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すべてが今、ここにある。

もの悲しさを感じる秋。
そんな10月の秋の夜、まるで呼ばれるかのように河口湖まで行ってきた。

もともとこのライブは、行けないつもりでいた。のだけど、生きていると不思議なことも起こるもので、絶対なくならないはずの予定が別の日に変更になって、ぽっかり時間ができてしまった。

それに合わせるかのように始まったチケットの一般発売。人気公演だからどうせ取れないと思っていたチケットが、なんと拾えてしまった。

親族を亡くしたり振られたり。いろいろな「失う」を味わった先月。同時に、周りの人のありがたさに改めて気付かされた。「失う」ことと、対角にある「幸せ(を感じること)」を、最近これでもかと体感している。いろんな涙があることも、身を持って知った。

自分に起こるできごとのタイミング。
indigo la Endが歌っていること。
チケットが発売されるタイミング。
どうしてか拾えてしまった、注釈付き席のチケット。
いろいろなタイミングが合って行くことになった今回のライブは、なんだかindigo la Endに呼ばれたようだった。

森を進んだ中にこじんまりと建っているステラシアターは、夜風が森の香りを運んでくる、素敵な会場だった。(何がナツヨノマジックだ、と言いたくなるような極寒だったことは内緒にしておく。)

注釈付き席と聞いて、「天井の見切れ席なんだろうな。まあほんとだったら、来ることすらできなかったんだし、どこでもいいか」と思っていた。そうしたらわたしの想定違いで、ステージ真横のがっつり下手側、前から数列目という、それはそれは良い席を用意してもらっていた。

もちろん、スクリーンの映像は見切れて全部を見ることはできない。でも、プレミアムなステージバック席でライブを見たときのような特別感を感じることができた。普段は見ることのできない、メンバーの横顔や、後ろからのドラムセットを見ることができた。これはこれで、ありだなぁ。

下手からメンバーが入退場するので、メンバーの姿が、表情まで分かるくらい近くで見れたのも嬉しい。リズム隊が近かったのはもちろん、絵音さんが栄太郎さんとタイミング合わせる時とか、下手側を見て演奏する時に勝手にドキドキしてしまった。(なんかごめん。)

寒い中手をさすりながら開演を待っていると、緞帳が開いて最初のムービーが始まる。もはや、indogo la Endのお決まりの始まり方。うっとりしてしまうような詩的な歌詞を絵音さんがなぞる。

すべては覚えていないけれど、「すべてが今、ここにある。」という一言は、なんか忘れちゃいけない気がしてずっと覚えてた。季節も時間も感情も、なにもかも全てを越えてここにあるんだ、という不思議な気持ちになった。

ここに集まっている人全員に、それぞれの時間や感情や人生があるんだ、ということを感じた瞬間だった。そう思うと、ステラシアターがという建物が、すべてが交わるおとぎ話に出てくるような交差点に感じた。

「そろそろだ」と思うと心拍数が上がった。スモークがもやもやとしているステージにメンバーが登場すると、1曲目「夜汽車は走る」。半屋外のステラシアターでは、リハが丸々聞こえる。開場を待っているときにリハをやっていたので、何かしらのムービーのあとに「夜汽車は走る」をやるんだなぁというのは分かっていた。

でも1曲目というのはちょっと想定外。そういえば、配信ライブ”ナツヨノマジックvol.1”も、「夜汽車は走る」から始まったなぁ。配信ライブを見ている時に、小さなスマホの画面に「夜汽車は走る」と泡のように曲名が出たのをふと思い出して、なんだか懐かしい気持ちになった。

イントロのゆったりとしたリズムと、切なさを感じるギターがとりこになってしまうくらい好きで、それに「もうどうしようもならないよ」と感じてしなう切ない歌詞が追い打ちをかけてくる。発売から時間がたって、ようやく良さが分かるようになった曲。最初から感情が揺さぶられまくりだった。

2曲目、馴染みのないイントロ(というか繋ぎ)から「想いきり」。なんか「想いきり」ってライブの最初、しかも2、3曲目に演奏することが多い気がする。(なんかあるのかな)

3曲目、「ワンダーテンダー」。この曲、ライブで聞きたいなぁと思っていたことすらも忘れてた。「幸せが溢れたら」のアルバムくらいから後鳥さんが正式に加入したこともあり、ここらへんからリズム隊がバチバチなんだよね。

「心にいないはずのあなたなんか ワンダーテンダー」の音程の上がり下がりが、「心にいないはずのあなた」に振り回されているような感じがする。「心にいないはずだったんだけど ワンダーテンダー 好きになって 好きになってしまった」って最後も良い。

「チューリップ」、「フラれてみたんだよ」、「忘れっぽいんだ」、「幸せが溢れたら」の4曲に、勝手にストーリーを見出してしまった。セットリストを眺め返して鳥肌が立ってる。

「チューリップ」は色ごとに違うチューリップの花言葉に、感情や状況を重ねている、なかなかセンスの光る曲。最初は赤のチューリップ「愛の告白」から、黄色のチューリップ「希望のない恋」を経て、白のチューリップ「失われた恋」へ。「あとがきへの助走ルート」が始まる。

「過去にならなきゃ 2番目でも構わないって 口を開こうとしたけど 閉じてしまったものは もう戻れなくて」という歌詞から、自分のプライドを捨ててでもなんでもいいからそばにいたいのに、それすらも叶わないという印象があって。相手には自分に対する気持ちはこれっぽっちもなくて、別れる以外の選択肢がないってことが分かってしまう歌詞だと思う。

次の「フラれてみたんだよ」では、曲名と「わたし負けたんだね ため息」「フラれてみたんたよ つまりはさようなら」の歌詞から、芽生えた恋が完全に終わったことを意味している。

「遠くなり溶けてった」や「冷たさで 醒めてってほしい」の歌詞は、「チューリップ」の最後の「雪に混じりあった」「あぁ寒いな」を連想させる 。これほんとにすごいと思った。これにハッとして、「もしかしてつながってる?」と勝手なに妄想劇場をスタートさせました。

(すごい私情をはさむと、「いまわたしこの曲聞くんかー」という思いもあった。)(べつにいい)

リリースされている中では一番新しい「忘れっぽいんだ」。「忘れっぽいんだ あなたがしてくれたあれもこれも」「今はもう捨てるだけの陽炎だから」という歌詞から、失われた恋をちょっと苦いものとして思い出してる印象を持つ。失ったものを、どんな時期や季節に気持ちで思い出しているのかも想像できてしまう、indigo la Endの表現力がすごいな、と思った。

「幸せが溢れたら」では、 「懐かしいな 思い出しちゃうな」と、遠い昔を懐かしんで、かつて隣にいた人を思い出してる感じがする。「思い出しちゃう」というのが時間が経った印象をもたらしているし、「君の住む町は 今どこか知らないけれど 僕の住む町も 君は知らないんだよな」から、お互いのことは知る理由も手段もない、もう昔のこととして完結してると示してような感じ。

前に演奏した「忘れっぽいんだ」が、幸せが溢れたらの「もうあなたを忘れてしまう」「病のことを しどろもどろに」にかかるのでは?とも思った。
「チューリップ」で芽生えて終わった恋は「フラれてみたんだよ」でいったん完結するけれど、実は病があることが分かって別れを決意したという裏話がある、と、「忘れっぽいんだ」と「幸せが溢れたら」で徐々にネタバレをされた気分。

そして「だけど今でも 好きだと伝えたい それだけだよ それだけなんだよ」と、伝えたいけど、伝えたい人には会えないし伝えられない、というどうにもならない、これ以上ない悲しい結末で物語が終わる。独特の余韻を残したまま、ライブ前半が終わり、メンバーがはけていく。

ライブ前半が終わったことは、この後に流れるムービーが、いうなれば切り替えの役割もはたしているからだと感じたから。ダンサブルな「夜風とハヤブサ」に乗せて、欲望むき出しな詩を読み上げる。不覚にもドキドキした。いままでindigo la Endのムービー×詩のこの演出はたくさん見てきたけれど、これが1番好きかもしれない。

「もうすぐ幕間が終わる」という、そろそろライブに戻るぞ、と緊張感を煽る感じや、「幕間(まくあい)」という単語がなんか良いなと思った。響きとか「間」を「あい」と読む感じとか。

「服を着替えてくるから ちょっと待ってて」というムービーの通り、衣装を着替えたメンバーがステージに再登場する。いかにも余所行きの複、背筋が伸びるステージ衣装から、ちょっとフランクな、それぞれの個性を出した衣装に身を包んだメンバーが戻ってきた。

後半戦の1曲目は、この日1番のびっくり玉、「秋雨の降り方がいじらしい」。天邪鬼なindigo la Endは、「秋なので秋ってつく曲名をセットリストに入れました」とか、絶対にやらないと思っていた。

アルバム「濡れゆく私小説」の曲はポップスじゃくて歌謡曲って感じの、レトロさを感じる曲調や歌詞が多い。おかげで品のある感じがするし、それでいてindigo la Endらしさもある、すごく癖がるけど大好きなアルバム。

イントロの不穏な感じ(ここのギターのカッティングが好き)から、Bメロ、サビに向かってだんだんゆったりと開いていく感じが、indigo la Endの守備範囲の広さを示しているよう。ステージを前後に分けるような、雨が降っている様子を連想させるような照明が印象的だった。

久しぶの曲を、と「夢で逢えたら」。「瞳のアドリブ」みたいに、今の演奏技術をもって、昔っぽい疾走感系の曲も好きだけど、初期の曲をリズム隊バチバチのindigo la Endが演奏するっていうのがライブでしか味わえない贅沢だなと。

次の「楽園」も同じく初期の曲。絵音さんがだいぶ早めに歌インしちゃって(絵音さん、昔の曲やるときミスりがちじゃない?)、ティスさん後鳥さんが顔を見合わせていたのを見逃さなかったぞ。

さすがに強行突破はできないと思ったのか、最初からやり直すことになってた。笑ったり照れたりせず、何もなかったかのようにやり始めるのがすごいなと思った。そりゃ舞台のオファーも来るよね。

ギターを弾く手元が良く見えたのだけど、絶対Aメロの後のギター、タイミングが難しいよね。凝視しても全くわからなかった。つんざくように「止んでよ」と歌ったり、つぶやくようにセリフを話したり。いろんな表現を見られるこの曲は、ちょっとまだ掴めない不思議な曲です。

「ナツヨノマジックvol.1のときに、MVをここで撮ったんです」と「夜風とハヤブサ」。夜風が入る半分外の会場でこの曲を演奏するなんて。最高なのはわかっていたけど、いざ聞いたらやっぱり最高だった。

この曲はなんというか、のってて気持ちがいいというか、とにかくリズムが気持ちいいんだよね。肩でリズムを取る絵音さんに合わせて体を揺らしてしまうし、特にイントロから歌い始める瞬間に一拍入る感じ(伝わらない)と、「覗き見してるような夢見て傷つくだけ それが夏」のリズム(だから伝わらないって)が気持ちいい。

あとは、Bメロまで子気味良いテンポなのに、サビで「あなたが好ーーーき」と、軽快な感じが一瞬切れたり、「落ちてく夜」の音程が、ほんとに落ちていく様をイメージさせるたり、いろんなところに種と仕掛けとセンスが光る曲です。早々に終わってしまう恋を、「はやぶさみたいな恋」って表現するところも絵音さんにしかできない表現だなと思う。

もう終わるかのようなMCをして、「まだ終わりじゃないんですけどね。大切な曲をやります」と、「夜の恋は」。この曲聞くと、やっぱりどうしても、”夜警”のいわき公演で見た絵音さんがフラッシュバックする。何かを決心したように真っ直ぐ前を見据えていた、あの姿が。

「好きにならずにいたかった あなたを知らずにいたかった」って、どう頑張っても消化できなくて、「でもよかったよね、好きになれて」って言えない恋愛って、辛すぎて辛すぎて、この曲を聞くと毎回、どうかこの曲の主人公が報われて欲しいと祈ってしまう。

「抱きしめて」のイントロが始まった瞬間に、ステージに会った松明に火がぽっと灯った。”ナツヨノマジックvol.1”の演出と同じだった。

「抱きしてめよ 心と心が重なるくらい」ってきゅんとする歌詞だけど、「これで最後ねと 言葉 添えていいから」って終わりが見えているってわかった瞬間にすごく切ない一言聞こえる。まるで、最後のあなたとの思い出に、と言っているよう。
「チューリップ」の「私にはもうどうにもできないから あなたの袖を掴むことくらいしかできない」と同じ匂いがする。

本編最後は「1988」。じっくりと意味を考えて聞いたことはなかった。でも「もうどうにでもなれと何もストッパーにならない時、唯一バンドという存在が自分を留めてくれる」とMCで言っていたこともあって、絵音さん自身のことを歌っているのかなと思った。

「ないものねだりの 嫉妬の交差で 光を調整できたはず そっちを選んだのは 誰でもない 俺なんだよ」っていう歌詞からは、「曲が作れなかったり上手くいかなかったこともたくさんあるバンド」と、昔のライブで話していたことを思い出す。

「光を調整できたはず(それなのに逆の)そっちを選んだのは」というのは、光じゃない方=闇、つまりは失うことを歌うindigo la Endを例えてる、もしくはindigo la Endをつくった絵音さん自身を例えてるのかなと思った。

アンコールはお決まり物販紹介から。「今日来てるのはコアファンで、アルバムリリースツアーにも何ヶ所も来ちゃう頭…じゃなくて様子のおかしい皆さん」とか言っちゃうし、バングルライトを「こんなん買う人の気がしれない」とか言っちゃうし、今日はいつにも増して毒舌なティスさんだった。

あとは後鳥さんのバースデーをみんなでお祝い。大好きな人の誕生日をお祝いできて幸せだった。最年長のお兄さんだけどいつもいじられてばっかだし(しかもけっこう辛辣なこと言われてる)、おてんばなところもあるけど、つづる言葉に人柄の良さがにじみ出ている後鳥さんが大好きです。
もちろんベースを弾いている姿も、ね。

アンコール1曲目は新曲。たぶん「カンナ」だと思うなぁ。
「思い出ってほど美化しないけれど」って歌詞と、ここの音程が好きだった。あと、「生ぬるいキスをしよう」ってすごい歌詞だなぁと思った。キスをしようだけ聞くとキラキラした感じなのに、生ぬるいってつくと途端にリアル感満載になるというか。

ほんとの最後はタイトルにもなっている「夏夜のマジック」。最後のサビと同時に、どこからともなく花火の音が。

”ナツヨノマジック”を見すぎて、脳内で自動再生されてると思ったら、後ろにいるお客さんが歓声を上げていた。まさかと思って頭上を見ると、ほんものの花火が上がっているではありませんか。

最後にこんな特大プレゼントをもらっちゃうなんて。1人で見ていたのに、思わず「うわぁっ」と声が漏れてしまった。まさか花火の演出まで、配信ライブを踏襲してくれるなんて。ステラシアターの屋根からちらちらと、時々どーんと見える花火を、夏夜のマジックを聞くたびに思い出すんだろうな。
indigo la Endには、ほんとにいろんなものをもらってばっかだ。

”ナツヨノマジックvol.3”の閉幕にて、ほんとに今年の夏が終わった。気温もいい加減に落ち着いてくるだろう。

長い夏だった。生きていれば当たり前のことだけど、いろんな感情がある夏だった。

生の音楽はそんな感情たちを揺さぶってきて、人の数だけ出会いや別れや思い出があって、それらに寄り添うindigo la Endの音楽が、どうしようもなく大好きだと思った夜だった。

何があってもindigo la Endの音楽、とくにライブはわたしにとってはなくてはならないもので。詩的な歌詞や、体全体で感じる重低音がたまらなく心地よくって、たゆたうように音楽に身体を預けている時間が、何にも代えられないくらい大事なんだ。

もうすぐ、アルバムの発売日が来る。そこから怒涛の長旅が始まるね。
わたしは”哀愁演劇”じゃなくて、”藍愁演劇”も良いと思ってるんだけど、どうかしら。

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