悪という魅力を探りたいという欲


私はずっと善と悪についての興味を持っている。
それは、自分を今まで形成してきた時間や内容が関係していると思う。
善でいたかった私と、
いたかったが故に入り込んで飲み込まれるように私を徐々に侵略してきた悪。
戻れない時間と
抑えられない爆発してしまった私の悪い感情への後悔…。

それでも自分を守ろうとして、自分を肯定したかった私。
悪を毛嫌うのではなく、一部として受け入れたかったこれ以上否定したくなかったという感情。

悪…にも、色々な種類があると思っている。
悪は確かに誰かを傷つけてしまうものであるけど、使い方によっては誰かを守りたいと思う気持ちを満足させてくれるもの…かもしれない。

人間に欲がある時点で悪い感情がいつだって発動してもおかしくはないと思います。
では、悪い感情に飲まれてしまう人と抗うことができる人の違いは何なんでしょう。


…と、たくさんの疑問を持ってしまっているので、悪を知るために、善を知るために本を読もうと思いました。
私が理解するには時間がかかるし、
理解したは、要約ができたり言い換えができたり、自分のものになるってことだと思います。


1回読んだだけで、理解できるような頭を作ってきてはいないので。
どうにか、使える知識、使える思考力を目指して、読書をしていくのが目標です。

そうやって、自分なりに行き着く答えみたいなものを見つけられたらいいなと思っています。

とりあえず、少し読んだだけですが、
聖書を読んだ方がいいかもしれないです。
という結論がでました。
この本にそう書いてあったからというのも理由の1つですが、
全ての物語の基盤?始まり?がこの書物この物語にありそうだな〜と思いました。


聖書に触れるなんて、想像もしなかったことです。
学生の頃に必修科目で少し受けてはいたんですが、とっても軽く考えていました。
(内容では、いいこというな〜くらいにしか思ってなかったです)
さっそく、聖書はどこのものがいいか探してみようと思います。


悪に魅了されている?(私は悪というより多分、賢い人が悪い意味ではなく、何かを守るための手段として使う悪さみたいなものに惹かれているんだと思うんですが…)ので、悪とは何なのかを少しずつ先人たちの思考に触れてみようと思います。


人間は基本的に「善を行うことはできない」というのがキリスト教の基本的な考え方です。
悪の正体  p136
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
ローマの信徒への手紙、第7章15-20節
悪の正体p136


私も何となくですが、善を行うことができないに近い思想の方がするりと受け止められるような気がします。

好きな曲にこんな歌詞がありました。

生まれ落ちた瞬間に
罪を背負った僕らの抵抗
救いの船はもうこないと知っていた
『春が終わる前に』 Halo at 四畳半

何故だかはわかりませんが、
このサビやこの曲がすごくすきだったのは、
聴きたくなったのは、私のこういった思いが私の底で静かに静かに息を潜めていたからかもしれません。


長くなってしまいましたが、
聖書を探していますので、
オススメがあったら教えてくださったら、嬉しいです😊

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