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2024冬アニメ最終感想 メシとエロ/インテリオナニズム/原作改変/不機嫌で他人をコントロールがどうたら

酒池肉林とは程遠い人生。


今季のラインナップ

『スナックバス江』
『葬送のフリーレン』
『ダンジョン飯』
『道産子ギャルはなまらめんこい』
『姫様“拷問”の時間です』
『僕の心のヤバいやつ』
『ぽんのみち』
『魔都精兵のスレイブ』
『魔法少女にあこがれて』
『メタリックルージュ』

前回


〜感想のルール〜

  • 評価に応じた順位付けをする。

  • 視聴中のモチベーションの多寡を、タイトル横に補足する。

  • 評価の順位とモチベの高低は必ずしも一致しない。上位であっても視聴モチベが低いことがある。逆も然り。

  • 上記3項に則り下位作品ほど感想が多かったり、上位作品がさらっと済まされることもある。

※評価の基準
基本、映像重視で評価。作画より演出や画面設計が面白いかどうか。
ストーリーに関しては、シナリオの巧さよりキャラクターの動機に沿ったドラマが展開できているかどうかを重視。

〜モチベーションの内実〜

  • 特盛 (本編を繰り返し集中して見た)

  • 大盛 (1回は集中して見た)

  • 並盛 (内容を覚える程度には見た)

  • 小盛 (だらっと流し見した)

  • 虚無盛 (ほぼ見てない)


『メタリックルージュ』に対してかーなーりボロッカス言ってます。
お好きな方はご注意ください。
今回書きたいこと (しかもあんまりアニメに関係ないこと) を詰め込み過ぎたので、めっちゃ長文です。1.4万字の無駄話、とくと味わえ!!


10位『メタリックルージュ』モチベ:並盛


マジでおもんない。
『ワンダーエッグ・プライオリティ』特別編を計12回見せられた気分。

ちなみに『ワンダーエッグ・プライオリティ』は、7話までは20年代アニメの中でも飛び抜けていると思っている (8話から雲行きが怪しくなり、広げなくていい風呂敷を広げて終わった)。

『ワンエグ』が個々のエピソードの出来がズバ抜けているのに全体のまとめかたで大失敗したのに対して、『メタリックルージュ』は個々のエピソードも散漫な上にまとめかたも雑すぎる。

マジでキャラクターが全然生き生きしてない。
設定されたテーマ、敷かれたシナリオに殉じて喋って動くだけ。

「生き生きしてない」というのは、「このキャラは記号的じゃなくてちゃんと人間でぇ…」、みたいなそいつにとっての「人間」の匙加減でしかない意味合いではない。
要は作劇に対して全く関われていないのに出しゃばる奴が多すぎる。

全員ぽっと出キャラみたいなもん。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のヴィジョンがいっぱいいると思ってください (ぽっと出で何もかも解決しそうでしない中途半端なキャラ)。
要らんキャラ多すぎ。どうでもいいエピソード多すぎ。それに尺を割いてもなんも解決しないこと多すぎ。

いっぱいキャラクター出すのは良いけど、中途半端にフォーカス当てて退場させるのやめてくれ。目的意識が見えてこないし、見えたと思ったらすぐフェードアウトするからなんの関心も沸かない。

『ワンエグ』はその辺がめちゃくちゃ上手くて、4人の主人公格の人物に共通の目的 (自殺した少女を救う) を持たせて、その目的に向かう道中の意識の差異をよく描けていた。

アイの親友との問題。リカの母と離婚した父との問題。桃恵のジェンダーに関わる問題。ねいるの出自に関わる問題。それらが同じ目的に対しても異なる動機を生む。
だから4人とも同じ目的を持っていても、すれ違いが起こるし、なんなら目的を放棄したがる場面だって出てくる。

その度に4人の交流が自然と発生し、お互いを知るきっかけにもなる。そういう衝突と和解の繰り返しがドラマを生む。

その結果起こる心境の変化は、別にモノローグとかでいちいち説明しなくても、キャラクターの表情や行動、或いは画面内のモチーフの見せ方なりで示されているものだ (そこは演出の腕にかかっている)。

対してこの『メタリックルージュ』は主人公の周辺人物ほとんどが、意味深なセリフを投げかけるだけ投げかけてフェードアウトして、結局お前は何がしたいねんってキャラばっかりだ。

「人造人間の解放」という大枠の目的があるのはいいが、それにコミットする各キャラにだって大なり小なり違う動機があって動いているものだろう。
じゃないと固有のキャラクターにする必要性がない。ショッカーの構成員みたいに人造人間A、B、Cで振り分けただけになる (これ『アークナイツ』のアニメもそう)。

「この謎気になるでしょ?」(チラッチラッ ってしてくんのも鬱陶しい。
気にしたところでそれもう何回擦られたネタやねんて感じやし、結局種明かしはベラベラと説明されるしで、何も面白くない。
設定資料集で判明するような情報で盛り上げようとすな。


もしかしてストーリーテリングを複雑にすれば面白くなると?(複雑じゃなくてただ意味深に言葉濁してるだけ)

未知のものが徐々に明らかになる快感を否定はしないが、全容そのものがありきたりなものをいちいちもったいぶって隠す必要はない (主人公が属する側が実は元凶でしたなんて、腐るほどあるでしょうが) (ナオミの真の名がファウスト…、はいはい。ほなメフィストフェレスはどなたで?)。

それとも重厚な世界観をお届けします的なやつ?

例えば重厚な作品って持ち上げれがちな『GHOST IN THE SHELL』って、3人の人物の行動だけ追っていけばいいめちゃくちゃシンプルなストーリーでしょ。押井が言うところの「男2人と女1人の話」。

素子とバトーと人形使い (まあこいつは便宜上男ってことで) の三角関係のフォーマット。
押井の悪癖によって、やたらとナイーブにされた草薙素子の実存的な悩みに対して、これまた色ボケにされたバトーが核心に踏み込めずうかうかしている間に、人形使いが素子とランデヴーしてしまうってだけ。

心変わりした女をそれでも追っかける男、みたいなナルシスティックな男目線の陳腐なロマンス。『イノセンス』なんかモロにそれやしね (犬飼ってる中年の話でもいいか) 。

そりゃ深淵なテーマを見出そうとしたら「人間の意識とは…」とか「生命の定義とは…」とかまぁそれっぽいことを、ストーリーの面白さへと還元できるかも知らんけど、ぶっちゃけそんなんオマケで。
あの突っ立って喋るか、座り込んで喋るか、街並みを歩くかがメインを占めるアニメがなぜ面白いかって、映像演出が桁外れにキマりまくってるからでしょ。

レンズの効果を再現したレイアウト、光学迷彩を表現したマスク合成、どのシーンでも練られた構図、緻密なキャラの芝居、コマ打ちを倍にして再現したハイスピード表現、リソースの限られたなかで工夫を凝らした効果的な演出の数々があの映画を成り立たせている。

あるいはガンマニアの性癖開陳ショーでもいいよ。そっち興味ないけど。

こだわったシーンを全然気づいてもらえなくてキレてる押井。そんなん知らんがな。

あの数秒のシーンにも、わたしのガンオタとしてのこだわりが詰まっているんだけど、それに気づいてくれたのはどこかのお笑い芸人だけだった。バトーは車から降りた瞬間、いつでも撃てるようにデコッキングレバーを戻しているの。それも、手元も見ずに、ごくごく自然にやっている。手が勝手に動いているかのようにね。それはすべてわたしが指示して描かせたんだから!
実は『攻殻』は銃器に関してはマニアックな作品。あえて言わせてもらうと、画期的な作品だったんですよ。銃器設定をあれだけ細かくやった初めてのアニメーションだと言っていいと思う。今はもう、結構やるようになったけれど『攻殻』当時はずさんだった。極端なことを言えば、リボルバーとオートマチックの差もわからない人間がやっていたからね。シングルアクションとダブルアクションとか、知ってる人のほうが少ないくらいだった。ましてやデコッキングレバーなんて。

――もちろん、わかりません。

だよね……それを説明しだすと時間がかかっちゃうから割愛するけど、そのお笑いのおにいさんはきっとガンオタなんです。偶然見たWOWOWの放送で、そのシーンを見てシビれたと言っていたから。彼だけだからね、気づいてくれたのは! 光学迷彩に関しては誰も気づいてくれなかったんだから!

https://tvbros.jp/regular/2021/06/26/2957/


押井ってお話自体はシンプルに作る方だ。
いちいち衒学趣味に付き合うのがだるいってだけで、そっちに気を取られなければほんとによくあるお話作り (世界観→ストーリー→キャラクターの優先順位で作るから、そもそもの力の入れ方が違う) 。

『メタリックルージュ』の場合、どうでもいい謎解きに視聴者を付き合わせる方を優先して、話のフォーマットをコロコロ変えるんよね (これは前回の感想でも触れた)。

1話完結で余計な引きを作らないんだったらそれでもいい。
でもひと繋ぎのシリーズ構成をするなら、細かい未解決要素 (しかもどうでもいい) を引っ張りまくって、それが解決しないうちに次から次に問題を増やさないでほしい。今主人公がどの目的に向かっているかがブレブレになる。

バトルシーンにしてもそう。
せっかく主人公のかっこいい見せ場を作れるチャンスなのに全然締まりがない。
敢えてそうしているとかナシで。

面白いバトルっていうのは、対峙した両者がお互いに課題を抱えていて、そしてそれを解決するプロセスが組み込まれている。

俺の大好きな『鋼の錬金術師』の、ロイ・マスタングvs人造人間ホムンクルスラストのバトルを例に挙げる。

マスタングは作中最高火力を誇る「焔の錬金術師」で、その殺傷力は不死身に近い生命力を持つ人造人間ホムンクルスも恐れるほどだ。しかしマスタングは、錬金術を発動させるキーとなる「発火布」の手袋を水で濡らされた場合、肝心の炎が起こせないという致命的な弱点を持つ。

マスタングとラスト。この両者が相対した時、まず発生する課題。

マスタングにとってのそれは、尋常ならざる再生力を誇る人造人間を如何にして殺し切るか。

ラストにとってのそれは、「焔の錬金術」を如何にして封じ込めるか。

そこでラストは、伸縮自在かつ切断力に長けた爪で、水道管を切り裂き、水飛沫をマスタングの全身に浴びせた。ここでラストの課題は一時達成され、同時にマスタングに新しい課題が発生する。

発火布が濡れて炎が起こせない。これでは攻撃ができない。

窮地のマスタングはとっさに「焔の錬金術」の仕組みを応用し、床にできた水溜りを酸素と水素に分解する (この辺の嘘科学をダラダラ説明するとつまらなくなる)。部下からライターを受け取り、それを放り投げ可燃ガスに引火。ラストを丸焼きにすることに成功する。
弱点を逆手に取ってピンチを脱するスマートな解決だ。
さぁ果たして決着はいかに…。

さて、詳細はかい摘んだので、未読の方はぜひ『鋼の錬金術師』を読んでいただくとして、このバトルシーンは、「課題を解決するプロセスを盛り込んだバトル」の良いお手本だ。

なんなら主人公のエドvsグリードだってそうだし、『鋼の錬金術師』に限らずたいていのバトル漫画は、巧拙あれどこれに気を配っている。下手をすれば単調になりかねないバトルシーンにドラマが生まれ、しかもキャラクターも立って良いことづくめだ。

じゃあ『メタリックルージュ』はというと、なんか色々能力を持った人造人間を出してくる割には、単なる力押しのバトルでしかなく、相手より強いパワーでもって圧殺したら勝ち、みたいなパターンしかない。腕相撲でもさせといたらいい。

前回の感想で、覚えたところでストーリーが面白くなるわけでもない用語が多すぎる、と言ったが、『鋼の錬金術師』は無駄な用語が一切ない上に、現実生活で使われる語彙で理解できるよう気が回されていてすごいと思った。
「国土錬成陣」とかアメストリス国の成り立ちにおもっくそ関わってくるし、ストーリーの導線にしっかりなってる。

…なんやねん、「ディフォルム」って。素直に「変身」って言え。


俺はその作品が例えどんな崇高なテーマを扱っていようと、或いは社会性を内包していようと、それを伝える手腕が至らないものであれば評価しない。
逆に言えばどんな低俗な欲望に支えられているモノであっても、それを叶える手腕が並外れているのであれば評価する。

それは好き嫌いとは別の話。
『メタリックルージュ』のような世界観やテーマは好きな部類に入るが、これに関しては全然面白くない。


頭でっかちなクリエイター (アーティストって呼ぼうかしら) にありがちな、遠大なテーマを語るだけ語って、その他一切の要素が単なる舞台装置と化し、覚える必要のないフレーバーテキストまみれになった作品、 クソつまらん。

これはいわゆる「商業作品」/「商業主義」を見下して、さも自分らは教養に満ちた文化人であり、芸術の意義を裁定することができると奢っている (これは「芸術」、これは「商品」とかてめぇ勝手にジャッジしやがる) 連中への当てつけた態度でもある。

伝達する手段をおざなりにしながら「この作品はその辺の人気作と違って、複雑で繊細なテーマを扱ってるんですぅ、それを理解できない方が悪いんですぅ」みたいな態度でいるくらいなら、創作なんて回りくどいことせずに、お立ち台に上がってでかい声で懇切丁寧に演説すればいい。

その回りくどさ (わざわざ架空の舞台設定を、キャラクターを、ストーリーを、作り上げるってこと) が巡り巡って、人を感動させたり考えさせたりする。それが創作の本懐ってもんでしょう。

キャラクターにテーマめいたことをグジグジ語らせるにしたって、もっと面白い見せ方があるだろうよ。


ぶっちゃけこれはアニメよりも音楽シーンでひしひしと感じる部分ではある。

産業ロック上等じゃ。

俺は小5で親父に買ってもらったBON JOVIのベストアルバムと、自分の小遣いで買ったLINKIN PARKのアルバムたちを根っこに抱えたまま、今はそれらとは違う音楽を聴いとる。
ナメんなよ。



9位『ぽんのみち』モチベ:小盛


でかパイ最高!!(でかパイが最高なのは皮肉ではなく真実です)



8位『姫様“拷問”の時間です』モチベ:虚無盛


メシばかり喰いやがって。



7位『道産子ギャルはなまらめんこい』モチベ:虚無盛


はよセックスしろ:UHD Edition

なんかこういう「ナヨナヨ主人公がちゃっかり良い思いをする」が廃れるタームがそろそろ来そうではある (イライラしてきた)。

反動でマッチョイズムゴリゴリの、俺が女を守る!みたいな主人公のリバイバルが来そうな予感。
『赤羽骨子のボディガード』とか読んでるとそう思う。



6位『僕の心のヤバいやつ』モチベ:並盛


はよセックスしろ2ツー:UHD Edition

黙って見ていりゃイチャイチャベタベタドゥビドゥビダバダバ…

俺の中のマクゴナガル先生が
「何をモタモタしているのです。Ms.山田、Mr.市川。早くセックスなさい!」
とお怒りだ。
まぁこんな風に茶化してますけど、視聴中に素で「ふざけるなよ…」って口から漏れましたよ、ええ。

「中学生か!!いや、中学生だったわ…」を延々繰り返した。

1期、2期、と通して「俺のあのコに対するこの気持ちは性欲とは別のところにあってぇ…」みたいなポーズをとるが、その実、性欲と不可分な領域 (主にちんこの勃起) を自覚してグダグダするやつをよく描けています。

俺も思春期ってこんなんだったわ、って気分でずっと見ていた。


今ははっきり言えますが、こと「恋愛」においてそんなもんは性欲と不可分で当然です (恋愛は性欲100%って言ってるわけじゃないよ)。

『シーソーゲーム』聴いてください。
それでひとしきりエキサイトしたら『NOT FOUND』でチルしましょう。

『僕ヤバ』見てるとずっと『NOT FOUND』がバックで流れるんですよね。
ほぉ⤵︎ほぉぅえみヲぉぉぉおおお♪

俺のフェイバリット•ミスチル•ラブソング3選

『NOT FOUND』
まごうことなき名曲。AメロでAsus2とA△7を使い分けてるけど、個人的にずっとsus2で良くない?って思わんこともない。


『Another Story』
小粒な名曲。さらっと入るV/IVでムーディな仕上がり。サックスのソロ、初めて聴いたときは要るか?と思ってたけど、回数聴くと馴染んだ。


『あんまり覚えてないや』
市川と山田がセックスしたらこの曲かけよう。

ちなみに『Hallelujah』から『and I love you』に繋ぐアレンジが最強過ぎるのだが、一楽曲単位での選出においてライブアレンジは流石に反則。

「性欲抜きの思いが大事なんだ!」って、思春期の潔癖さの発露として見る分にはいいけど、ネット上やと大の大人が大真面目に言ってることもあるからかなり引く。

「いえ!僕/私はそんな下劣な感情は抱かず、目の前の相手に一切の下心なく向き合えるんです!」みたいなん本気で信じとったら足すくわれまっせ (どしたん話聞こか?でほんまに話だけ聞いてくれるやつ?)。
そんなん堂々と口で言えるやつ真っ先に疑うわ。如何にも人畜無害ですって博愛主義者売りした著名人のスキャンダル、一度や二度ではあるまいに。

いや、付き合っててイチャついとる最中は夢心地になってもしゃーないから「僕/私と彼/彼女は”心”で繋がってるんです!」って真顔で言うてても笑わん。そんなもんやし実際。

問題は平時に「性欲""あるよね?」って自覚できないことであって、そうじゃないと如何なる行為でも「通じ合ってるから」で正当化するDVモンスターが出来上がらん?

やたらと一種のストイックさ、純真さを他人に説法するやつネット上 (てかTwitter) に死ぬほどいるけど、それはお前自身をどう律するかが先立ってこそやぞ、って気持ちしかない。
自分をモラリスティックに見せたいのか、尊敬を集めたいのかは知らんが、それが自分に課してる十字架ならまだ良いけど、他人に背負わせ出したらエグい。

そんな実践できてるかも定かでないドグマが、言葉だけの空間に氾濫している。

性欲に限らない下心や打算や利害感情、そんなやましさを完全に排除した純真無垢な「好き」が存在すると本気で思っているのなら、それこそ「好き」であらゆる暗い願望をマスキングしている。
過剰な潔白さを他者に求める形で発露することこそ、極めてエゴイスティックなふるまいだ。

口だけ聖人君子多すぎ。マジでどういう精神状態なんか分からん (まぁピュアすぎるんだろうとは思う)。

そういうやましさで発生するトラブルを回避するのが、「建前」だったり「礼儀作法」だったりするのは言うまでもない。
「つまらないものですが〜」とか「お似合いですよ〜」みたいな定型句は本気で思ってなくても言っとくもんなの!
インターネットは、皮肉の応酬か本音をぶちまけるかに2極化してるけど。

……というようなことを、この『僕ヤバ』が度々ネットの槍玉に挙げられることにかこつけて、視聴中考えておりました。

あとこれは悪い言い方して申し訳ないが、ちょっと「頭の足りて無い子」の描写がキツすぎる (俺もそういう子らがいる空間で育ったから、実際「どんな扱いを受けるか」を色々と思い出してしまう)。



5位『魔都精兵のスレイブ』モチベ:並盛


あれぇ!?ちゃんと面白い!?

キャラクターそれぞれに目的意識があって、それらが摩擦を起こしたり、時に合致したりに伴って発生するドラマがちゃんと描けている。

アクションシーンもCGと手描きを混ぜた処理をこの規模のアニメでは上手くやってる方だし、バトル描写も王道を行ってる。

エロシーンは正直蛇足感あるけど、コンセプトに殉じる姿勢は高評価。
これ2期あったら見るかも。普通に続きが気になる。



4位『魔法少女にあこがれて』モチベ:並盛


ロコちゃん好き。
下手くそバージョンの歌、2週に1回ペースなら聴きたい。

原作エピソードをほとんど忘れていたのでそういやこんな話だったわ、と思い出しながら視聴した。

割と真面目にバトル漫画してるの笑う。
『メタリックルージュ』より頭使ってるよ。

スタングレネードで影を消し去って、密閉空間に閉じ込めて能力無効化って、まんまvsプライド戦やんけ! (やっぱり『鋼の錬金術師』大好き♡)

なにが「じゃあ」で脱がないといけないのか意味わからんくて笑った。



3位『スナックバス江』モチベ:大盛


だらっと構えず見られて、ウィットな笑いをサクッと摂取できるの助かるわぁ。
なんだかんだこのテンポにも慣れて30分枠でもええやんって気持ちになった。

そういや原作者 (?) が作ったとされる動画は見ましたが、そりゃあんな早口で喋ればテンポは良くなろうもんだが、字幕しか目で追えない状態にもなってない?

5分ショートアニメでいいならそれでいいけど、本作は30分アニメのフォーマットなんだから、その辺のための調整は必要でしょう。
まぁ企画段階での失敗 (はなっからショートアニメにしろよ!) だとするならそれは有効な主張だと思います。

でも放送版の出来自体は良かったと思いますよ?伝えやすさを優先しつつ毒っ気も残して、退屈するもんでもなかった。

俺は原作改変というか翻案はそのメディア化ごとに必要だと思うから、問題はその改変が「面白かったかどうか」だけだと思いますね。「原作通り」って具体的にどうすんのよ?って感じ。
動かない絵の漫画、動く絵のアニメ、コマ割りでショットのフレームサイズ自体を変えられる漫画、フレームサイズ固定でその中でレイアウトするアニメ。単に映像1つ切り取っても全然別モンでしょう。

脚本にしたってそうですよ。

例えばセリフ。漫画のセリフをそのまま音声に起こしたらめちゃくちゃ変なことなりますよ。『NARUTO』とか読んでください。それか『鬼滅の刃』。

シナリオの構成だってそれこそ30分の尺に合わせて入れ替えたり、伸び縮みさせたりしないと、なかなか見れたもんじゃないですよ。
漫画の情報量をそのまま移し替えたアニメなんざ食傷気味になりますって。

こういう話題で言われがちな「原作にリスペクトがあるかどうか?」ってのも、ちょっと人それぞれの基準がありすぎて、あんまり身のある議論になりそうではない。極端に言えば原作者がOKって言えばそれで終わり?

映画、漫画、アニメ、小説、ゲーム、1つとして同じフォーマットでもなければ、その受容のされ方も違うのに、そのメディアごとの違いを抜きにした「原作至上主義」には懐疑的です。

例えば俺は『チェンソーマン』のアニメはあんまり面白くなかったけど、改変すること自体は全然アリですよ。あくまでそれが面白かったかどうかってだけ。
それこそ俺がして欲しかった「改変」は、デンジくんが初めて変身するシーンです。エヴァ初号機の暴走状態みたいに獣のように暴れさせて欲しかったんですよ。なのにちんたら1匹ずつ切り殺すもんだから迫力ゼロでガクンときちゃった。

原作漫画はたいてい大ゴマドーン!!で終了ですからね。そもそも藤本タツキ、アクション描くのはそこまで上手くないですよね(もちろんプロの中ではと言う話)。コマ割りの誘導やキャラの動きじゃなくて、コマごとの構図で魅せる漫画家だと思います。

『バス江』は会話劇だから動きの多いアニメにできるわけじゃないけど、だからってあの漫画のテンポ (読者の脳内の読み上げスピード) を音声にそのまま起こしたら、何言ってるか分からんし、会話してるように見えないでしょ。それこそ動画のやつはターン制で喋り倒してるだけで、キャッチボールになってなくない?

まぁもっと大きな問題はアニメ本編の外部の動きにもあるんだけども、それはいちいち言及する必要はない。俺はここで単に内容の出来の話をしたいだけなので。



2位『葬送のフリーレン』モチベ:大盛


かったるい試験編がようやく終わって、次は黄金卿のマハトなわけだが、まぁこれも正直かったるいっちゃあかったるい。

ただ「魔族」の本質に迫る重要な章ではあるので、丁寧に仕上げてくれればそれで良い。

バトルシーン、ごっついけど基本ビームの撃ち合いやとちょっと芸が無いなぁと感じる。


ちなみに※「フェルンが不機嫌で他人をコントロールする癖がある」問題について。

これざっと見た感じだと大きく2つの意見が存在している。

1つはそのまま「不機嫌で〜」を認めるもの。
もう1つは「フェルンはハイターとの数年間、他の人間との交流がなかったから」と、フェルンの態度を擁護するもの。

どちらの意見も内容自体は正しい。

大前提として、「フェルンが不機嫌で他人をコントロールしたがっているのは、コミュニケーションを学ぶ成長過程にあるという描写でもある」(要約) という意見があったが、これがフェルンを言い表しているものとして一番妥当だ (発端となったツイートへの引用rtで最も反応が大きいもの)。
二つの意見を綺麗に統括していると思う。

問題はここから「フェルンが成長過程にある」の部分を取り出して、「フェルンは不機嫌で〜」に対する反論に当てている場合だ。これは反論として機能しておらず、かなりもどかしい。


発端となったツイートは「乳がでかいからいいや」という欲望で解決していたので、真面目に取り合う必要があるかと言えば別にない。

一応、俺のフェルンへの認識は以下。

フェルンは孤児としてハイターに拾われてからフリーレンと出会うまでの数年間、魔法の修行と老衰したハイターにつきっきりだったため、他の大人や同年代との交流がほとんどない。

で、師であるフリーレンの教え方はまぁまぁ脳筋だし、そもそも魔法使い全体の世界観がかなり脳筋なので (だいたいゼーリエのせい)、結構マッチョな価値観に依ってる。

しかし人間関係というのは異なる価値観との摩擦が生じるのが常なので、本来は擦り合わせを行なったり、こいつとは無理だなと判断したら距離を置いたりと、コミュニケーションの訓練をするものだ (それが学校だったり、地域社会だったり)。
ところがフェルンはこの辺の成長過程をすっぽかして、単純にクソ強い魔法使いになってしまったため、弱者のメンタルが根本的なところでわからない (格上の強者に恐怖しても、弱者への共感は薄い)。  

なので「強い戦士のくせに」ナヨナヨしたシュタルクにはなおさらムカつくし、「魔王を倒した魔法使いのくせに」だらしないフリーレンにも当然イラつく。

フェルンからしたら「私にできることをなぜこいつらはできない」っていう苛立ちが先立ってしまうので、なぜ怒っているかを明確にせずに「気づかないお前が悪い」で通そうとする (シュタルクとフリーレンに過失がある場合ももちろんある)。

以上、俺のフェルンへの認識終わり。


さて、フェルンに「不機嫌で他人をコントロールする癖がある」のは、本編描写から照らし合わせても間違いはない。
実際にフェルンからの無言の圧力でシュタルク (とフリーレン) が萎縮している描写は幾度もある (例:「むっすー…」のやつ)。
試験編でもメトーデにハグされたフリーレンを奪い取って「むっすー…」して、言葉で明確にせずとりあえず不満があることだけを伝えている (メトーデはその辺は察せるがそこは問題ではない)。

一方でザインから説教された際、フェルンは自分にも非があることを認めて謝罪することもできるので、「コミュニケーションを学んでいる途中である」ことも確かだ。

しかし当たり前だが、フェルンのバックグラウンドと「むっすー…」の因果関係を認めることができても、その行為そのものが正当化されるわけではない。
情状酌量の余地はあるだろうが、「不機嫌で他人を〜」の行為そのものが帳消しになるわけではない。悪役にも悲しき過去が…と言っても、悪役のなした悪事が帳消しにならないのと構造は同じ。

フェルンがシュタルクたちに無言の圧力をかけるやり方をとってしまうことで生じるあれこれは、フェルンにとっては「今後につながる学び」であっても、シュタルクたちにとっては「今まさに受ける恐怖」でしかない。

物語の流れから導かれるそのキャラの言動の理由と、その言動を受けた際発生するリアクションを同じレイヤーで対応させてしまうと、議論が成り立たないということだ。

繰り返しになるが、フェルンが「不機嫌で他人を〜」は描写からみても相違なく (シュタルクとフリーレンに過失がある場合を除く)、彼女のバックグラウンドからその事由を導き出しても、それは彼女の行為の補足にしかならず、その事実を覆す反証にはならない。

一行の人間関係が破綻しないのはシュタルクとフリーレンがそれを許容しているし、あの2人も大概ダメ人間だから「おあいこ」というだけの話だ。
それ以外でフェルンの態度を許容できない人間が出てきても不思議なことはない。

もしここで「不機嫌で〜」に反論をしたい…というか、ぶっちゃけフェルンのイメージを払拭したいのであれば、フェルンなど及びもつかない「不機嫌でコントロールしてくる」例をあげて (代表例:惣流・アスカ・ラングレーとか)、フェルンを相対的にマシな部類だということにして、シュタルクに「まぁ、がんばれ」とエールを送る流れにする。それか、保護者が機能していないのが悪いんだと論点をすり替えて、フリーレンを批判する流れに持って行ったほうがいい (クソボケエルフ批判)。

「シュタルクの方こそ察しろ」というのは、「不機嫌で他人を〜」を補強する材料にされかねないのでやめたほうがいい (フェルンは「不機嫌で他人を〜」な人間だから、シュタルクはもっと察しろ!は理屈として通るが、それだとイメージが払拭できない。それで構わないというのはもちろん筋が通る)。

あるいは、こんなのは「子供のわがまま」という路線もありかもしれないが、さすがに18歳を超えた人間の振る舞いとしては、もうちょっと自制しようやと言う気にならんでもない (シュタルクに言えることでもある。フリーレンはもう知らん)。

ちなみにシュタルクはもっとマッチョになれ!(フェルンの不機嫌にいちいちビクビクすんな!) という反論も手ではあるが、それは現代日本社会 (※てかネットのよーわからん言論空間) において無理な話。

例えばシュタルクがマジギレしてフェルンを泣かす、みたいな展開を多くの読者/視聴者は望まないだろう (俺もふつーにやだ)。
あったとしてもおそらく「ただの喧嘩」として処理されない。
それはこの「フェルンが不機嫌〜」を、単なる思春期のいざこざとして処理できてない現状からして火を見るより明らかだ。



「よーわからん」と形容したのは、今のネット上において、基本どんな派閥でも理路や方向性に差異はあれどマッチョな規範意識を積極的にぶっ壊そう!そこから脱却しよう!というのはある程度共通しているが、それがあまりに強迫観念じみていて、結果的にただ形を変えただけのマッチョイズムが周囲を抑圧しまくっているように見えるから。

それが『僕ヤバ』の感想でも述べた、やたらと他人にストイックさを求める連中の所作でもある。

なんだか他人の規範意識をメタメタに批判することで、自分が縛られている規範意識から目を逸らそうとしているように思えてならない。
彼ら/彼女らのその意思の堅牢さ、舌鋒の鋭さに反して滲み出る「後ろめたさ」はなんとも侘しいものがある。だから他人を縛っているように見えて、その実自分をどんどん窮地に追いやっている。

それを自覚しているのならまだいいが、ほとんどの連中が実に無邪気に放言していて、それが誰かを傷つけ、巡り巡って自身が傷つけられている。そして「傷つけられた!」と叫んでいる。
敢えてこう言うが「女々しいマッチョイズム」って感じだ。

俺は殴ったら殴り返されることは覚悟しておくべき (道理のあるなしに関わらず、条件反射は飛んでくる) 、という規範に沿って生きているので、どうにもネット上のあの規範意識とは噛み合わない。

良いじゃないか、傷ついたって。さんざん傷つけてるんだから。

たぶん、肉体を伴わない (他人の視線への、あるいはガチの暴力に発展することへの恐れがない) コミュニケーションにどっぷり浸かってるからなんだろうな、というと流石に老害?

あれやこれやと述べたが、俺はフェルンとシュタルク、普通にうまくいくと思ってるので、あの2人が将来デートDVで破綻したり、あるいはシュタルクが別の女になびいてしまう展開は見たくない (俺はシュタルクかわいい派なので、肩入れしてる部分は認める)。



ゼーリエのあぐら組んだ時の内ももエロすぎた。





1位『ダンジョン飯』モチベ:特盛


ガチでずっと面白いのすごい。

1クールあって100点の回と50点以下の回が混ざってるやつと、ずっと85点前後でアベレージを一定に保つやつ、どっちがいいです?
そりゃ理想は全話100点がいいですけども。

俺は昔は前者の方やったんですけど、今は断然後者の方です。
無難に作るいうことが如何に大事かっていうのを、この逆張りとアングラしぐさが蔓延る世の中で痛感しました。

ちなみに『ダンジョン飯』はアベレージも高いし、なんなら100点もちょいちょい出す超優等生。

まぁそれは置いといて、映像が面白い作品はやっぱり見ていて気持ちが良い

良かった画を抜粋。

こちらは7話の手前→奥の配置移動。
作画で作ったり、ジャンプカットで省略したりして、映像のリズムを作るのがうまい。実線処理で荒くした線のアクションも良かったが、大きな動きのないシーンでも飽きさせない工夫が随所に凝らされている。

ここからマルシルがスライドして一旦フレーム外へはけ
フレーム外からだーっとかけより
ギャースカ
チルチャックのアップでスイッチの位置を示し
振り向きざまに大きく空間をとって
あちこち
ジャンプ


これは8話。
単に可愛かったから抜粋。

良い笑顔


9話。
『ダンジョン飯』の水表現は面白い。
『崖の上のポニョ』のように個体と液体の中間のような質感がある。

水面はモノトーンなあしらえにして
水中はかなり色使いに差をつける
水を透過した線の揺らぎも良い
マルシルの左肩に乗った水の塊と、水面を叩く右手にまとわりつく粘液のような水
垂れる時も固形物が溶け出すような質感


飛んで11話。
ドラゴンをトラップに嵌める際のコマ打ち倍のハイスピード。

画面手前に向かって追い詰められるライオスたちの切羽詰まった心境からの
崩落の下敷きにされるドラゴン、というカタルシス


ファリンとの再会の12話。
ここは不謹慎だが笑ってしまった。

ファリンの骨格標本(本人)
ディアゴスティーニから


まぁここは嬉しかったので嘘はつけません。

わんぱくなファリンががっしりしてて、ガリ勉だったマルシルが華奢なの解釈一致150%
マジ


『ダンジョン飯』を見ていてとみに思うのは、別に枚数を割いたぬるぬるアクションがなくても、工夫次第で面白い画面はなんとでもなるということだ (ぬるぬるアクションがことさら悪いというわけでも、『ダンジョン飯』がチープだと言いたいわけでもない)。

俺は予算の限られた商業TVアニメのフォーマットのなかで、いかにして面白い表現、30分の視聴に耐えうる画面が構築できるかという部分で評価するので、『ダンジョン飯』が人気を博しているのは大変嬉しい。

こういう方向性のアニメが多くのファンにウケどんどん売上げが上がれば、必然、ぬるぬるアクションにも余裕が出てくるだろうし、省エネ演出との対比で評価もされていくと思う。

みんな『ダンジョン飯』みたいなアニメを大切にしよう!!

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