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ファン・デ・ナゴヤ美術展2024

■会期:2024,1,12〜1,21
■会場:名古屋市民ギャラリー矢田

美術展を見に行った際、チラシが置いてあり気になったので先月行ってみた。副題に「次世代キュレーター&アーティストによるエキシビション」とあったので、これから現代美術(なのかな、)を牽引されていく方々なのかなぁ、とぼんやり思い向かった。
*撮影の許可いただきました。

気になった作家さんを紹介する。

三科 琢美さん(愛知県出身)「線を掴む」
 チラシにも作品が掲載されており、紙面上で見るだけではその作品は岩のような固い立体のなにか…としか判断できなかったのだが、実際に拝見するとそれは黒いサインペンやインクなどで無数に線が引かれた大きな紙の塊だとわかった。


これは影のかたちがすきだった。


 作者である三科さんが在廊されており直接お話を伺えた。
彼はもともと紙にドローイングを描いていたのだが、それをだんだん立体で表現したらどうなるのか、という思いから現在の作風になったのだとお話してくださった。紙は新聞紙や包装紙、ダンボールなど様々な素材を扱っておりそれらをでんぷんのりで固まらせつなげて制作しているそうだ。

「地道な作業ですが……」とご本人も仰っていたが、近くで見ると本当に細かく線が引かれており、岩のような紙のかたまりはとても大きい。遠くから見ると黒々としている。これほどまでにするのにどのくらいの時間を要するのだろう…と考えると気が遠くなってしまう。

 しかし別の現代美術家の方がどこかで「七面倒なやり方だとはわかってるんですがわたしはこういうやりかたをするしかない……(大意)」と近いことを仰っており、地道で一見遠回りな作業を丁寧に重ねていくことに、ひとつ価値や美しさが宿るのかなとも思った。
とにかく作品が大きくて天井を覆い尽くしている部屋はいまにも襲いかかってきそうな勢いが感じられた。




 わたしは立体にあこがれる。ふだんはキャンバスや紙、二次元にものを起こしているからだ。SNSなどでぬいぐるみや張子のおきもの、彫刻で表現されている方々の作品をみて360度から作品を愛でられることはとてもいいなあ、そこに“ある”“いる”感覚は紙で書いていては味わえない。
時々おあそびで紙粘土でどうぶつなどを形づくるとすこし気分が上がる。
そこに存在しているから、なのだろうか。



佐野 魁さん(静岡県出身)「わたしの部屋、あなたの部屋」


案内のチラシより。
「コロナ禍により行動が制限されることで気軽に移動したり、帰省することが叶わなくなった。お互いの身を案じて接触を絶とうとする状況が続き、私たちは物理的な距離をとるために部屋に身を隠すことになった。以前よりも部屋で過ごす時間が増えたことで自身にとって家族や家、部屋というものがいかに大切なものか再認識するようになった。当たり前にある景色がいかに美しいものなのか。」

 とても驚いたのはコンクリートに絵が描かれているということ。
コンクリートに木炭でデッサンがされていた。様々な大きさのコンクリートが積み上げられて大きなキャンバスになっていた。そしてまるで紙に書いたかのような繊細でやさしい日常のデッサン。
コンクリートはところどころひび割れており、コロナ禍で日常が突如崩れてしまったことと重なった。生活に欠かせない“部屋”だけれどモチーフとしては見落とされがちなトイレをデッサンした作品が一番好きだった。

 そして美術の行き着く先はモノクロなのだろうかとも感じた。これも別の美術家の方がそれまでカラフルな作品を書いていたけれどモノクロに変化していった様が浮かんだからだ。“色”という要素は思考や表現の妨げになるのかな…と思った、、のだが、作者が何を伝えたいのか、大事にしているのかにもよるだろうなと考え直す。



本棚っていいよね


重厚さと繊細さが共存していたすてきな作品だった。


今は生活と絵をがんばっています。 「スキ」してくれるとアルパカが出てくるので、ぜひ。 サポートはすべて画材に当てております。 いつも応援本当にありがとうございます。