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共和党はいつから南部を地盤とするようになったのか?

序文
2024年現在の共和党は非常に包括的な政党であり、そして今まさに大きな変革期を迎えている。

東部エスタブリッシュメントを地盤とする中道派。
中西部や南部の伝統的な保守主義者などを地盤とする保守派。
そして五大湖や南部の労働者階級を中心に支持を集めているトランプ派。
この3つの派閥がそれぞれ主導権を握ろうと悪戦苦闘している。

この変革期に恐怖を覚える方も居るだろう。
しかし共和党という政党がかつて迎えた変革期をしっかり理解する事で、この変革期を正しく、そして冷静に理解する事が出来ると私は思います。


1.政界再編とその前と後


まずこれを語るには共和党が変革する"前"と"後"を見なければならない。

1924年アメリカ大統領選挙
赤が共和党、青が民主党、緑が共和党から分かれた進歩党だ。

この画像はWikipediaから引用した「1924年アメリカ大統領選挙の結果」だ。
赤が共和党、青が民主党である。

この地図からわかるのは
・共和党は北部・西部を中心に選挙人を獲得している。
・民主党は南部を中心に選挙人を獲得している。
という2つの点だ。
この地図、何か見覚えがないだろうか?

そう、アメリカ南北戦争と同じような分かれ方をしているのだ。

「世界史の窓」様から引用させていただいた南北戦争の地図
緑が北軍、黄が南軍である。

共和党が勝利した選挙の為、少し奪われてはいるものの、民主党が勝利した地域はほとんどが「南北戦争で南軍・連合国側についた地域」と言える。

つまり変革期を迎えるまで、アメリカ大統領選挙の対立軸は「北軍の後継者である"共和党"」vs「南軍の後継者である"民主党"」であったと考えられる。

それでは次に変革期が完全に終わった後、つまりは冷戦終結後になってしまうが、その頃の選挙を見てみよう。

1996年アメリカ大統領選挙

完全に変わった。
民主党が大差で勝利した選挙の為、民主党が一部共和党の支持基盤に食い込んではいるが、この70年の間に民主党と共和党の支持基盤は明らかに入れ替わっている。
民主党が大勝した選挙だけでは不公平な為、共和党が勝利した2000年の選挙も見てみよう。

2000年アメリカ大統領選挙

これで明白だ。
約70年の間に、共和党の支持基盤は北部・西部から南部・中西部へと変化し、民主党の支持基盤は南部から西海岸と北部へと変化したのは明らかである。

ではこの70年間の歴史を振り返って、どうしてこの政界再編が起きたのかを確認していこう。


2.世界恐慌とニューディール連合
そして"勝者の党"の崩壊


政界再編の最大のきっかけは「世界恐慌」だ。
これに有効な対策を打てなかったフーバー大統領率いる共和党は1932年アメリカ大統領選挙に惨敗。
そして大統領となったのが「フランクリン・デラノ・ルーズベルト」だ。(以後FDR)

フランクリン・デラノ・ルーズベルト

FDRはニューディール政策という社会主義的・ケインズ主義的な政策を行い、少なくともフーバー政権よりは経済を立て直した。

しかしニューディール政策は後世の歴史家から「あまり効果がない」「一時的な対策にしかならず、恐慌は終わらせられなかった」という批判にさらされており、少なくとも大成功だったとは言えないだろう。

だが、FDRがアメリカにおいて果たした最大の業績はそこではない。
私が考えるFDR最大の業績は「ニューディール連合を成立させた事」だ。

ニューディール連合がわからない為に説明すると、ニューディール連合とは「労働者階級や南部出身者、そしてリベラルを結びつけた利益集団の連合体」である。
つまりは「ニューディール政策の恩恵を受ける集団の集まり」という事だ。

危機は対立している人々をも団結させる。
世界恐慌は南部の保守派と北部のリベラルを結びつけ、まさに呉越同舟と言えるような状況を民主党は作り上げたのだ。

そして第二次世界大戦は終結し、共和党が持っていた南北戦争における「勝者の党」というイメージは、民主党がWW2を勝利に導いた事によって崩れ去った。
民主党が新たな「勝者の党」となったのだ。


3.ニューディール連合の瓦解とアイゼンハワーの台頭


しかし、ニューディール連合はあまり長続きはしなかった。

1948年アメリカ大統領選挙

この地図を見てほしい。
オレンジ色の政党は「州権民主党」という政党で、民主党の左傾化に不満を覚えた南部の有力者は一時的に民主党を離脱し、新たな政党を作り対抗したのだ。

この頃から南部には共和党が支持を拡大する為のチャンスが生まれていく。

1952年アメリカ大統領選挙

トルーマンが朝鮮などで外交的な失敗を繰り返した事と、あまりにも左派的な政策を行った事や民主党政権内部に共産主義者が居るという事に対する恐怖は共和党を52年の勝利に導いた。
何より共和党の大統領候補が大戦の英雄である「ドワイト・D・アイゼンハワー」だった事も理由である。

ドワイト・D・アイゼンハワー

何はともあれ、1932年から20年間続いた民主党政権は終わり、ニューディール連合も揺らぎ始めていた。

しかし、ここで南部が共和党の支持基盤となった訳ではない。
先程の地図を見ればわかるように、未だ南部は民主党の地盤だった。

それもそのはず、当時の共和党と民主党の政策に大きな差はなく、南部の人々を共和党に振り向かせるほどの魅力はなかったのだ。
南部人の不満は溜まり続ける一方だったのだ。


4.保守主義者の台頭と"南部戦略"


1960年アメリカ大統領選挙においてニクソンが「アメリカ大統領選挙史の中で最小の差」と言われるほどの僅差で敗北したのちに台頭してきた男が居た。

それが「バリー・M・ゴールドウォーター」である。彼はロバート・タフト死後の中西部保守派のリーダーであり、共和党保守派の代表である。

バリー・M・ゴールドウォーター

彼の主張は
・共和民主両党の政策にあまり違いはなく、差別化を図れていない。
・民主党に対して不満を抱く南部にこそ共和党の勝機があり、南部にアプローチを行う事が必要である。
という内容だった。

ゴールドウォーターは中道派のネルソン・ロックフェラーとの激しい予備選を勝ち抜き、1964年アメリカ大統領選挙へと出馬した。

1964年アメリカ大統領選挙

しかし、結果はご覧の通り。
ゴールドウォーターが公民権法に反対した事、共和党中道派がゴールドウォーターを見捨て、選挙運動に参加しなかった事、ゴールドウォーターが失言を連発した事、そしてジョンソンが暗殺されたケネディの人気に上手く便乗した事など、数えきれないほどの理由があるが、ゴールドウォーター率いる共和党は歴史に残る大差での敗北を喫したというのは事実だ。

しかしこの地図をよく見てもらえればわかるように、今まで獲得できなかった南部諸州の大半を共和党が獲得している事がお分かりになるだろうか?
つまり、ゴールドウォーターが提唱した「南部に対してアプローチを行う」という"南部戦略"は正しいことが証明されたのだ。

これは今後の共和党の基本方針となる。


5.南部戦略の進展とウォーターゲート事件


1968年アメリカ大統領選挙でも共和党の南部戦略は続けられた。

1968年アメリカ大統領選挙

ニクソン率いる共和党、ハンフリー率いる民主党、民主党から離脱したジョージ・ウォレスが中心の独立党が争った1968年アメリカ大統領選挙は僅差で共和党のニクソンが勝利。

リチャード・ニクソン

ニクソンは1960年に立候補した際とは違い、公民権運動や反戦運動に対して「法と秩序の回復」を掲げて南部の保守派にアプローチを行い、一定の成果を収めた。

1972年アメリカ大統領選挙

続く1972年アメリカ大統領選挙ではニクソンが外交にて圧倒的な成果を収めた事により、共和党が完勝。
南部諸州においても全てニクソンが勝利し、共和党の南部戦略はついに大きな結果をもたらす事となる。

1976年アメリカ大統領選挙

しかし、ウォーターゲート事件の影響でニクソンが辞任。
後を継いだフォード大統領は支持率の回復に努めるが、1976年アメリカ大統領選挙で共和党は南部を失陥し敗北。
この時点ではまだ共和党は南部を"地盤"と言えるほど南部での支持を固められていなかったのだ。


6."南部戦略"の完成と共和党の新たな時代


1976年アメリカ大統領選挙の後に就任した民主党のジミー・カーターは石油危機への対応やインフレ率の上昇と経済成長の停滞、外交政策の失敗など、失政を繰り返していた。
そんな中行われた1980年アメリカ大統領選挙の結果を見ていこう。

1980年アメリカ大統領選挙

まさに大勝利だ。
カーターの生まれ故郷であるジョージア州は獲得出来なかったものの、南部諸州の大半は共和党が手に入れたのだ。

1980年アメリカ大統領選挙に共和党候補者として出馬した「ロナルド・ウィルソン・レーガン」は
・規制緩和や減税を中心とする新自由主義的政策
・カトリックや福音派に寄り添う社会右派的政策
・戦略防衛構想(SDI)による軍備増強
・「強いアメリカ」を取り戻す為の強硬的な外交

この4つを中心とした政策を掲げ、この選挙における大勝利を手にした。レーガンの勝利の要因はレーガン本人の人柄やカーター政権の失策などいろいろある。

ロナルド・レーガン

だが最大のものは"ニュー・ライト"の確立に成功した事だ。
上記4つの政策はリバタリアン、孤立主義者、南部の保守派をまとめ上げ、強大な『保守連合』を作り上げたのだ。

1984年アメリカ大統領選挙

1984年アメリカ大統領選挙では経済の復調や外交の成功などによって、再び地滑り的な勝利を収めた。
レーガンはまさに保守連合のアイデンティティを確立したリーダーとして相応しい存在であり、レーガンは米国保守主義のリーダーとして語り継がれている存在なのだ。

後継者のジョージ・H・W・ブッシュはこの『保守連合』を引き継ぎ、共和党全体の潮流とする事に成功した。
ゴールドウォーターから始まった"保守革命"はついに終結し、FDRの任期から続く政界再編も完全に終わりを迎えたのだ。


さいごに


私たちが生きている時代の共和党も、トランプ派の台頭によって、大きく形を変えようとしています。
確かにトランプ氏は予測不可能で、よくわからない男かもしれません。

ですが過去の変革期を学び、しっかりと理解する事で、トランプ氏に対しても正しく冷静に分析ができるようになるのではないでしょうか。
トランプ氏による変革が成功するのか、失敗するのか、それは今の私たちにはわかりませんが、日本と特別な関係にある同盟国の話ですので、しっかり判断していきたいですね。

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