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市販薬の使い方とタイの嗅ぎ薬「ヤー・ドム」

この記事は、2022年5月発行『日・タイパートナーシップ 173号』に掲載された記事を筆者が加筆修正したものです。

 

「サワッディー・ピー・マイ!」

 4月はタイのお正月、ソンクラーンでした。3年目の「水掛け禁止」のソンクラーンですが、タイの出入国時の感染対策が緩和されていることもあり、この連休は久しぶりに旅行を楽しんだ人も多いようです。わたしのSNSのタイムラインにも、旅行先で撮影された写真のほか、陰性結果が出た検査キットの画像のシェアが数多くみられました。隔離免除措、Test and Go制度を活用して国外に出る人もいる一方で、「人の移動が増える時期こそ、感染に注意が必要」と、ソンクラーン休暇中の外出を最小限に留めるために、3日分の食料品を備蓄したという投稿もあり、それぞれの休暇の過ごし方がうかがえました。

 日本でも蔓延防止重点処置が多くの地域で解除され、この春は旅行や行楽の動きも増えてきました。ずっとオンライン授業で引きこもっていたわたしも、先日用事があり久しぶりに地下鉄に乗る機会が。ただ電車に乗るだけなのに、あまりに久しぶりなものでウキウキ気分で乗り込んだのですが、ほんの短い時間乗車しただけで、なんと揺れに酔ってしまいました。今まで鉄道で酔ったことなどなく、思いがけないことに自分で驚きましたが、長距離移動をすることがしばらくなかったため、すっかり乗り物に弱くなってしまったようです。ステイホーム生活で気づかぬうちに、三半規管の衰えや自律神経の乱れも生じていたのかもしれません。体調や天候、気圧なども関係していたと思うのですが、以来乗り物での移動に慎重になってしまい、酔い止め薬をカバンに常備するようになりました。

 現在の東京での生活に比べ、チェンマイに居た時は、乗り物なしの生活など考えられませんでした。暑さに負けてちょっとした距離でも車で移動をすることが一般的で、一番よく使うのは市内をはしる乗り合いタクシーです。ピックアップトラックを改造した赤い車で、荷台の部分にベンチ型の客席が向かい合わせに二列設置されていることから、赤い車すなわち「ロット・デーング」と呼ばれたり、二列という意味の「ソング・テウ」と呼ばれたりしています。トラックの荷台に乗っている状態ですから、乗り心地はさほど良いものではなく、別の乗客をひろいながら走るために加減速も多い。つまり、乗り物酔いしやすい要素が揃っています。あまり長距離を乗るものではないので、日常的に車酔いに悩まされることはありませんが、山道を走る時などは車酔い必至のイベントとなっておりました。

ピックアップトラックの荷台に乗り込むかたちになるチェンマイの乗り合いタクシー

 タイでも抗ヒスタミン系の酔止め薬は手に入りやすい市販薬になっています。日本で市販されているものよりも強い効果があるという評価もきかれ、周囲に愛用しているという人もいます。現地で手に入る酔い止め薬の存在は心強いものではありますが、わたし自身はフィールドワーク中、現地の酔い止めは服用しないことにしています。飲み慣れていない内服薬は極力飲まないように心がけているというのもありますが、酔い止めを服用しないと決めたきっかけは、大学生の時にホストマザーからもらったアドバイスでした。こういった薬には眠くなる成分が入っているものがあるので、知らない人の乗り物に乗る際に薬を飲む習慣をつけないほうがいいといわれていたのです。

便利な市販薬も手軽な利用には要注意


 当時わたしは市街地から離れた村でホームステイをしていました。大学や市街地に用事がある時には、ホストファミリーに送迎をお願いするか、ソング・テウを乗り継ぐのが基本でしたが、タイミングがあえば近所の方の車に便乗させてもらうこともありました。ホストマザーはその地区の長でもあり、近所の人にわたしのことを紹介してくれていたので、色々な人が気にかけ車にも乗せてくれていたのです。車で眠ってしまっては運転してくれる人に失礼になる、あるいは乗り合いバスを乗り過ごしてしまうことを心配しているのだろうとその時は思っていました。しかし後になって、彼女のアドバイスの真意は別のところにあったのではないかとわかってきました。

 いきなり物騒な話なのですが、「レイプ・ドラッグ」事件といって、薬物によって相手の意識を朦朧とさせた状態で性的暴行を加えるという手口の性犯罪があります。飲み物にこっそり薬物を混入するのが常套手段ですが、眠気を誘発する作用が強い酔い止め薬が使われたり、酔い止め薬を偽った睡眠薬が使われるケースもあるのです。酔い止めに限らず屯服薬など多くの内服薬が、タイの薬局やコンビニでは一回量毎の個包装になって売られています。価格も安く、簡単に購入することができるので、車のダッシュボードなどにストックする人もあり、それをひとにあげたりもらったりする場面もみられます。
 薬をひとからもらう、あげるという行為は日本にいるとあまり考えられないことですが、飴やガムと変わらない気軽さでやり取りをしているところを実際に見てきました。ホストマザーが危惧していたのは、こういったやり取りにわたしが慣れてしまうことだったのではないかと思うのです。勧められれば虫でも断らずに食べる娘でしたから(前後記事参照)、危機管理能力の低さを心配してくれたのでしょう。


嗅ぎ薬「ヤー・ドム」


 内服薬の代わりにわたしがタイで使っていたのが、タイ語で「ヤー・ドム」と呼ばれる嗅ぎ薬です。メントールをはじめとし、カンファー、ペパーミント、ユーカリなどの清涼感のある成分で作られており、酔い止めだけでなく、気付け薬や眠気冷ましなどにも使われています。頭をスッキリさせたい時や、暑さで朦朧とした時、気分転換、時には虫刺されにも幅広い用途があり、リップスティック状のプラスチック製のケースに入った液体で売られている物が多く出回っています。ポケットやカバンに常に忍ばせているという人も珍しくはなく、直接鼻に差し込むようにして吸い込む姿も頻繁に見かけます。さすがに人前でそれは…という場合は、手首などに塗りつけて嗅ぐこともできますが、使うのが恥ずかしいものという認識は特にないようで老若男女に使われる身近な薬です。

 コンビニなどどこででも買うことができ、安価で種類も豊富なことから、土産物としても人気です。以前は日本の覚せい剤取締法で規制される依存性の高い成分が使われているものもあったため、日本への持ち込みが原則禁止されていましたが、現在製造されている製品はほとんどが日本でも合法的に使えるもので、特定の商品を除き持ち込みに関する規制もなくなりました。そして最近では、日本のドラックストアでも時々タイ製のヤー・ドムを扱っているのをみかけます。花粉症対策のほか、コロナ禍では夏場のマスクに少量たらして清涼感を得るという使い方が紹介され、「ノーズミント」という名前で販売されているようです。

ドラッグストアのレジ横で見つけた「ヤー・ドム」
はっか飴の隣というラインナップなのがなんとも 

 引きこもり生活で乗り物のほか、人混みに対する耐性もすっかり落ちてしまったようなので、気付け薬にヤー・ドム、わたしは東京での生活でも取り入れていこうかな、と思っているところです。その匂いと共に懐かしいタイの空気を思い出しそうです。

2022年5月


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