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夜を、息子と歩いた。

長かったコロナ禍がようやく明けて、ぼちぼちと以前の日常生活を取り戻しつつある今日このごろ。
わが夫は、元来の陽キャっぷりをずいぶんと発揮するようになってきた。
学生時代の友人たちと飲みに行き、当時のバイト仲間がオープンした店を訪れ、上司とその家族を自宅に招き、今度は前職の友人たちとオクトーバーフェストに出かけるという。

日比谷のオクトーバーフェスト。ジュライだっつーのに、オクトーバーフェスト。初夏だっつーのにオクトーバーフェスト。どこのドイツだ、オクトーバーフェスト。
好きにすればいいさ。飲んで、食べて、踊って、気のすむまではしゃいでくればいいさ。

と、思っていたら、
「○○さんが、ひさしぶりにちまきちゃんに会いたいって言うからさ!息子くんも連れていっしょに行こうよ!」と、満面の笑みで言いだす陽キャ。
行くのか…わたしも…息子も…。7月のオクトーバーフェストに。

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平日の夕方、在宅勤務の夫が息子を連れて、仕事帰りのわたしと、東京ミッドタウン日比谷で待ち合わせる。
東京ミッドタウン日比谷。名前だけで、とんでもねーとこ来たな、おい、の感じが満ちあふれている。おしゃれショップしかなさすぎて、あまりにお呼びでないレベルの庶民なわたしには、ただのいい待ち合わせ場所でしかない。
数時間前まで学校で教科書を開いていたのに、日比谷の街を悠々と歩いて、すこしも臆さずにいるあたり、わが子ながら息子のことを「東京の子だなー」と思ってしまう。

オクトーバーフェスト会場の日比谷公園に着いたら、夫の前職の友人と、その友人が連れてきたモデルだのミュージシャンだの、陽キャの見本市みたいな人たちが、こっち!こっち!と手招きして、噴水のすぐそばのテーブルに誘い入れてくれた。
キャンドル・ジュンばりのデカピアスホール開いてる男や、どこのビーチから来たん?なチューブトップ姿の女たちに囲まれて、ビールを飲み、ソーセージを食べ、ビールを飲み、ソーセージを食べ、そしてヤングマンを踊る。
気がつけば人見知りのはずの息子も、何度もくり返される乾杯のたびに持参した麦茶を高く掲げ、あっちのお店に大きいビールが売っていたよなどと会話に参加して、すっかり「お仲間」になっている。
恐るべし、陽キャたちの懐柔スキル。
日が落ちると涼しい風も吹いてきて、思っていたよりもここちのよいひとときだった。

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「お腹いっぱーい」
息子のこのひとことをきっかけに、何杯目かのビールで、何回目かの乾杯をしている夫を置いて、わたしと息子だけ先に帰宅することにした。

今日はじめて会った大人たちに「バイバーイ」と愛想よく手をふって、息子は日比谷公園を後にする。

帰りの地下鉄は、仕事帰りのくたびれたひとであふれていて、首から新幹線のかたちのパスケースをぶら下げている息子は、あきらかに浮いている。

「楽しかったね。いちばんビールたくさん飲んでたお兄さん、おもしろかったよ。冗談ばかり言ってたね」

満席の車内でコソコソと囁いてくれた息子の言葉に、陽キャに混じって過ごした時間が「いいもの」だったと安堵する。

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自宅の最寄りの地下鉄駅から地上に出る。

生暖かい空気が体にまとわりついて、家まで歩く数分間がとても長く感じられる。

「夜って、こんなに暗いんだね」

息子が言う。
知らないはずはない。もう8年も生きているのだ。小学生とはいえ、息子だって、同じような時間に外に出たことなんていくらでもある。

だけど、その気持ちはよくわかる。

楽しいひとたちと過ごしたあとの、夜の帰り道は、いつもよりずっとさみしくて、暗い。

息子は、この世界でどんな大人になるのかな。
楽しいとさみしいをくり返して、夜の暗さを知って。だれとどんな風に笑い合って生きていくのかな。

東京の夏の夜を、息子と歩いた。
今日のことをずっと覚えていたいと、ひとりそっと、そんなことを思った。

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