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かわらないもの

この数年、断捨離を加速して、だいぶスッキリしてきた。
断捨離といっても、大切なガラクタはそのままでいい、うまく収納していこう、というゆるやかなもの。

極力ものを増やさないようにしていた時期を過ぎ、最近は家を出ることを想定し、生活をうるおす買いものを楽しみながら、ちいさな整理を重ねている。
1度目は、必要なものだけを持ち、あとは置いて出た。
2度目は、何も置かずに出るつもりでいる。

小さいころから、ものは大切にしてきたつもりだけど、ガラクタと化したものの選別にあたまを悩ませていた。
そのひとつが、シルバニアファミリーの家とうさぎと付属するものたち。
物心ついたころには、もう我が家にあったそれは、わたしが欲しがったらしく、姉との共有物ではないひとりで独占できるものだった。特に裕福な家庭でもなかったので、それはとても贅沢なおもちゃだと認識していた。(今思うと、わたしではなく母が欲しがったのかもしれない。)
それだけに、思い入れが強すぎて、簡単に手放すことはできないでいた。

出窓のカーテンのむこうに置かれたそれは、埃と日焼けと結露によって、経年劣化が進む。定期的に、活用法を検討するも、とっくに大人なわたしにはむつかしく、いつか遊んでくれるかもしれない子のために、という願いはもう叶いそうにない。

だらだらと先延ばしにしてきたけれど、そろそろ決断したくてたまらない。
捨てよう。そう決めた。
未練たらしいわたしは、なかなか気持ちを消化できない。

友人から「捨てるなら、うちの保育園で小学生が遊ぶので譲ってほしい。」と声をかけてもらった。うさぎたちにそんな未来があったのかと、とてもうれしく、ありがたい気持ちでいっぱいになった。

未練たらしいわたしの気持ちは、まだまだ消化中だけど、何もかも白黒わりきるなんてできないし、しなくてもいいと、しっかり受けとめた。
終活ってこういうことなのかもしれないと、大げさだけど考える。
なかなか自覚できないでいるけど、次の世代に受け渡していく年齢に、とっくに差し掛かっている。
それって、未来は明るいってことなんだと、開けた気持ちになっている。

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