もそいつとは表面上の付き合いを続けないと不利益を被ることは自覚しているから自我を抑えて付き合っているが。

しかし、付き合いは突然終わった。
そいつが私との会話を続けていると、同期に「よくもあんなのと会話できるよね」と言われたらしい。この言葉で限界が来たのだろう。または私と関わり続けることで被る不利益を危惧し、自己保身を選んだのだろう。八方美人のそいつは私との距離を露骨に置き、また一人になった。


ここまでされるのには私に原因が無いはずがない。小耳に挟んだ話によると、「話しかけんなオーラが出ている」というものだった。
よくもまあそんな稚拙な言葉が使えるなと感心するとともに、オーラというスピリチュアルに近いものを提示されたことによって自戒の道を失い、改めて自分が手遅れであることを認識した。学生時代も「雰囲気が暗いんだよ死ね」と何度も言われたな。

大学に入学しても、大学院や会社でさえいじめはあるからまともな社会復帰は諦めるべきだとおもう。年を重ねるごとに、直接の被害ではなく陰湿にもなっていく。

だけど好意的に考えると、身内の吃音者の複数はすでに自分の手で高次元への切符を手に入れている。悲報か朗報か私は生きている。
私がまだ自己を殺めていないのは、死を極度に恐れている性格というのもあるが、人の不幸を喜べる性格であったことに起因する。たとえ私が人間の屑であっても、そもそも人間のふりをした何かであったとしても、不特定多数の没落する様を傍観したい気持ちに嘘はつけない。
この世界はくだらないと思いながら全く無価値な死を遂げるよりも、魔王的な思考でこの世の破滅を願いながら終えたいと思う。だから自分の手では自己も他人も殺めないよ。
自己憐憫が趣味のルサンチマン全開で自分と他人に等しく棘を刺すジャックナイフに成り果ててしまった。

繰り返しにはなるが、全ての終わりは学校生活である。あのときの教師に私はここまで変わったんだと見せつけてやりたいな。


あっ、

リアルが上手くいっていないだけでネットの人は大丈夫だからね!


最近の楽しみはメンクリに行くことだ。
会話は下手だけど、会話すること自体は好き。でも傷つきたくはない。だから、メンクリは会話をする場所として依存している。「この仕事が終わればメンクリだ!」と考えるようになった。病院が楽しみというのは笑っちゃうね。



メンクリで心理テストをしてメンタル壊されました!


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