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リコ二郎(小説)

「二郎を食べよう。」
 リコリコの制服姿の千束は急に呟いた。
「なんですかそれ?」
 と、怪訝そうな表情をしたたきなが聞くと
「たきな絶対好きだと思うよ。なにせ、世界一美味しいラーメン…… らしいからね。」
「千束は行ったこと無いんですか?」
「無いよ。」
「なんでそんな自信満々なんですか…。」
良く考えたらちさとは普段から自分がやった事ないことを平気で人に勧める様な人だった。自分も一緒に初体験をする事で、ワクワクを共有したいのだろうか。
 でも、たきなは少しいつもとの違いを感じた。
あまりにも自信がありすぎる。ちさとは普段から自信に満ち溢れており、ネガティブなことを考える方では無いが、なんの根拠もなしに「世界一」なんてワードは使わない。
「どこでその店を知ったんですか?」
「コピペ。」
「コピペってなんですか?」
「ネットで有名な定型文、っていうの?都市伝説まではいかない、みたいな?」
「なるほど、ネットで知ったと言うことですか。」
「そう。でもね、そこで必ずと言っていいほど出てくるのが「世界一の味」「コール」「バトル」。これは行くしか無いっしょ?」
「なんでラーメン食べるのにコールしたり戦ったりしなくちゃいけないんですか…」
 たきなは千束の熱弁を聞いてもまるで行く気がしなかったが、今日は偶然にも千束が本日の昼食担当であり、
「今日は外食デーです。」
と宣言したこと。そしてリコリコの他の従業員達は、
「寿司でも取るか。」
 と出前を選択したが、食費が上がるのを店の経理担当であるたきな自身が嫌ったこと。
 そしてなにより、
「ねえたきな行こう?奢るから。特別にラーメン奢っちゃうから。どうしてもって言うなら麺大盛りでいいよ? あ、チャーシュー?もしかしてチャーシュートッピングの方がいい?うんうん、いいねーそれにしよう。いまなら味玉も付けちゃう。きっと 味が染みててトロトロだよ!さあ行こう!善は急げ、急げー!」
 と、ちさとに強引に押し切られたことで、流石のたきなも折れる他無かった。


 店からちょっと歩いた所に、その店はあった。
 黄色い看板のラーメン屋だった。豚骨をグツグツ煮た匂いが既に店の外まで漏れている。
「ラーメン二郎 」だ。
 たきなが、店の前に着いて、まずなによりも気になったのは、店に並ぶ人の行列だった。
「人多すぎませんか?今日はサービスデー、とかですか?」
「いや、たまにこの店の前通るんだけどいっつもこんな感じ。」
「こんなに並んでまで食べたいものなんですかね…。」
 たきなは信じられない、という顔をしながらも千束と共にその行列へと並んだ。

 三十分ほど並んだだろうか。先が見えなかった行列は少しずつ進んでい き、とうとう二人は券売機の前まで来た。
 千束はあまり待つのがあまり得意な方では無い為、空腹が限界に達していた。
「お腹減ってるから大盛り行っちゃお。」
「私は元々そんなに食べる方では無いので。小でいきます。」
「小でいいの? 後でおなか減っちゃっても知らないよ?」
 二人は食券を買って店の中まで入ったが、ここで誤算があった。
「店の中にも待ちの列がある⁉」
「たきな、後は任せた。」
 千束は絶望のあまり体の力が抜けて、たきなに寄りかかった。
「ショックなのは分かりますが倒れないでください。それに列をよく見てください、外の待ちに比べたら全然短いです。すぐ私たちの番になりますよ。」
「もう死んじゃう。背後霊になっちゃう。」
「物騒なこと言わないでください。」
 だが、実際たきなの予想通り列はすぐに捌けて、二人は席に座ることができた。
 後で知ったことだが、二郎は誰と来ようが気にせずに空いた席に個々で座るシステムなので、二人が隣どうしで座れたのは運が良かったらしい。
 たきながカウンターに食券を出そうとすると、
「ちょっと待ってたきな、ここでコールを発動するよ。先にお手本見せてあげる。」
「知ってるんですか?」
「軽く調べてきた。大丈夫、こういうのは堂々としてればいいの。」
店員が二人の前まで食券を取りに来た。コールの時間だ。
「お好みは?」
「ヤサイニンニクマシマシで!」
「後で言ってくださいね。」
「あっれー?」
「オーダー通ってないじゃないですか…。」
「見ないで!」
「見ろって言ったの千束じゃないですか…。」
 注意こそされたが、コールの意味が伝わってないわけでは無かったので、タイミングが違ったのだろうか。
 警戒したたきなは全部普通を選択した。特に何も言われなかった。
 ラーメンが到着するまで暇を持て余したので、たきなは他客のラーメンを観察してみたが、何かがおかしい。
ど の客も野菜増量券を三枚は買ったであろう量が盛られている。サービスが良いというよりかは、はっきり言って嫌がらせに近いレベルである。丼の中に一切麺が見えないことから察するにこの店は極度のベジタリアン御用達なのかもしれない。
 店員が現れ、
「ニンニク入れますか?」
 と聞かれたので、
「はい!」
 と、千束が元気良く答えると、店員はどこか不満げな顔をした。
「ヤサイニンニクマシマシじゃなくていいの?」
「え? あ、いや、じゃあそれで!」
 千束は唐突なコール再登場に挙動不審になってしまった。
 ちなみに、たきなはそのままの味が楽しみたかったので、
「そのままで」
 と答えた。またしても特に何も言われなかった。
「おまちどう、小ラーメンです。」
 たきなの前に着丼した。そのラーメンを見て、一言。
「なんですかこれ?」
「ラーメンだよ。二郎ラーメン。」
 普通の店であれば特盛用になるであろう特大の器。野菜は増やしていないはずなのに高く盛られたもやしとキャベツ。麺は見えない。固形に近い脂もスープの表面にこれでもかと浮いている。
「とても人が食べるものとは思えない見た目してますけど…。」
「それ、たきなが言う?」
「なんですか?パフェのことですか? あれはチョコがかかってるだけで何か別の物に見えた人の方が悪いという結論に至りました。文句があるなら販売停止にすればいいじゃないですか。」
「めっちゃ早口じゃん…。完全に開き直ってるし。」
 そんなに怒らなくても…と千束は苦笑いを浮かべた。というか、このボリュームは間違いなく…。
「それ私のじゃん。どう見たって大盛りでしょ?」
「いえ、小だそうですよ。」
「え?」
「おまちどう、大盛りのヤサイニンニクマシマシ。」
 千束の前にも着丼した。が、それは想像を絶するものだった。
「っ!?」
 お菓子作り用のボールと勘違いするレベルに大きい器。着丼した衝撃でパラパラともやしが落下するほどに高く積まれた野菜タワー。大盛だが、麺は見えない。
「え?チョモランマ?チョモランマなの?」
「ラーメンです。」
「もはや鈍器なんだけど。」
 千束はあまりの見た目のインパクトにやられそうになったが、自分が空腹の限界に達していたことを思い出し、目の前の山脈を食らい始める。
「肉うま!柔らかいー!」
 千束がまず手をつけたのは、チャーシューであった。
「千束、今は若いから良いですけど、野菜から食べないと太りやすくなるんですよ。」
「えー? 好きなものから食べたい派なんだけど。」
 チャーシューを食べ切った千束は、次に見えない麺を掘り起こした。
「ん?」
 暴力的なまでの極太麺。軽く縮れている。問題は、その量だった。
「もしかして、丼の半分以下全部麺なの?」
「そうみたいですね。」
「やばくない? マリアナ海溝くらい深く感じてきた。」
「なんでさっきから世界の名所で例えようとしてるんですか?」
 肝心の麺は、特濃のスープにこれでもか、と絡み最高の味わいとなっていた。
 スープの濃い味を口全体で感じた千束は、味の薄い野菜タワーに飽きてきた。
「ん、そうだ。これもスープに入れちゃえ。」
 千束は麺を地表に出現させ、できたスペースに野菜を入れ込んだ。先ほどとは打って変わって野菜が見えなくなり、麺のタワーのような見た目になった。
「せっかく野菜を高く積んでくれたのにそれを崩すのはマナー違反じゃないですか? まあ元から綺麗だったとは言いがたいですが…。」
 たきなは不満げな顔をしながら食べ進め、先に野菜をほとんど完食した。

 たきなが違和感を覚えるまで、そう時間はかからなかった。
 千束のラーメンを食べるスピードが早すぎる。普段の食べる速度はたきなと同じくらいの速度のはず。なのに「大盛り」というデバフがかかりながらも、たきなを圧倒するスピードでラーメンを消費している。
 しかも、あまりきつそうな顔をしていない。
 そして、たきなは気づいた。逆だった。
「違う。私のペースが落ちてる…。」
 スープに大量に浮いた油と、純粋な物質量。たきなはそれにやられていた。しかし、それは千束も同じはず。
 たきなは千束のどんぶりを見て、唖然とした。
「麺がほとんど無い⁉」
 千束の丼の残りは大量の野菜が中心であるのに対し、たきなの丼には大量の麺だけでなく脂身の多いチャーシューまで残っている。
 食べやすさの差は歴然。いかに楽に食べ進められるか、これが終盤のスピードに大きく影響していたのだ。
「千束がなにげなくやっていた行動は、全てリスクを回避することだった…⁉」
 普通ならあり得ない。だが彼女なら、あり得る。
 錦木千束。彼女は初めてこのラーメンを見たときに
【もはや鈍器なんだけど。】
 とつぶやいた。もしかしたら、彼女には本当にこれが凶器に見えたのかもしれない。
 だとするなら納得である。

 だって、彼女に凶器は当たらないから。


「いやー美味しかった。」
「もう二度と行きません。」
 満足げな顔をする千束と、今にも死にそうな顔をしているたきな。
「えー? 確かに量は多かったけどさ、美味しいラーメンだったよね?」
「すいません、いまラーメンって言うのやめてくれますか? 道端に花の塔できますよ。」
「やめて! 頑張って生きて! ALIVEして!」
 千束が応援したり、別のこと考えさせることによって、なんとかたきなをリバースさせることなく喫茶リコリコまで連れて帰ることができた。

 たきなの怒りと不満は、その日の夜になっても消えることは無かった。
「許せません。あんなものをラーメンとして提供するなんて。」
 翌朝も、
「まだおなかに残ってる感じがあります。なんなんですかこれ。」
 喫茶リコリコで働いている時も、
「量がおかしいんですよ。小の意味わかってませんよね。」
 その夜も、
「せめて、量が多いですよとか書くべきなんです。普通に提供するのは許せません。」
「たきな、うるさい。」
 電話越しの千束が文句を言った。
「そんなに文句があるなら直接言いに行きなよ。」
「わかりました。明日突撃して、文句言ってきます。」
「銃は置いていきなよ?」
「使いませんよ。私は欲望に囚われて行動したりしないので。」
「私に言ってる?」

 翌日、たきなは二郎に訪れた。文句を言い、全てを断ち切る。そう決めていた

 はずだった。
 黄色い看板のラーメン屋から出る豚骨をグツグツ煮た匂い。
 前回来た時と印象が違った。
「この匂い、意外と悪くないですね。前回は体調が悪かったのかもしれません。今日はなんだか行けそうな気がします。」
 彼女は長蛇の列の一部となった。

「〇ね! 二度と行くか!」
 誰だか分からないほど激昂しているが、これはたきなである。
 別に騙されたわけでもなんでもなくただ自分から二郎に行っただけなのだが、彼女的に前回の二の舞に終わったのが納得いかなかったらしい。
「量が多いんですよ! いい加減にしてください。」
「たきな、全部あんたのせいじゃん。」
「知りません。もう怒りました。明日店主を暗〇してきます。」
「まずいよ⁉ それはだめ!」
「もう決めました。明日、確実に仕留めます。」
 結果として、たきなは店主を仕留めることはできなかった。
 何故かって?

 豚骨をグツグツ煮た匂いに勝てなかったからである。





「たきなさ、」
「なんですか?」
「太った?」
「え?」
「いや、え?じゃないでしょ。帯のところキツキツになってるじゃん。」
「気のせいです。」
 気のせいではない。二カ月間ほぼ毎日二郎に通ったたきなは、誰から見ても明らかなほどグラマラスなボディとなっていた。
「二郎でしょ? 文句言うとか口実つけて、結局あれから毎日食べに行ってるよね?」
「二郎は関係ありません。野菜たっぷりの健康食ですから太りません。」
「頭が二郎にやられちまってるよ、たきなさん。あれは脂肪と糖の塊。」
 たきなが納得がいかない、という表情をしたことにイラっとした千束は、たきなにとって一番大切なことを天秤にかけることにした。切り札だ。
「体重のせいで動けなくなったらリコリスの仕事にも響くから辞めて。DAに戻れなくなっちゃうよ?」
「分かりました。アブラマシ辞めます。」
「いや、そうじゃない。それあんま意味無い。」
「麺少なめの方ですか?」
「少なきゃいいってもんでもない。」
「分かりました。DAに戻るの諦めます。」
「ねぇ、そこまで!?そこまでいっちゃってるの?そこまでして体にダイレクトアタックしたいの?」
「No Jiro No Life.」
「あ、こいつもうだめだ。」
 天秤はもはや機能していなかった。切り札だと思っていたのはただの紙切れだった。
 千束は説得するのを諦めた。
 たきなの体調は心配だったが、彼女が仕事以外のことにここまでのめり込むことは今まで無かったから。
 リコリコの、そしてリコリスの仕事に響かない程度ならもう好きにさせるしかないと思った。
 この時までは。

「経費のデータ出してみたんだが、先月に比べて食費が爆発的に上がってる。たきな、お前のラーメンじゃないか?」
 くるみが厨房の奥から、タブレットを持って現れた。
「いえ、それはないと思います。二郎はコストパフォーマンスに優れてますから。」
「いやお前…。毎食外食じゃ、いくらコスパに優れててもバカにならなくなってくるぞ。」
 みんなでくるみのタブレットを覗き込むと、右肩にかけて急激に上昇する折れ線グラフが映し出されていた。これ、経費のグラフだよね?たきなの体重のグラフじゃないよね?
「とにかくこの店のためにも二郎行くの辞めてくれ。」
 どうにか説得しようとするくるみだったが、千束はもう無理な事が分かっていた。
「無駄だよくるみ、たかが経費ごときでこの子の二郎への固い意思は変わらないよ。ねぇ、たきな?」
「二郎食べるの辞めます。」
「えっ?」
 どうやら本当の切り札はこっちだったらしい。

 そこからたきなのダイエット生活が、千束の主導で始まった。
 運動は普段の筋トレやリコリスの仕事をこなすことで十分な時間を確保することが出来た。
 食事は野菜やササミを中心としたヘルシーメニューとなったが、
「二郎も野菜たっぷりですよね?こっちで良くないですか?」
「週3回なら経費的にも許容範囲です。」
「ニンニクの天使になりたいんです。」
 と、脳が完全にやられてしまったたきなの二郎欲抑えるのは困難を極めた。
 しかし、一カ月も立つと次第に二郎のことを考える日が減っていき、同時に体重も減少。いつもと変わらない、すらっとしたプロポーションに戻った。
 今でもたまに二郎欲が暴走しそうになるが、その時は千束が別のおしゃれな店に連れていくことで気を紛らわせている。
 こうして、たきな史上最大のピンチを乗り越えることができた。

 それから二カ月後。
 みんながすっかり事件のことを忘れていた頃に、たきながチラシを持って店に現れた。
「最近またラーメン屋が出来たそうです。ここはどうやら博多豚骨系?っていうタイプらしいですよ。今ならサービスで替え玉が何回でも無料だそうです。これなら経費も問題ありません。千束も行きますか?」
 ガンコなたきなを説得し、ダイエットさせた辛さがトラウマになっていた千束は、今までに見せたことの無いような迫真の表情で、こう叫んだのだった。

「心臓が止まる!!!!」

(2022/12/10)

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