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あの推しと推しと推し

現実にいる人間(いわゆる三次元)を推しにするって今まであんまりなかったんですが、つい最近1人増えて、遂に3人になった

推しができた時の恒例行事のひとつ、「画像を漁りカメラロールに新規推しを閉じこめまくる作業中」にふと、この3人の共通点に気づく

顔のタイプではない
声でもない
雰囲気とかでもない

共通して言えるのは、みんな人間不信っぽい

あえてぽい。と言っているのは本人はそう思ってない可能性の方が高く、オタク特有の誇張表現の一部にすぎねーとオタク自身が感じているからです
いちいち説明するところもオタクすぎて嫌になっちゃうぜ😁✌️

人間不信って軽く言ってるけど、私自身もそうだ
人間に生まれたのに人間不信って(笑)となり、生きづらェ〜と思ってた時期もある
生きづれェ〜じゃなく生きづらェ〜である
今もたまにそういう暗黒期に入る時もぜんぜんある

だけど最近になって、でも別に悪いことじゃないな。と思えるようになった

まずそもそも、人間を信じたい気持ちがない人は、人間不信になんてならねーからです

つまり人間、一個人に対して真摯に向き合いすぎて信じすぎた結果疲れ果てて、逆に人間不信になってる気がするってことで

それを踏まえた上で人間不信っぽい他人を見ると、
なんだこの生きるのへたくそで健気ないきものは。
俺が守ってやる。愛。
みたいな気持ちになるわけです
推しになるわけです

自分に対しては感じられない愛おしさが、推しに対してはなんか芽生えるわけです
咲いてる畑が違うからかな

あと私含め、そういう人は高頻度で「自我が強い」場合が多い
良くいえば「芯がある」
悪くいえば「肝心な時に融通が効かねえ」「めんどい」

人間と向き合いすぎる自分の癖をどこかで理解してるから、自分がブレるわけにはいかねーという気持ちが強い
自分で自分を裏切ったら本当に元も子もないので

例えその道が険しくても受け入れて、自分を捨てずに傷つきながらも前に進んでいる人

私はそういう人を好きになりやすいのかなあ…と、推しを50人ぐらい閉じこめたあたりでやっと腑に落ちた


面倒さも個性だから

たまにうぜ〜(笑)と思うけど
自分は自分のままで生きると覚悟を決めてる人を見ると、勇気をもらえるものです

君の面倒さ、私は好きだよ
いつまでも変わらないでいてね

おわり

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