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2-5 ジョナサン・ラティマー『処刑六日前』


ジョナサン・ラティマー『処刑六日前』Headed for a Hearse 1935
ジョナサン・ラティマー Jonathan Latimer(1906-83)
 ラティマーの名前をつづけて並べるのはいくらか不適切だろうが、ハードボイルド派の諸相をながめる観点から注記しておく。
 『処刑六日前』は、タイトル通り、一週間というリミットを定めて死刑囚が無実を証明する話だ。タイム・リミットを設定してサスペンスを高めるという方式は、有名な『幻の女』に先んじている。
 技法的な面だけでなく、この小説には、注目すべき屈折が見られる。屈折というか、過剰、未整理の要素だ。それはたんに、作者のほうに定型におさめる力量が不足していたことを示すだけかもしれない。だとしても気になる。一つは、死刑囚監房において幕開けするという構造。刑務所が名探偵の住処となる構想は、「思考機械」シリーズの原点だったが、より極端な例には、ボルヘス&ビオイ=カサーレスの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』1942(岩波書店)がある。収監された安楽椅子探偵という魅力ある設定は、あるいはラティマー経由かとも思わせる。
 それ以上に見逃せない要素は、傭われたタフガイ私立探偵が中半で密室殺人の謎に取り組むという進行だ。常識的にみると何ともバッドチューニングだが、これは、奇手と感じるほうに問題があるのかもしれない。たしかにチャンドラーは謎解きミステリの人工庭園を罵ったが、それはたんに彼の個人的見解にすぎない。機械トリックとアクション活劇の混合を禁じるルールなど、べつにだれがつくったわけでもない。自然と分類意識が高じてしまっただけだ。……とはいえ、こうした作例が物珍しさを伴うこともたしかだ。作者は大真面目に描いているところが、何ともおかしい。
 ラティマーのタフガイはまた「二日酔い探偵」という新タイプの試験台にもなっている。泥酔して酔いつぶれた次の朝、最悪の体調にうめき声をあげながら、閃きに打たれる。このアイデアはほんの思いつき程度で、持続せずに終わった。

井上一夫訳 創元推理文庫 1965

 J・D・カーのページでいいかけたことを補足しておく。
 ナボコフはE・ウィルソン宛ての手紙で、ラティーマーの一冊を褒めている。この作品家どうかはっきりしないのが残念だが。もちろん、駄作なれど部分的にはいいところもあるという得意の論法によって……。

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