あみもの第二号感想

あみもの第二号、発行おめでとうございます。総勢57名!なんという豪華な大所帯!

ということで、さっそく今回も気になったお歌について雑多な感想を述べさせていただきます。勝手に書き散らしてるだけですので、解釈間違い等はご容赦ください……


手のひらに消えない光が欲しいけどあったらあったで鬱陶しいか / 屋上エデン

「なんだかよく分からないけど読んだ瞬間に共感してしまう」タイプのお歌でした。消えない光。希望だとか、未来だとか、不変の愛だとか、そういうキラキラした「何か」の暗喩だと解釈しました。確かにそういうキラキラって憧れるんですけど、確かにずっと手元にあったら鬱陶しいよね。真っ暗闇で、ひとり膝を抱えて眠りたいような夜もあるし(私は陰気な人間なので……)。やっぱり「キラキラ」って、ちょっと届かないくらいが丁度いいのかもしれないです。


ごくまれに誰も死なない日があってスイートピーとか眺めたりする / あひるだんさー

医療詠の連作でしたね。医療の最前線の緊張感、疾走感がある作品の中に一首だけぽんと投げ込まれた「一回休み」みたいなこの歌にすごく惹かれました。ごくまれに誰も死なない日がある。ごくまれ。ごくまれなんです。医療とは縁遠い世界で日々健康に生きている私には想像もつかない話なんですが、「ごくまれに誰も死なない日があって」という上の句の、ある種力強い「当然さ」のようなものにガツンと殴られたような感じがしました。


この形は地図帳で見た記憶あり松の木の影ほぼカムチャッカ / 松岡拓司

発行日の季節がら冬~春の連作が多い中、こちらは秋を呼んだ連作でした。連作通して物凄く技巧的でうつくしい!と思ったのですが、ひとつ引かせて頂くならこのお歌かなと。カムチャッカ半島、どんな形だったっけ……と思いググってみたのですが、なんとも言い難い形をしていました(笑)これを「松の木の影」と結びつける感性に脱帽です。「カムチャッカのよう」などとせずに、「ほぼカムチャッカ」と名詞で言い切るための「ほぼ」がいい味出してるなあと思います。


人並みに正しく生きていたいのに松屋に入る勇気すらない / 大橋春人

これは私にとってポジティブな意味で「わからない」お歌で、ずっと頭に残っています。「松屋に入る」ことが「人並みに正し」いことなのか?そもそも「松屋に入る」ことに「勇気」って要るのか?私の感性が粗野すぎるせいかもしれないのですが(笑)、この作中主体(あるいは作者)が考える「人並みの正しさ」って何なんだろう、という点がものすごく気になる一首でした。牛丼チェーンのスピード感というか、システマチックな感じが社会そのものと重なってるんでしょうか。


未練かもしれない 本屋跡地には本が充実しているファミマ / 多田なの

着眼点がものすごく面白いなあと思った一首でした。まず「本屋跡地に本が充実しているファミマがある」という事象を題材として持ってくるところがすごくおもしろいし、それを「未練」と表現するセンスに脱帽です。「もともとラブホっぽいビジホ」とか「もともと寿司屋っぽいカフェ」とか私も見たことがあるんですが、今後暮らしていく中でそういうのを見つける度に、この歌の「未練」という言葉が頭をよぎるんだろうな。


ぼくがいる車両の中の人だけで匿名で話すアプリが欲しい / 多賀盛剛

これも着眼点の勝利だよなあと思う一首でした。そんなアプリがあったらどうなるかな、と結構真剣に考えてしまいました。楽しいだろうけど、問題も色々あるんだろうな。電車での移動中って、確かに退屈だしちょっと孤独なんですよね(私はそれも好きなのですが)。それを埋めるためのちょっとした遊び心というか。そういうごく日常的な可愛い妄想を詠んだ歌って個人的にすごく好きなんですよね。うん、好きです(笑)


やあ勇気そこにいたのか大盛りと並の価格が同じ券売機 / 御殿山みなみ

はからずとも、先ほど引かせて頂いた大橋春人さんの「人並みに正しく生きていたいのに松屋に入る勇気すらない」の親戚のような歌でした(私牛丼チェーン詠(?)が好きなんだろうか……)。これは勇気が試されてますね。題材のチョイスに思わずくすっとしちゃいましたし、「やあ勇気そこにいたのか」という呼びかけが軽妙で面白い。情景が目に浮かびます。ちなみに、私だったら大盛り押せません。


本当は全部の感想を書きたいのですが、今回はこのあたりで。次号も心から楽しみにしています!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?