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さよならだけが、人生だ。

2023.02.25(sat)
indigo la End oneman live
"蒼き花束 vol.3" @パシフィコ横浜

バンドの13歳のお誕生日…の翌日までライブをやるなんて、仕事熱心だなぁと思った。2022年11月1日、まだ記憶に新しい武道館公演の続き(だと勝手に思ってる)のワンマンライブ。とうとうこの日がやってきた。「願わくば、すべての季節で会いましょう」という2022年indigo la Endの約束(もう年跨いでるのは触れないでおこう)。春ツアーHelpless、夏の野音、秋の武道館の約束を越えて、とうとうこの日を迎えた。

「なんかまた、曇天っていうのがindigo la Endっぽいですよね〜」初めての野音で、雨が止んだ後に絵音さんが漏らした一言を思い出すような曇り空。「あぁ寒いな」と漏らしてしまうような寒い日になった。

どんなライブになるのか全く分からなかった。というよりも、どんなライブにもなる気がした。アニバーサリーだから大サービス!とかいって普段日の目を見ない曲をたくさん演奏するのも、逆に広いキャパだからメジャーな曲をたくさん演奏して、これがザ・indigo la Endですみたいなライブもありえる。なかなか不思議なバンドなもので、アニバーサリーなんて気にせず、ひたすらにやりたい曲をストイックにやるライブにしました、というのも十分ありえる。

「雨は別れの合図だ」という女性の声で、待ちに待った開演を迎えた。今回も、楽器だけ置いてあるステージの上にムービーが映し出されてライブが始まる。雨に別れって、なんてindigo la Endらしいんだろう、と思っていると、1本の青い花が雨に打たれている映像が流れる。寒そうだなぁ、とぼんやりスクリーンを見ていた。「さよならのたびに歌が生まれた」とナレーションが終わると、メンバーがステージに姿を現し、ライブが始まった。

1曲目、レナは朝を奪ったみたいだ。アニバーサリーライブ、といえば想像できなくもなかったド初期の曲から。ムービーの雰囲気とはうって変わって、会場が一瞬で緊迫した空気に変わる。この曲、サビでワルツのテンポになるところがとにかく好きだ。それまでの緊迫感が解かれて、ゆったりとした感じになるのが癖になる。初期の曲が、広い会場で、しかもライブハウスではなくホールで鳴っているというのがちょっと不思議だった。

これはまさか古い順にセットリスト組んでくる?という安直な予想も2曲目の想いきりで裏切られる。のちに「2曲目でミスるとか、ある?」と笑っていたけど、2曲目で絵音さんが盛大にミスをかます。初の野音の時は序盤で栄太郎さんがミスってたけど、大事なライブの序盤で誰かがミスる呪いでもかけられてるのかな。

絵音さん、レナでテンション上がって舞い上がってたら、カポを外したまま?次の曲にいってしまったみたい。「あれ?」と思った瞬間「待って間違えちゃった」と演奏を止めると、「間違えちゃった〜ごめんね〜。indigo la Endです。よろしくお願いします。」と間を繋ぐ。

この一コマを見た時に余裕を感じた。すごくゆったり構えてるな、というか、安定感あるな、というか。ライブ序盤、まだ空気ができないときに演奏間違えるとか、多少は焦りが出てもおかしくないのに。全くそんな感じがしない。いや〜ごめんね〜久しぶりに演奏する曲だから、なんて、普通にMCするみたいに話してる。不思議と頼もしさすら感じた。キャリア14年目に突入したindigo la End。やはり長年やっていると貫禄みたいなものは出てくるんだな。

想いきりは音程の変化があまりなくて、曲が淡々と進んでいく印象がある。音程のアップダウンの少なさが、そのまま感情のアップダウンの少なさを表してる気がする。「もうどうにもならない」と気持ちが冷えきっているのを表現してるようで、聞いてるこっちが置いてかれる。「毎分こぼれ落ちるの」とか「〜だわ」とか、絵音さんが女性的な話し言葉を歌うのがなんか好きだったりする。

3曲目のさよならベル、「別れ」「出会い」がキーワードになる(と思ってる)今回の蒼き花束にぴったりな曲だ。ドラムの音がよりはっきり聞こえて、ライブで聞くのは音源とはまた違った良さがある。「君のいつも苦そうな顔が好きだった」って、もう君には会えないと暗に言っているようだし、「さよなら 少しは大人になれたかな」って答えは返ってこないのに問うてしまうのが、切ない物語の終わりのようだ。

4曲目、 渇き。最初のベースえげつないかっこよかった。切ない悲しいだけじゃなくて、こういう切羽詰まってどうしようもない、みたいな気持ちを歌えるのもindigo la Endの良さだと思う。indigo la Endはエモバンドとかいってるやつ、この曲を聞いてからももっかい同じこと言ってみ?

みおちゃんのシャカシャカで、夜行を演奏するんだとわかった。ライブだと、イントロの前にサビのメロディーをえっちゃんがピアノでちょっと演奏してくれるんだけど、それがどうにも艶っぽくて大好き。「わかるけど わかるけどさ でも 行かないで 行かないで」って、運命にはどうしても逆らえないって絶望が含まれてるみたいで、indigo la Endの歌う絶望って地の底まで落とされるような、ほんとの絶望なんだよなぁと思う。

「でも」と歌うときの絵音さんの声が消えてしまいそうなほど儚くて、そこも好きな部分のひとつ。それにしても、ハンドマイクでステージを歩きながら歌う絵音さんには、いつも見入ってしまう。

「恋をするたびに恋心は見えない花束のようになった。でもこの曲の間だけは花束の形をして姿を現す」(ニュアンス)と、語り手の女性が話す。すると、indigo la Endの売れっ子曲の夏夜のマジックが始まる。いつも通りの演奏と、いつも通りハンドマイクの絵音さん。手にはムービーに出てきた花束を持っている。

恋心は見えない花束になったってとても綺麗な表現だな、とうっとりした。恋や愛が芽生えると表現したり、プロポーズの時にバラの花束を渡したりするから、花と恋愛って切っても切り離せない関係なんだろう。恋心を花に例えるのが素敵だと思った。

この日はなんか、音楽に身をまかせて、というよりは棒立ちで吸い込まれるように見てしまった。最前列当たらなくて良かった。圧がすごい見方をしてしまった。「この歌このライブで聞いたな」と思い出に浸ったり、歌詞を頭の中でなぞりながら聞いていたりした。雨といえはindigo la Endってイメージはあるけど、思った以上にindigo la Endの曲の中には雨を表現する言葉がたくさんあった。じっくりライブを見るのも良いなと思った。

「1番新しい曲をやります」と、名前は片想い。リリースされて音源を聞いている時は全然だったのに、ライブで聞いたら武道館で初めて聞いた時のことを鮮明に思い出した。メロディーがなんか今までにない感じだな、とか、曲調は明るいけど最後にバイバイって言ってるな〜安定の暗い歌なんだな〜とか思いながら聞いてたな、と。

恋愛の別れの部分(=終わりの部分)を歌うことの多いindigo la Endが、片想いという恋愛の初めの部分を歌にするのが良い。そしてちゃんと暗いのも良い。MVを見てから聞き直すと、また解釈の幅が広がるので、いつまでも楽しませてくれる曲です。最新のindigo la Endも強い。

今回も途中途中で、ムービーを挟みながらライブが進んでいく。ホールでしかできない演出だけど、こういう演出含めてホールでこそindigo la Endの良さが生きると思う。出てきた全部の言葉は覚えてない。「別れの度に歌が生まれた。」「別れの度に自分には価値がないと言われているようで絶望した。」という言葉は覚えてる。

一番忘れられないのは、「さよならだけの、人生で。」というナレーションでムービーが終わると、夜明けの街でサヨナラをの演奏が始まったこと。繋ぎというかイントロのイントロというか、あのギターのフレーズが演奏されて、ステージがオレンジ色のライトに照らされると、絶対夜明けの街でサヨナラをが演奏されると分かる。

直前に流れていたインタビューのような音声。「2014年4月2日、同時に2つのバンドがメジャーデビューを果たしました」「後鳥さんが加入したのは」「脱退した太田さんの代わりに加入したのは佐藤栄太郎さん」「2022年キャリア11年目にして初の武道館公演を」と次々に流れる音声(さながら東京ディズニーシーの某フリーフォールアトラクションの序盤のよう)がindigo la Endの歴史をなぞる。

同時にわたしも、この歌との歴史を思い出す。初めてライブで聞いたのはいつだっけ。たまらないくらい大好きな曲になったのはいつだっけ。ライブでイントロが流れると、この上ない幸せな気持ちになったのはいつからだっけ。武道館で聞いた時は演出のムービーのせいもあって、ハッとしたっけ。

色んな想いのあるこの曲、この日聞いた時はなぜか、涙が出そうになった。「あぁ、一番好きな曲を聞けるんだ」という感動ではなくて、「あぁ、indigo la Endはこの曲から始まって、今日まで続いてきたんだ。メジャーデビューの日の、初めて下北沢でライブをした日の、バンドをやろうと決めた日の延長に今日があるんだ」と思ってしまったから。

大変おこがましくも、「よくここまで続いたなぁ」と、言ってしまえばリスナーであり、外から眺めて音楽を楽しむだけのわたしが思ってしまった。メジャーデビューアルバム、あの街レコードの一曲目。いわば世間が耳にするindigo la Endの最初の曲。それが、夜明けの街でサヨナラを。「僕は星の数ほどの記憶を 忘れそうになっては思い出す」何気ない歌詞かもしれない。けれど結成13年のこの日に聞くと、今までバンドが辿ってきた星の数ほどの記憶を、些細なことまで思い出そうとしているように、忘れないように歌っているように聞こえた。

さよならだけの人生で、さよならを繰り返す度に歌が生まれて、生まれた歌が花束のように集まって、ひとつのアルバムになったりライブになったり。蒼き花束というライブタイトルは、indigo la Endのネガティブな(アンコール後のムービーで、これからも蒼を送り続けると言っていたこともあり)歌が花束のように集まったライブということだろうか。このバンドは良い言葉を持っているなと、つくづく思う。

不思議な涙が出そうになりながら大好きな曲を聞いたあと、余韻に浸る間もなく名もなきハッピーエンドのイントロ。「こういう曲はindigo la Endっぽくないけど、名もなきハッピーエンドを演奏するとお客さんのテンションが上がるから」と昔絵音さんが話していたのを思い出した。たしかに曲が始まると手拍子が起こったり歓声が上がったりする。ステージ上の6人もにこにこ笑ったり手拍子を煽ったり(弦2人が同時に手拍子煽ってたの可愛かった)この曲を演奏している時だけはとても楽しそう。

「ハッピーエンドはあなたの終電次第さ」と、物語の結末を教えてくれないこの曲は、君の物語だよ、結末は君次第だよ、と言われているようだ。聞くと走り出したくなるしチャリ漕ぎたくなる。

傘が置いてあるのを見て、傘を持って歌う曲があるんだろうなと思ってた。それが、夜の恋はだった。夜警のツアーで見た時は、なにか決心したような顔で、真っ直ぐ前を向いて歌っていた。お客さんの顔を見ずに下ばかり向いて演奏する絵音さんが、しゃんと背筋を伸ばしてマイクを握っている姿が、今でも脳裏に張り付いてる。

この日は「好きにならずにいたかった あなたを知らずにいたかった」とマイクを通さず口パクで歌うと、さしていた傘を下ろして、背中を曲げて項垂れるような姿勢をしていた。(indigo la Endの公式tiktokにこの日のライブ映像が何本か投稿されている。このシーンもしっかり載っているのでぜひ見たら良いと思う。カメラワークがまた良い。)

「雨は別れの合図だ」というライブ冒頭のナレーション。雨を避ける傘を下ろした、という態度が別れを受け入れたことの比喩に見えて、胸が押しつぶされそうになった。「さよならだけが人生だ」というのは、さよならを受け入れて多少プラスに捉えている感じ(フランスの人が言う、セ・ラヴィみたいなニュアンス)がする。けど、「あなたを知らずにいたかった」っていうのは、さよならも、それより前の出会いすらも否定しているようで、こんなに悲しい感情はあるんだろうかといつも思ってしまう。

インディゴラブストーリーは、イントロ、アウトロを絵音さんとティスさんが向かい合って演奏する。「長年連れ添った熟年夫婦のよう」と鹿野さんに言われた2人。必要以上にベッタリせず、はたから見たらドライだなーとも見えるだろう。でも、苦楽を共にしてきてるから互いに信頼し合っているのを何となく感じる。初期メンバー2人が向かい合ってギターを鳴らして曲が始まり、また最後に向かい合って曲を〆るというのにグッときた。

「13年間、音楽をやってきて苦しいことばかりだった。自分のダメさや至らなさに向き合って苦しい思いをしてばかり。でも今日みたいなライブや曲が生まれた時に、やってきて良かったと思える。」という言葉と、哀愁演劇に収録されるであろう新曲を披露して、蒼き花束の本編は幕を閉じた。

アンコールはお決まりの、(購買意欲を煽りたいんだか下げたいんだが分からない)物販紹介から。絵音さんティスさんの掛け合いが漫才みたいで毎回笑ってしまう。まさに熟年夫婦。いいコンビだと思う。

「僕らロックバンドなんでね〜最後はギターかき鳴らして帰ります」と大きく伸びをしながら話す。ステージでこんなゆったりした姿見せるバンドだっけ…?なんかちょっと信頼されてるみたいで嬉しかったけど。アンコール1曲目は知らない血。これを入れてくるとは、「こわい」セットリストだわ〜。さざなみ様と知らない血は渇きよりも意外だったなぁ。

「国分寺の四畳半で『どうにもならないんだろうな』と思いながら曲を書いたことも、深夜3時まで何も浮かばず、朝から曲書いてライブに臨んだこともある。音楽の神様がいるなら、振り向いてもらえずにここまで来た。ネガティブなことしか歌にできないけど、ここに来る人たちは自分の音楽を聞きたいと思って来てくれているので安心感がある。初めて下北沢BASEMENT BARでライブをやったときは、13年後にこんな景色が見れるとは思ってなかった。ほんとにありがとうございます。indigo la Endは色んな人に聞いてもらえて、ほんとにいいバンドになってるな、と思ってる。自分の話を聞いて欲しくてMCでいろいろ話してしまう。これからもいろいろ聞いて欲しくて喋っちゃうと思うけど、よかったら聞いてください。」

「はたから見たら幸せそうでも本人はそうでもなかったり、逆もまた然りだったりする。正しさは外野が決める、的な空気に生きにくさを感じる。勘違いされたくないな、と思って生きていて、そんな上手く言えない言葉を歌にしました。」と最後に演奏したのは、Unpublished Manuscript。ライブの最後に演奏してたことが何度かある。最後にやるってことは、なにか特別な思いがあるのでは?と勘繰って、何度も何度も聞いてみたけど、なかなか解読できない歌だった。

「正しさは外野が決めるって言うのはなんか生きにくい」というのは名前は片想いの「正しさの矛 たまに痛いよ」という歌詞にも繋がるのかもと思った。絵音さんのMCを聞いた後にUnpublished Manuscriptを聞いたら、「せめて悲しい類は選ばせて」という歌詞が、幸も不幸も外野が決めるという絵音さんの言葉とリンクするのかもと思った。

幸せくらいは選ばせてほしい、じゃなくて、不幸くらいは自分で選ばせてほしいっていうのが絵音さんらしいな。自分の至らなさと向き合って、辛い思いをして曲を書いてるというのが分かる気がする。命削って音楽やってるんだなぁ、すごいや。

不器用だから歌でしか表現できない、と言うけど、歌で自分の思いや感じていることを表現できるのは才能だよ。どうしてこの曲ができたのか、どんな思いで書いたのか、何がきっかけになったのか。大好きな曲の裏側を知りたいので、どうかまたMCで自分のことを喋ってください。

「13年前はこんな景色を想像できなかった」と言っていたけど、それはわたしも同じです。YouTubeでたまたま見つけて、その時の衝動でライブのチケットを取って見に行った中野サンプラザ公演。その日は、8年後にindigo la Endが自分にとってこんなに大切な存在になっているなんて、思ってもみなかった。

indigo la Endと出会って、悲しさにもいろんな色があることを知った。世の中にはいろんな言葉やリズムが溢れていることを教えてもらった。「チューリップって色ごとに花言葉が違うんだよ」と自慢げに話せるようになった。ただ「エンタメとしての音楽」「BGMとしての音楽」ではなくて、それ以上のものをもらってる。

多分これからも、「さよならだけが人生だ」と歌うんだろうな。でも、わたしはindigo la Endに出会えたから、「出会いこそが人生だ」と胸を張って言えるよ。13周年、ほんとうにおめでとう。大切な記念日に、ライブに行けたことがとても幸せです。これからもindigo la Endの音楽とともに、歳を重ねていけますように。いつまでも、だいすきです。

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