「いじめ」という言葉を見るたびに。


 なぜか理由は知らないけれど、Twitterに “「いじめっ子」への処方箋”というタイトルのnoteの記事がリツイートされていた。
 あまり気が乗らなかったが、添付されていた写真に興味があって、ちょっと読んでみた。

 これを書いたのはT氏という、文章を書くことを生業としていらっしゃる方(だと思う)。記事自体はもう4年ほど前のものだ。
 内容をかいつまんで説明すると、子供の頃家の中で兄弟にいじめられていた自分は、外ではいじめっ子になってしまった。
 大人になって親になって、今度は自分の子供が、かつて自分をいじめていた兄のように妹をいじめ始めた。その気持ちがわかる著者は、自分の娘に話をした。娘は自分の言葉に対して、きちんと考えて、行動を起こした。

 氏は文章の中でこう書いている。

<改心して彼に謝罪し、いじめを止める側に回った、なんて後日談をご紹介できたなら、どんなに良いだろうと思う ~中略~ 再会することは今に至るまでなく、彼に謝罪したこともない。機会があったとしても、彼はそんなことを望まないだろう ~中略~ 謝罪は自己満足でしかない。彼に対する所業は、自分の人間性の最悪の部分を露呈した汚点として、私が引き受けていくべきものだと思っている。>

 いい話かもしれない。そう思いたい。

 ここでちょっと自分の話を書いてみたいと思う。お断りしておきたいのだが、これは嘘偽りのない真実だ。またこのことは、妻にも子供にも言っていない。こんな話をしたところで、家族は幸せにはならないし、自分自身、楽しいことは何一つないからだ。

 親の仕事の都合で小学校を転々とした僕は、小学5年生の終わり頃になって、ようやく転校せずに済む環境に落ち着いた。数えて5つ目の小学校だった。
 その当時、学校が変わるたびに、意地悪をされた(それはもしかしたら「いじめ」だったのかもしれないが、感覚的には意地悪と言った方がピッタリだった)。それをしてくるのは、必ずと言っていいほど年上の兄弟がいる奴だった。特に「なよっ」としていた僕は格好のターゲットだったのだろう。
 最後となった5つ目の学校でも、それなりに意地悪はされたが、けれども、まあ、仲のいい友達もできて、まずまずという感じで小学校は卒業した。

 だが、終わりよければ全て良し、とはいかなかった。そのまま地元の中学に上がった僕を待っていたのは、壮絶な「いじめ」だった。

 仮にAとしよう。中学に入ってそれほど経たないうちから、彼は僕に対して何かにつけて因縁をつける様になっていた。細かくは覚えていないが、本当に些細なことから始まって、それが次第に大きくなっていった。そしてそれはAと同じ小学校だった奴らを巻き込み、やがてクラスのほとんどが同調し始めた。
 あとはもう、よく聞くいじめ話。全員で無視する。カバンを隠される。窓からほおり投げられる。私物を隠される、盗まれる、捨てられる。クラスの行事で一人孤立させられる、etc.etc. 当時の担任も見てみぬふり。
 仲が良かった友達も、ガキ大将気質のAには逆らえずに沈黙し、さらには2年、3年と、Aとは違うクラスになっても、彼になびいていた奴らが嬉々として、その「いじめ」を引き継いだ。

 今から思えば、転校が多かった僕の対処方法も決して良くはなかったのだが、子供だった僕に出来たことといえば「黙って我慢する」ということだけだった。

 どういう運命の悪戯か、その彼とは高校も一緒で、最初のうちは中学同様色々言われていたらしかった。だが、高校生にもなってくると人間関係は自分の意思で築いていくようになる。そのおかげか、幸いにも男女含めたくさんの友人に恵まれ、そこそこ楽しい3年間を過ごし、僕は高校を卒業した。
 その間、Aとは同じクラスになることもなく、話どころか、あのいやな顔もほとんど見ることもなかった。

 社会人になって20年ほどが過ぎた頃、高校時代の友人たちとの酒の席で、僕は驚くような話を聞くこととなった。

「今更だけどさ、お前、中学の頃いじめられてたんだろ?」
「あー、そうだね。うん。そう……」
「あいつだろ? A」
「そうそう。そういや高校も一緒だったな」

 そういや、なんて我ながら白々しい。あの地獄の3年間を忘れるはずがない。

「理由、知ってる?」
「理由? 俺をいじめてた理由?」
「そうそう」
「いや、知らない。なんか知ってんの?」
「Bさんっていたろ?」
「B? Bって……Bさん? 女子の?」
「そうそう。高校一緒だったBさん」
「彼女が、何かあんの?」
「いや、中一の時おんなじクラスだったんだろ?」

 Bさんは、中学で最初に仲良くなった女の子だった。アニメや映画が好きだった僕は、同じくアニメが大好きだった彼女と休み時間によくその話をしたり、サウンドトラックのレコードの貸し借りをしていた。

「そうだよ。懐かしいね。元気かな?」
「その彼女が原因」
「は?」
「Aってさ、彼女と小学校がずっと同じでさ、中学も同じクラスだって喜んでたんだって」
「はぁ? いや、まて。それって……」
「お前、Bさんと仲良かったんだろ?」
「……」
「 Aってお前のこと、Bさんと馴れ馴れしくしやがって!気に入らねー、って怒り狂ってたんだってさ」
「それはぜんぜん知らんかった……でもさ、それが本当なら、くっだらねー理由だな」
「ま、虐められた方にしたら、たまったもんじゃないよな」
「まさか、高校が同じだった理由って、それ?」
「さあね。そこまではわかんないね」

 高校を卒業して20年以上経ってから、当時の話を聞かされるとは思ってもみなかった僕は、本当に驚いたけれども、なぜか腑に落ちる部分もあった。

「まあ、Bさん、人気あったからなー」
「だよな。彼女のこと好きだったってやつ、何人か知ってるぞ」
「へえええ」
「でも、なるほどね、って感じだな」
「そっか」
「俺がさ、超美男子で文武両道の御曹司、とかだったら虐められずにすんだかもね」
「ま、そうかもな」
「もしくは倍にしてやり返しそうな奴だったり?」
「かもな」

 T氏の言うとおり、虐められるのは「やり返してこなさそうな奴」というのは確かなのだ。

「ま、いまさらだけど、一億くらい持ってきて『あの時はごめん!』って謝ってくれれば許してやらなくもないかな」
「あ、それは無理」
「無理、だよな」

 そう言って笑う僕に、友人が一言。

「ああ、違う違う、そうじゃない」
「ん?」
「あいつ、死んだから」

 この時、「ザマアミロ」などとはこれっぽっちも思わなかった、といえば嘘になる。だが、その感情は一瞬で、そのあとは、Aが死んだ理由を知りたいとも思わなかったし、わざわざ聞くこともしなかった。
「へええ」としか言わなかった僕に、友人もそれ以上の話はしなかった。

 だが。
 こうして、僕を虐めていた人物はこの世からいなくなり、溜飲も下がり、全てが丸くおさまりましたとさ。めでたしめでたし――とは、残念ながらならなかった。

「一番の仕返しは、いい人生を送ること」
 
 素晴らしい人生、とはいえないまでも、まあまあな人生を僕は歩ませてもらっている。少なくとも、死んでしまった彼よりはずっと幸せだろう。

 けれども。
 虐められていた当時、「あいつなんていなくなればいいのに」、と思っていたけれど、実際に当の本人がいなくなってみて、わかったことがある。

 忘れていたはずなのに、忘れたいはずなのに、「いじめ」というその文字が目に入るたび、その言葉を耳にするたびに、あの数年間の最悪な日々がフラッシュバックしてきて、なんとも憂鬱な気持ちになるのは、彼の死を聞かされてから10年経った今でも、いや、中学を卒業してから今日まで、ずっと変わらない。

 結局のところこの問題は、自分の心の中だけで悩み、もがき続けるしかないのだ。仮に虐めていた人間がどんなに不幸になっても、この世から消え去ってしまっても、自分の受けた苦しみの記憶からは逃れられない。
 わかったことは、その記憶からの解放は、自身の死によってのみもたらされると言うことだけ。

 ただ、それだけ。

 誰かをいじめていた張本人が、後になってから謝罪文を書いたり、謝罪する動画を目にすることも多いけれど、彼らは一体どう言う気持ちでそういうことを言っているのか、いじめられていた側からすると本当に謎だ――少なくとも僕は、そう思ってしまう。

 それこそだ。一億円入ったアタッシュケースを目の前に差し出して、「あの時は悪かった」とでも言えば、本当かどうかは別として「許す」の一言をもらえると思う。あとはもう二度と関わらないようにするだけで。話は簡単だ。T氏をはじめ、誰かを虐めていた人たちの気がそれで晴れるのなら、ぜひそうしていただきたい。冗談ではなく、本気でそう思う。


 まあ、僕がそれをもらうことは、もう叶わないのだけれども。


※件のnoteの記事を読んで、思ったことをちょっと書いてみた。文中のセリフはちょっと脚色があるかもしれないが、大まかこんな感じだった。誤解のないように言っておくと、T氏を貶めるつもりでもなんでも無いので、悪しからず。また、家族は知らない話なので、この記事だけに作ったアカウントでの投稿だと言うことも記しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?