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タイの時間感覚と日本の時間感覚

「新年に向けてのカウントダウンはみんなで数えますよ、では30秒前になったら、…あれ?あ、外、花火上がりましたね。12時すぎたのかな?あ、じゃあ、もういいやハッピー・ニュー・イヤー!!」

 タイではじめて大晦日を過ごした年、大学の友人たちに誘われて年越しパーティに参加しました。今から10年以上前のことです。現在では出先で時刻を確かめるのに使うのはスマートフォンが一般的ですが、当時の携帯電話は現在のものと異なり、電話回線経由で常に時刻を同期するシステムなどは搭載されていません。携帯の時計も腕時計も各自が設定したものを使っているので、多少の誤差は当たり前。年越しのカウントダウンも基準にしている時計が違うので、集団ごとに微妙にずれていたのが印象に残っています。

  当時、タイ人の気質についてわたしが読んだものには「タイ人は時間にルーズ」というステレオタイプイメージが強くありました。年越しカウントダウンの様子はそのステレオタイプイメージを裏つける出来事と見えたのですが、今思えば「タイ人は時間に対してルーズ」というよりは、「日本人が時間に対して厳しい」ことのほうが大きいと感じます。
 電車やバスは定刻発車が当たり前で、数分の遅延でもお詫びの放送が入る、テレビ画面には時刻が表示されている、荷物や郵便物が指定した時間に届く、などなど。日本では当たり前になっている時間を重視する習慣は、タイに限らず他国からは、もはやヒステリックにさえ見える領域に達しています。そんな日本人の尺度で「時間にルーズ」とレッテルを貼るのも、いかがなものかとも思うのです。

温暖な気候がはぐくむ大らかさ?


 わたしの知るタイ人の方に、日本とタイの極端な時間感覚のズレは、その気候と食料自給率にある、という持論を唱えているひとがいます。
 彼女によると日本では、たとえば、台風がやってくる前に稲の刈り込みを間に合わせないと米不足になるかもしれない、市場での取引に遅れたら農作物や海産物が手に入らないかもしれない、といった危機感が常にあり、それが時間を守ったり、仲間との協調性を重視するモチベーションになっているというのです。
 対して、タイではどうかというと「だってタイは雑草でバナナが自生してるんだよ」と彼女がいうように、灌漑施設さえ整備されればコメの三期作も可能だといわれているほど、気候が温暖で食料が豊かな国です。「時間や約束を守れなかったとしても、とりあえずお寺に行けば食べ物は分けてもらえるし、食いっぱぐれることだけはない」という感覚が、時間に無頓着な気質につながっているというのです。
 彼女の話にうなずいてしまうように、温暖な気候や食料の豊かさは、人のおおらかさと無関係ではないでしょう。

タイと日本、それぞれの「時の刻み方」


 日本人とて、古くからずっと時間にストイックであったわけではありませんが、「時を刻む」という感性は長く大事にされてきたと言われています。江戸時代には、日の出の「明六ツ(あけむつ)」、日の入りの「暮六ツ(くれむつ)」を基準とし、その間を六分割する不定時法が使われ、各地に設けられた時の鐘や、寺の鐘で庶民も時刻を知ることができました。江戸の時刻の呼び方は、数字だけでなく、干支を使った十二辰刻法もあります。怪談に「草木も眠る丑三つ刻」という表現が出てきたり、午後の間食を「おやつ」と呼び習わすのはここからきています。

 時間の刻み方は現在では世界基準が定められ、呼び方も数字で統一されていますが、伝統的な時間単位が時間の呼び方に残っている場合があります。日本では十二辰刻法は現在では使われていませんが、零時から二四時で一日を数える方法と、午前と午後をつけて一時から一二時までで表現する呼び方が自然に併用されています。

 タイの時間の呼び方はさらに複雑です。午前は十二進法、午後は六進法が使われ、数字だけなく、類別詞も変化します。日本語の「時」にあたる言葉が、タイ語には複数あり、それぞれ数字の前についたり、後についたり、数字を挟んだりと法則が異なります。
 午前1時から午前5時までは「ティー(tii)」、午前6時から午前11時までが「モーン(moong)」、正午「ティアン(tiang)」をはさみ、午後の1時からは午後3時までが「バーイ モーン(baay moong)」、午後4時から午後6時が「モーン イェン(moong yen)」、午後7時からが「トゥム(tum)」で数えられます。
 時間の呼び方は「ティー」「モーン」「トゥム」の三つが基本になっており、それぞれ、木、鐘、太鼓を打つ音の擬音語です。これは昔、江戸と同様に、音で時刻を知らせていたことに由来します。江戸では鐘を打つ間隔と回数を変えることで時刻を知らせていましたが、タイでは叩く数だけではなく、叩くものを変え、音色も変えて時刻を知らせていたのです。
 木をチンチンと2回打つ音は午前2時、鐘をボーンボーンと2回は午前8時、太鼓をドンドン2回は午後8時、と言った具合です。これがそのまま現在の時間表現に残っているので、時刻の数字は現在の時計が示す数とは異なり、さらには地域によって異なるルールが使われている場合もあります。

タイと日本の時報


 また、口語表現では一般的ではありませんが、テレビニュース等では、一日を零時から二四時で表す表現も日本と同様に使われています。その場合の類別詞は「ナーリカー(naalikaa)」で、タイ語で「時計」を意味する単語と同じです。
 こうしてみると、タイ時間はルーズどころか、かなり複雑なものということもできます。さらに、実はタイでは一日二度も、公共施設、テレビ・ラジオ放送のすべてのチャンネルで正確な時報が流されています。「8モーンチャオ」すなわち朝の8時と、「6モーンイェン」すなわち夕方の6時は、公共の場では国歌が流されることが法律で定められているのです。守られない場合は不敬罪に問われるため、時間もかなり正確です。たとえ、テレビ番組の放送が予定とずれていようとも、国歌だけは狂いなく放送時間が厳守されます。

 日本でも多くの地域で、一日一回、毎日同じ時刻、多くの地域では17時にチャイムや音楽が流されています。日本に滞在するタイ人は国歌の放送との比較からか「あの放送にはどんな意味が?」と気になるようです。実際は、防災無線、災害等の緊急時に使われる放送システムの点検のために行われているものなのですが、「何か日本人にとって大切な時報?」と誤解している方もいます。
 「タイ人は時間にルーズ」「日本人は時間にストイック」という先入観にとらわれてしまっている部分が実は多いのかもしれません。

 時間をめぐる感覚の違い、「国民性」と呼べるものも確かにあるようですが、個人的には年齢や感情による違いが最近気になっています。「大人の時間は短く、子どもの頃の時間は長く感じる」というのはよく言われることですが、一方で、「楽しい時間は短く、辛い時間は長く感じる」というのも実感としてあります。相対性理論を研究しようというのではありませんが、同じ時間ならば、やはり、楽しい時間をできるだけ長く感じていたいものです。自分自身は(出来る限り)約束の時間や期日を守る(努力をする)こと、けれども電車や待ち合わせの相手など自分以外の物事で時間通り、予定通りにいかないことがあっても気にしないこと。このふたつのバランスを取り、今年も(今年こそは?)密度の濃い、良い一年間という時間を過ごていきたい所存です。

2018年1月

この記事は『日・タイパートナーシップ (157)』掲載の文章を加筆修正したものです。
(日・タイ経済協力協会 2018『日・タイパートナーシップ (157)』pp.41-43)


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