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人は他者のために生きている

週末に父が倒れ
頭を開く手術をして一命をとりとめた

父は長年
生活習慣病と腎臓病を患っていて
視力はほとんどなく
4年前から人工透析患者だ

視力が悪くなってから
大好きなゴルフをすることも
車を運転して出かけることも
友人と美味しいお酒を飲むこともできず

自宅と病院の往復だけの生活になって
もう20年以上になる

父が倒れた知らせを受けたとき
私は旅先で友人たちと過ごしていて
帰りの便を早めて帰ることにした

翌朝
友人が森戸神社に連れて行ってくれて
みんなで父のために祈った

わたしは
"父が一命をとりとめて回復しますように"
ではなく
"すべてがよくなるように"とだけ祈った

実は母と折り合いが悪く
もう半年以上
実家と疎遠になっていたのだけど
弟1は中国出張、弟2は福岡在住だから
腹をくくって半年ぶりに実家に行った

母は興奮状態にあるのか
半年分ずっと喋ってた

「お父さんが一命を取り留めても
幸せかどうかわからない」

と母は言った

確かに
眼も見えないし
身体の状態はさらに悪くなるだろう

だけど
全ての生命は
循環と調和のなかで生かされている


身体が動かなくても
話せなくても
どんな状態であっても
ただそこに存在するだけでいい

人は他者のために生きている

だから
父がこの世にその状態で存在してこそ
果たす役目がまだある
そういうことだ

父の視点からみると
秋分の日の夜
足元がふらついて転倒して
机の角に頭をぶつけた
それだけのことだけど

大きな視点からみると
父は命がけで
不調和のバランスをとろうと
してくれたのかもしれない

わたしの準備が整ったとき
それはそれは完璧なタイミングで

お父さん、ありがとう

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