朝日

最悪の世代の生き残り 著書「また死にそびれてしまった」を出版し、一躍有名となる

朝日

最悪の世代の生き残り 著書「また死にそびれてしまった」を出版し、一躍有名となる

最近の記事

韓国とアメリカに媚びるしかやることがない日本

日本国内での身内ノリに嫌気がさしたのか、最近やたら韓国を礼賛したり、アメリカ人に仲間に入れてもらうために身体にタトゥーを刻んだり、ブレイキングダウンみたいな英語タイトルのものに興味を持ったり、洋画を字幕で観ることをやたら主張する人が増えたけど、なんかどいつもこいつもうるせえなって思う。 別に国内海外どうでもいい正直。 円安ドル高とかおまえらのマネーゲームに付き合うのも振り回されんのももう飽き飽きしてるよこっちは。 地政とか世界情勢とか、大統領選とか外交とかもううぜえよ知

    • 普段、人に優劣をつけてる奴が、自分が比べられる時だけ差別とか言ってる

      普段、人と人を比べて、「大谷さんを見習いなさい」とか言ってるような毒親や教師が、いざ自分が他の人と比べられるときだけ、「よそはよそ、うちはうち!」とか都合のいいことを言って逃げる。 他にも「アメリカに比べて日本は...」とか「誰々の旦那と比べてアンタは...」とかやたら比較することでしか物事の良し悪しを図れない奴が多い。 生命活動が競争である以上は、万物に優劣はついて当たり前ではあるのだが、自分が査定される側になったときだけ、査定することがそもそも誤りでレイシストだみたい

      • 『カグラバチ』以外の最近のトレンド漫画、全部駄作【週刊マンガ批評 〜第6回〜】

        比べるもんじゃないのは承知の上で、既存の作家が偉そうに新人の投稿作に優劣をつけてるから、あえてこっちからも審査させてもらうけど、ここ数年で「このマンガがすごい」とか「次くるマンガ賞」に取り上げられる流行漫画のどれもが、『カグラバチ』の足元にも及んでいない。 やはり国内の老眼読者より、フレッシュな外人は目が肥えているなと感じされるのが、海外向け配信プラットフォームにおいてカグラバチの閲覧数がダントツ最多という事実である。 というか、これは普通に納得。 なぜなら読んでて惚れ

        • 新しい漫画をいちいち勧めてくるアラフィフは偽物

          最近、漫画大好き芸能人とかが使命感として今流行りの漫画を勧めてくること多いけど、ジジイになって自分が子供の頃読んでた漫画より、今の漫画に熱狂しようとしてる奴、総じて嘘つくなよと思う。 どう考えたって子どもの頃の方が本気で漫画を読んでいたし、本気で感動したり笑ったりしてた。 出版のシステムとか、社会の構造を理解した後に読んだのとではまるで感じ方が違う。 濁りのない脳でものを受け取っていたから楽しかったし、ワクワクしたのに、常識塗れで穢れが蓄積した意識を持った状態では絶対に

        韓国とアメリカに媚びるしかやることがない日本

        • 普段、人に優劣をつけてる奴が、自分が比べられる時だけ差別とか言ってる

        • 『カグラバチ』以外の最近のトレンド漫画、全部駄作【週刊マンガ批評 〜第6回〜】

        • 新しい漫画をいちいち勧めてくるアラフィフは偽物

          今の起業家のほとんどがキングコング西野の受け売り

          意識高い系の人のnoteとかXの投稿見ると大体「あーこいつ最近、西野の『夢と金』読んだんだろうな」というような論理的思考に基づき...みたいな自己満足型の内容のものが多いんだけど、世の中の真実に気づかせてくれた西野様に、醜いアヒルの子みたいについて回って、自分も西野様に認めてもらえるように何かしなきゃっていう動悸がそもそもズレてる。 元々何か得意なことがあって、それが結果振るわなくて西野語録を参考程度にするのは良いんだけど、今やオンラインサロンの形態もNFT市場も音声型配信

          今の起業家のほとんどがキングコング西野の受け売り

          日本のアニメは中国に負けた

          ※数字的な勝ち負けの話ではなくあくまで個人の感想によるものです。 最近日本のアニメ観てておもんないというか、昔は齧り付くように毎週録画を追っていたけど、今は1本30分枠のアニメ(本編尺大体24分弱)を一気に通して集中的に観ることができない。 途中で集中を欠くくらい、マジで30分どうでもいいことをひたすらやってる。 年齢を重ねたからかな〜と思って20年以上前に放送していた『ガンダムSEED』とか『デジモンアドベンチャー』を観返してみると、これが未だに熱中して視聴できる。

          日本のアニメは中国に負けた

          髪染めタトゥー入りピアスが犯罪者ならAyaseなんかとっくに捕まってる

          那須の死体損壊事件で元俳優の若山耀人とかいう「誰それ?」なDQNネームが捕まったみたいで、 子役時代から一変、髪を染めてタトゥーが入っていてピアスガン開きみたいな見た目の変化に注目が集まっているけど、それが犯罪に手を染める奴の特徴なんだとしたらyoasobiのAyaseなんかバチバチそれに当てはまるだろ。 子役時代を知ってる人とかが、「こんなのなんかの間違いだ」とか「誰かに唆されたんだ」みたいな、並々ならない事情があって加担した的な憶測で勝手にそいつも被害者扱いしてるけど

          髪染めタトゥー入りピアスが犯罪者ならAyaseなんかとっくに捕まってる

          如何に人をイラつかせられるかを競ってる日本人

          日本人と大袈裟に書きましたが、まあおそらく世界の人間の多くが、如何に自分以外の人間を不快にできるかを競う世の中であることに絶望しない日はありません。 北朝鮮が煽りミサイルを何発も発射したり、イランが報復攻撃をイスラエルにかましたりと、まあとにかく他人を煽りに煽って戦争という最終形態に行き着くわけですが、取り分け疑問に思うのが、他人煽りをやめられないような連中が「戦争はやってはいけない」とか「いじめは犯罪」とか言ってるのを見て、どの口が言ってんだよと思うのはもう日常茶飯事であ

          如何に人をイラつかせられるかを競ってる日本人

          頭の悪い人ほど知識をひけらかして喋る

          配信プラットフォームで自室のパソコンからストーリーミングしてるゲームマスター気取りほど、知識をひけらかして喋る。 そしてそんな著名人に感化された一般凡人ほど、すぐその型を模倣して、自分で調べたわけでもない海外のデータと照らし合わせて、「フランスではこういう制度があって〜...」とか「アメリカに比べて今の日本は...」といったエセ知識人を気取る。 論理的思考に基づいて論じた気になっている奴ほど、物事を深読み考察しなければ自身の賢さを確認できない強迫観念に苛まれているし、考察

          頭の悪い人ほど知識をひけらかして喋る

          人に人生を相談してる時点で何もかも間違ってる

          人生の相談をヒトにしたところで、景気の良い答えが返ってくるわけがない 人生500周くらいしていて生き方マスターしてますとかだったらわかるが、皆初見で手探りの状態に正解も何もないのに、成功者や名だたる著名人であれば何か教授してくれるのでは?と謎に崇拝してはお声に耳を貸そうとするけど、ヒトの不安を取り除く確実な方法なんてねえよ ではなぜわざわざ我々は不安や悩みを吐露せずにはいられないのか? なぜ、ヒトと共有して解消しなければならない不安に頭を悩ませるのか それは不確定を思

          人に人生を相談してる時点で何もかも間違ってる

          アメリカに気に入られるために金髪にしちゃう日本人

          YOASOBIのAyaseとかCreepy NutsのDJ松永など、異国で評価された人間はなぜか自分も白人の仲間入りをしたかのように髪を染め、かつてのマイケルジャクソンのように民族色を薄めようとする。 日米首脳会談の晩餐会に招待されたAyaseは欧州のプリンス風のイメチェンを施し、「Bling-Bang-Bang-Born」が評価された松永もザ・ファーストテイクで海外視聴者にナメられないよう見た目に気合を入れてる。 仮に私たちが知ってるテイラースウィフトとかマドンナが来日

          アメリカに気に入られるために金髪にしちゃう日本人

          ワーホリは情弱しか行ってない

          オーストラリアにワーキングホリデービザで何ヶ月か滞在したことがあるのだけど、基本ワーホリビザで海外に来てるやつは無知の極みみたいな奴しかいないと感じた。 ビザの取得条件もハードルが低いから無能な奴が簡単に足を運べるユートピアになってしまうのは必然なのだが、海外に住めばなんとなく英語が堪能になると夢見てる他力本願な奴、月何百万稼げるというソース元不確かな情報を間に受けて出稼ぎに来る奴、そんな連中が結局日本人経営の日本食レストランとか、自国民が働かないような低賃金の、安い人件費

          ワーホリは情弱しか行ってない

          「ファン」はそもそも気持ち悪い

          昨今、芸能人やインフルエンサーがファンの在り方や面倒くさいファンについて、タレント自身が苦言を呈する場面を度々拝見するが そもそもファンとは総じて気持ちの悪い存在なのである。 ファンという呼称を言い換えるならば、当然「信者」であろう。 我々は側から見たら、よくわからない団体を祀り上げ、盛り上げている人たちを不気味に思うことがあるが、あの感覚が正直ファンにも当てはまる。 しかし、なぜファンと信者で認識の差があるのかというと、それは信仰対象の知名度に格差があるからだ。

          「ファン」はそもそも気持ち悪い

          湊かなえの『告白』が好きという奴は、普段あまり本を読んでいない

          読書の習慣や、映画を観るという趣味を持っていない人は、ちょっと刺激のある内容をやたら神作扱いする傾向にある。 連載当初の『進撃の巨人』がそうであったように、「こんな作品出逢ったことない!」といった強烈さで、自分の読書遍歴のストックと比較して、尖っている方を自分の人生を変えた名作と称し表にプッシュアップする。 そのわかりやすい例が湊かなえの『告白』 有名作家の代表作だし、内容もシビア。 このシビアな内容を好んでいる自分というのを他人にアプローチしたいファッション読者がよ

          湊かなえの『告白』が好きという奴は、普段あまり本を読んでいない

          才能のないやつほどバズりたがる

          承認欲求とか自己顕示欲の満たしをSNSフォロワーのビュワー数とかいいね数に依存しているやつほど能力が不足していると思う。 万バズとか急上昇にあがることを目的とし、自身の想定に至らなかったら勝手にモチベーションを低下させて挫折しているやつを見ると、そもそも中身のねえお前の投稿が支持されるわけねえだろと正論をぶつけたくなる。 ただTikTokに常設されたフィルター加工に依存して自身のヴィジュアルの凡庸さを誤認してるやつ、有名人と繋がりがあるという細い蜘蛛の糸だけで何者かになろ

          才能のないやつほどバズりたがる

          大人になってからのほうが普通に死にたい

          子供のとき学校も習い事も嫌いだったけど、「行きたくないから死ぬ」という発想にはならなかった。 それは、当時の自身にとって、死があまりにも悲観的なことであったということ以前に、進級して進学して成長すればこの苦難から離脱できるという僅かながらの希望があったからだ。 しかし、大人になり、自己決定が自分で行えるようになってから、どこまでいってもこの苦痛は纏わりつくんだと悟り、そのとき初めて自死が自分の人生選択に嵌め込まれた。 昇級や転職、或いは移住、定年を迎えても、「あーこれ全

          大人になってからのほうが普通に死にたい