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アレックスじゃなくてナタリー。

小学生の時、好きな映画は?と聞かれて答えるのは

チャーリーズエンジェル!だった。

綺麗な3人組の女の人がバッタバッタと悪い奴らをなぎ倒してゆくのをみるのはとても楽しかった。そして単純にカッコ良かった。

3人、というのはナタリー、ディランそしてアレックス。それぞれキャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リューが演じている。キャメロン、ドリューはいわゆる”白人"と呼ばれるアメリカ人でルーシーは中国系アメリカ人だ。

小さい時にこの映画を見ながら思っていたのはみんなかっこいいし、セクシーだけどやっぱり、"ナタリーが好き!"だった。彼女はいつも真ん中でチームを引っ張ってるしスラッとしたジーンズとかキラキラしたブロンド、そして透き通るような青い目がたまらなくかっこよかった。無条件に憧れた。

私はナタリーになれると思ってた。ナタリーは人気者だ。かわいいしきれいだし、皆が憧れる存在。あの髪の色で、あの目の色だから。身長が高いから。でも、アジア人の私の容姿に一番近いのはアレックス。なんとなく気づいていたけど私がなりたいのはナタリーだった。

アホらしいかもしれないけどこれは私が世界を見るときの視点にとても大きな影響を与えている。小さいときは気づかなかったけど見えてきたこと。

世界は白人中心に回ってる。白人の整った顔、スラッとしたスタイル、明るい目の色。これらは教育や、メディアなどによって"良いもの、正しいもの、全ての基準"として刷り込まれている。政治も経済もメディアも今主流とされている歴史は白人が作ってきた、そんな風に言っていいと思う。

子供の頃に見たもの、聞いたことがあたえる思考への影響は凄まじいものだと思う。私がどんなに努力しても彼らのようになれない、と気付いたときはもうパニックだった。なんで私はナタリーじゃなくて、アレックスなんだろう…しばらく自分の価値観とか思考が上手く整理できなかった。

たかが映画。でも今になっても私は自分の見た目に、世界が私を見る視線に劣等感を感じている。

正直言って白人だの、黒人だのこういう言葉は全く大嫌いだし意味はわかんないけど。あえて”白人"というワードを使った。まだまだこの言葉は多くの人が共通の認識、意味合いを持って使っていると感じるから。

これを書いて何をどうしたい、とかない。ただ少しずつ世の中が変わろうとしているのは事実だし、最近は自分の容姿も直視できるようになった。ただ、いつも自分の根底にあるこの気持ちを書き留めておきたくて。